・3-18 第37話:「帝国軍200万:1」
・3-18 第37話:「帝国軍200万:1」
エドゥアルドが発行した十年物の帝国債券によって得た資金の使い道をおおよそ決定し終えたころ、ようやく、帝国軍の参謀総長となったアントン・フォン・シュタムが、将来この国家がどのような軍備を保有するべきか、その構想をまとめ終えて報告をして来た。
「全力で動員を行った場合の総兵力、二百万……。現状で根こそぎ動員をかけた場合の、五倍にもなるのか」
「その内の半数は、補給や後方支援の任務に就く予定でございますから、実際の戦闘部隊は百万程度となる見込みでございます」
「それでも、今までとはひとつ、ケタが異なる。倍以上にもなる」
穏やかに、物静かに。
五十代の半ばという年齢の多くを軍歴と共に重ねてきた熟達した将校であるアントンは、ツフリーデン宮殿の執務室でイスに座ったまま報告書に目を通し、双眸を見開いて驚く代皇帝の姿を前にしても動じなかった。
こうした反応が返ってくることは、事前に十分に予想できていたのだろう。
分厚い書類に余計な装飾の無い平易な文章で一目瞭然に内容がまとめられた報告書のページをめくるエドゥアルドに、白髪の混じった茶色の短髪と静謐な印象の瞳を持つ参謀総長は説明の言葉を続ける。
「本計画の根幹は、二つの点がございます。徴兵制度によって積み上げました予備役を用いて、戦時に、迅速に大兵力を展開できる体制を構築すること。そして、これまで民間の業者に依頼し、人夫などをその都度、雇い入れて実施していた輜重を、我が軍の兵員によって直接実施するという点です」
共和国に対抗するために、帝国でも徴兵制によって国民軍を編制する。
現在、タウゼント帝国の総人口は、およそ四千万人弱とされている。
近隣諸国の中では最大の値だ。これに続く諸国家は、次点がアルエット共和国の三千万人強、ほぼ横並びでサーベト帝国の三千万人強、海を越えたイーンスラ王国の二千万人弱、と続き、他に、フルゴル王国やオルリック王国などが一千万人以上の人口を有している。
これだけ人口が多いのは、帝国の人口密度が特別に高いから、というわけではなかった。
国家の規模が単純に大きいためだ。
古くからヘルデン大陸の中央部に君臨してきた帝国は、他の諸国を二つ程度は合わせた広さを有している。
だから、人口が多い。
そして、人口に比例して国力も高く、伝統的に強大な国家と見なされて来た。
こうした力関係は、産業化の進展と国民軍の出現によって大きく脅かされている。
産業革命の震源地であるイーンスラ王国は年々、蒸気機関の利用を拡大させ、工場の数を増やし、経済においてはヘルデン大陸の近隣を含んだ地域でもっとも強力になりつつある。
建材や兵器の生産に欠かせない鉄鋼の生産量はここ数十年で大きくのび、帝国を凌駕していたし、鉄道の総延長ではトップに立っていた。
また、ウールや綿を利用した繊維工業も盛んであり、エドゥアルドの故国、ノルトハーフェン公国で発達しつつある同種の産業の強力なライバルとなっている。
そして、くり返しになるが、アルエット共和国で開始された徴兵制と、国民軍の誕生。
従来のように国力は人口にほぼ比例するようなことはなくなり、経済力でも、兵力においても、これまでの力関係がくつがえされつつある。
だから、一刻も早く帝国でも国民軍を結成しなければならない。
その規模、二百万というのは、帝国の全人口の内の半数を占める男性から徴兵を行い、壮丁・適齢の者からより兵役に適した者を選抜して現役・予備役に割り当てることで、これから十年後に達成できると見込まれる数値だ。
ここまでやってようやく、将来、各国で続々と誕生していくのに違いない国民軍に対して対抗できるようになり、望まぬ戦争を抑止できる効果を得られるというのが、アントンの見通しであった。
———だが、ことは単純には運ばない。
なぜなら、この帝国の全土に一律に、エドゥアルドの方針が行き渡るわけではないからだ。
これもくり返しになるが、封建制を行って来たこの国家においては、皇帝の権力は最大、至高のものではあっても、絶対ではない。
皇帝の名において封建された諸侯が持つ軍権に対して介入することは容易ではなく、強行すれば激しい反発を招く。
全国で一斉に徴兵を実施することなど不可能だったし、各部隊の編制、装備、訓練の統一といった事柄も実行が難しい。
最悪、また内乱状態に逆戻り。
そこを諸外国につけ込まれれば、滅亡すらあり得るのだ。
「帝国が目指すべき方針としては、異論はない。しかし、実現は長い話になるな……」
「出来るところから、進めて行く他はございません。まずは、陛下の直轄地、そしてノルトハーフェン公国。加えて、この計画に賛同していただける諸侯のご領地から。必要性の理解が進めば、やがては帝国全土で実施でき、この計画も実現いたしましょう」
「気の遠くなるようなことだな」
「できれば、私の達者な内に完成させたいものです」
それは、アントンにしては珍しく冗談めかした言葉だった。
すべての計画が順調に進んだとしても、完了は十年後。
諸侯が反発するのは必須だから、それを排除、もしくは説得しながらだと考えると、もっと時間がかかってしまうだろう。
その時、すでに六十代を射程に入れつつあるアントンは何歳になっていることか。七十、いや、八十歳ともなっているかもしれない。
彼は未だに壮健ではあったが、この時代の平均寿命を大きく超える年齢ともなると、何かしらの衰えも見えて来てしまうだろう。
あるいは、参謀本部の一画に、その制度を確立した偉人として肖像画や銅像が飾られるようになっているかもしれない。
「アントン殿。どうか、ご自愛いただきたい」
真面目が服を着て歩いているような参謀総長の聞き慣れない冗談に、エドゥアルドは真顔になってそう願っていた。
実質的に、新しい帝国軍を誕生させる。
これほどの大事業を達成できると思える人材は、アントン以外には思い浮かばなかったからだ。
それに、ここまでも、これからも苦楽を共にしてゆく尊敬できる先達のことを、過去のこととして懐かしく思い出す日々を想像すると、あまりにも寂しい心地がした。
「できるだけ、善処いたしましょう」
冗談に対し、深刻そうな言葉が返って来たことに少し面食らった後、参謀総長は自身も真顔になってうなずいていた。




