・3-32 第51話:「コドク:4」
・3-32 第51話:「コドク:4」
政治の世界は、[蟲毒]にたとえられることがある。
それは古くから伝承されている呪術の一種だ。
いわく、様々な生物たちを一か所に集めて監禁し、そこで共食いをさせ、最後に生き残ったモノを神霊として祀り、そこから得た毒を用いて呪いたい相手の命を奪う。
政治の世界は、それに似ていると言われる。
混沌としていて、陰惨な一面を持っているからだ。
ヴィルヘルムは、こんな策謀はいつでも企まれているものだと、ありふれたものなのだと言った。
それは、その通りだ。
ノルトハーフェン公爵としての実権を手にしてから、エドゥアルドは度々、そうした陰謀を目の当たりにして来た。
当主に就いた直後、まだ足元が固まっていない隙を狙い、国境紛争をしかけて来た前オストヴィーゼ公爵、クラウス・フォン・オストヴィーゼ。
それから、自国の改革を成功させ、帝国の中で頭角を現し始めて来た少年公爵をくじくために、あらぬ噂を流し、皇帝の前で査問会まで開かせたベネディクト・フォン・ヴェストヘルゼンと、フランツ・フォン・ズインゲンガルデン。
いつだって陰謀は目論まれていて、特にそれは、貴族社会の中では日常と言っても差し支えの無いものだった。
策を巡らせる。
相手にこちらの意図を悟られないように、その行動に誘導することでどんな利益を狙っているのかを一切、知られないようにしながら、他を思う通りに操ろうとする。
正攻法で望みを達成しようとするだけでは、うまく行かないこともある。
たとえば、エドゥアルドは帝国に、最大動員を行って二百万もの兵力を確保できる体制を構築しようとしているが、それだけで確実に勝って、生き残ることができるかと言えば、そんな保証はどこにもない。
そのやり方が有効だと証明されれば、各国で同様の制度が次々と導入されていくだろう。
誰もが同じような努力するのだから、少しでも勝率を高め、生き残れる確率を向上させるためには、他の部分で工夫をするしかない。
謀略も、その[工夫]の[一種]に過ぎない。
誰もが必死に知略を凝らし、それでいて、敵となり得る相手に手の内を知られないように、勘づかれないようにしている。
ザミュエルザーチ王国とサーベト帝国を争わせるというヴィルヘルムの策は、実に効率的なものだった。
こちらはただ、一方に領土拡大のチャンスがあると気づかせるだけで、一切の資金を使わず、一滴の血を流すこともなく、共和国と決着をつける間、後方の安全を確保することができる。
しかも、後に禍根も残らないのだという。
ザミュエルザーチ王国が自発的に攻め込むのだから、サーベト帝国が恨みに思う対象は、ひとつだけだ。
リスクなどほとんど考慮する必要がなく、メリットだけを享受することができる。
これほどの良い話は、なかなかないだろう。
それでもエドゥアルドは、この策略を採用することを躊躇った。
自分自身の理想と、正義感に反しているから、という理由だけではない。
これまでも、現実に適合しその状況を乗り切るために、その信念を一時忘れ、気にしなかったことはあったのだ。
より良い帝国を作り出し、自身の統治下にある人々に安寧をもたらす、そのためにならば、と、少年は狡猾になることができた。
だが、今回そうすることができなかったのは、あまりにも大勢の人の生死に関わりが強すぎるからなのだと、ルーシェの姿を見ている内に気づかされる。
戦争が起これば、きっと、何万人もが死傷することだろう。
戦場となった土地は荒廃し、数えきれない人々が家を追われ、傷つき、家族が離れ離れになることだろう。
こちらにとってほぼ確実に利益にしかならない、完璧とも思えるヴィルヘルムの策略。
しかし、そうすることによって自身の中に生まれる罪悪感をかき消すことができるだけの理由が、どうしても見いだせない。
だからこそ、エドゥアルドは即答することができなかったのだ。
「あの、エドゥアルドさま? その、少々、お顔が怖いというか……、だ、大丈夫でございますか? 」
怒っているわけではないが、強張った表情でじっと自身の方を見つめられて、ルーシェはなんだか居心地が悪そうな様子だった。
それに、なにかあったのではないかと、少し不安になって、心配もし始めている。
「……いや、僕は、大丈夫だよ。ルーシェ」
やがてエドゥアルドは、ふと表情を和らげて微笑んで見せると、そっと手をのばし、安心させるようにメイドの黒髪をなでる。
「少し、考えごとをしていただけさ。……今日はもういいから、休んでおくれ。また、明日」
「は、はい。エドゥアルドさまが、そうおっしゃるのでしたら」
まだ怪訝そうではあったものの、いつも見慣れた少年の表情に戻ったことで安心したのか、ルーシェは軽くスカートを指先でつまんで一礼をしてみて、「おやすみなさいませ、エドゥアルドさま」と挨拶をし、オスカーとカイを連れて退出していく。
「ああ。お休み、ルーシェ」
去っていく彼女を見送ったエドゥアルドはまた、険しい表情に戻っていた。
そして窓際まで歩いて行くと、そこから、帝都・トローンシュタットの街並みを、窓ガラスに映った自身の姿越しに見つめる。
そこにあるのは、夜の暗がりの中に沈んだ、静かな、だが、生きている街並み。
(そもそも……、天秤にかけられるようなことではなかった)
その光景を目にしながら、エドゥアルドは、ヴィルヘルムの提案した、狡猾な策謀を採用することを決心していた。
なぜなら、彼はルーシェの姿を見ている間ずっと葛藤し続けたのだが、その内に、自身には守るべき優先順位があるのだと思い出したからだった。
———自身の治める、四千万もの人々の運命と、見ず知らずの他国の人々の運命。
二者択一を迫られた時にどちらを優先するかは、今さら、考えるまでもないことであった。




