・4-20 第72話:「早すぎる援軍:1」
・4-20 第72話:「早すぎる援軍:1」
グロースフルスのほとりで行われたこの戦いに、勝利しつつある。
そう確信し始めていた帝国軍の本営に慌てふためいて伝令が駆けこんで来て、叫ぶように報告がなされた。
「帝国陸軍第二師団より、報告! 我が方右翼に、敵集団出現! 目下、増加中! その規模、数万を超える見込み! 」
「なんだとっ!? 」
驚いて立ち上がったのは、ヨッヘム公であった。
「本当に、敵軍があらわれたというのか!? 誤認ではないのか!? 」
「いえ、確かに共和国の旗を掲げております! 」
しばし、帝国軍の本営に沈黙が満ちる。
誰もが、この信じがたい報告に耳を疑い、しかしどうやら真実らしいと考えざるを得ず、困惑していた。
帝国陸軍の第二師団は、この戦いにおける帝国軍の右翼、方角で言えば北側、河の流れで言えば下流側を担当している部隊であった。
そして報告ではそこに敵軍が姿をあらわし、どんどん、その数を増やしているのだという。
受け入れがたい事実ではあったが、敵に援軍が到着したのだ。
———だが、あまりにも早すぎる。
(まさか、共和国軍は、最初に報告のあった三か所以外にも渡河点を設定していたのか? )
総攻撃を命じるための言葉をぐっと飲み込んだエドゥアルドは、唇を引き結んで考え込む。
共和国軍がグロースフルスを越えるために設定した渡河点は三か所。
それぞれ数十キロメートルの距離が離れており、こちらがなんの抵抗もせずに渡河を許したのだとしても、こんなに早く来援できるはずがなかった。
一日に二十キロメートル進むという帝国軍並みの強行軍を実施したとしても、到着するのは明後日になるはずなのだ。
常識を外れた速度で出現した、としか言いようがない。
だとすれば、敵は、最初に報告のあった三か所以外にも渡河地点を設定していたのだろうという推論をするしかない。
そうでなければつじつまが合わない。
「やれやれ。ムナール将軍、やはり一筋縄ではいかぬわい」
結論を導き出せぬまま黙り込んでいるエドゥアルドの横で、一時の驚愕を脱したらしいヨッヘム公が、やや力ない動きで自らのために用意されたイスに腰を下ろす。
それから深呼吸をした彼は、両手で元帥仗をしっかりと握りしめながら口を開いた。
「残念ですが、陛下。ここはいったん、引き上げましょうぞ」
「お、お待ちください、元帥閣下! 」
その言葉に、これまで呆然自失としていた参謀将校の一人が立ち上がって声をあげる。
「貴殿は、確か……? 」
「ご無礼を、元帥閣下。ゴットハルト・ツー・クラオエ少佐と申します」
ヨッヘム公がおもむろに顔を向けると、その将校、茶色の髪に茶色の瞳と、いかにも上昇志向といった雰囲気の鋭い双眸を持った帝国陸軍少佐は居住まいを正して一礼をした。
「ゴットハルト少佐。かまわぬ、貴官の考えを述べよ」
「はっ。感謝申し上げます、元帥閣下! 」
ちらり、と横目でエドゥアルドの方をうかがった後、代皇帝にも少佐の話を聞くことに異論がなさそうだということを確認した帝国元帥がうなずいてみせると、参謀ははっきりとした口調で意見を述べる。
「敵の橋頭保は、すでに風前の灯です。後一押しで、敵をグロースフルスに追い落とすことが叶います! それに、敵の増援が我が右翼に出現したとして、なにほどのことがございましょうか。どのような手段で戦場に到着したのにしろ、強行軍を行っているのならば火砲などの重装備も到着しておらぬはず。我が方の一個師団を割き、防戦に当たらせれば、正面の敵軍を粉砕するまで持ちこたえることができましょう。何卒、攻撃開始のご裁可を! もしご許可をいただけるのでしたら、私自身が出向きまして、敵の増援を食い止めるために戦って、必ず我が軍が敵橋頭保を砕く時間を稼いで見せます! 」
つまり彼は、敵を追い詰めた好機を見逃し、撤退することに反対なのであった。
その意見には、どうやら賛同する者が多そうだ。
この場にいた多くの将校たちがうなずいたり、期待する視線をエドゥアルドとヨッヘム公へと向けてきたりしている。
実際、エドゥアルドとしても、目の前の敵を撃破しておきたかった。
ここまで追い詰めたのだから逃がすのは惜しい、という気持ちもあったし、総兵力で勝る敵軍の力をこの際、少しでも多く削いでおきたいという気持ちがある。
「貴官の考えはよくわかった。そう考えるのは、当然ともいえよう。しかし、それがしはやはり、ここは撤退するべきであろうと考える」
だが、プリンツ・ヨッヘムの意見は変わらない様子だった。
ゴットハルト少佐の表情が、目に見えて不満そうなものになる。
階級があまりにも違うし相手は帝国軍にとって伝説的な軍人であるから表立って抗議はしないものの、内心では到底、賛同できないらしい。
「もちろん、理由はある。時間がない故、手短に話そう」
そう言ってうなずいた帝国元帥は、ここで後退することを選ぶ三つの理由を説明してくれた。
「第一に、我が軍は昨日から戦い続けており、兵は体力を消耗し、弾薬も減少しているということ。特に砲弾が減っている。夜通し撃って、今日も今朝から撃ち続けておるのだから。
後方には潤沢に弾も火薬もあるが、今、手元にはない以上は、使えぬ。敵に大砲がないのだとしても、条件はこちらと同じということになる。
そうなると、マスケット銃の弾薬を消費している分、こちらが不利だ。
第二に、敵の橋頭保を殲滅できたとしても、敵の増援が大軍であれば今度はこちらが、河を背に逆包囲を受ける可能性があるということ。そうなったら目も当てられぬ事態になる。うまく脱出できても、損害がバカにならぬ。
そして第三に、包囲を受けずとも、足止めに差し向けた部隊を丸々失うことになる可能性が高いということ」
「私は、軍人として戦いを恐れてはおりません! 」
「そんなことは分かっておる。……だが、我が帝国軍には、貴官も、足止めに差し向ける一個師団の兵力も、どちらも貴重なのだ。
正面にいる数万を叩き潰すために、一個師団を危険にさらすのは惜しい。それでは結局、共和国と我が方との兵力差はほとんど変化しない」
ここで危険を冒してみたところで、戦況を劇的に有利にできるわけではない。
そう指摘されて、ゴットハルト少佐はまだ不満そうではあったものの、引き下がって腰を下ろした。
冷静に考えてみると、確かに、橋頭保の敵軍を撃破することと、一個師団の兵力を失うかもしれないというメリットとデメリットは、見合っていないように思われるのだ。
帝国軍は、二倍の数の共和国軍を打ち破らなければならない。
あげた戦火に対し、損害は半分以下、数分の一以下でなければ、兵力差は埋まらない。
(残念、だが……)
ここで橋頭保の敵軍を撃滅できても、敵軍にはまだ無傷の軍が二つ残される。
後ろ髪を引かれる思いがしたが、エドゥアルドも、ここで危険を冒す意味は薄いと思い始めていた。




