・20-7 第378話:「得手不得手」
・20-7 第378話:「得手不得手」
代皇帝がプライベートでゆっくりとする時間を確保できたのは、二月の半ばを過ぎてのことだった。
それも、ほんの一時のことに過ぎない。
四月からはまた国会を召集し、昨年決め切れなかったことを決定し、新たに俎上にのぼった議題について話し合うために、第二回の帝国議会を招集する予定になっている。
この休息が終わればまた、その準備のために忙しい日々がやって来る。
だからこそ、エドゥアルドは全力で休暇を楽しんだ。
まだフルゴル王国から帰還し終えていない、参謀総長のアントンを始めとする数万の将兵には申し訳ないとも思ったが、かといって無理をして自分が倒れてしまっては国家が傾く。
身体を労わり、健康を保つのも、国家元首にとっての[職責]であった。
遠出をして、一度、故郷であるノルトハーフェン公国に帰ろうかとも思った。
自身の出発点である公爵家の別荘、シュペルリング・ヴィラで、自然に囲まれ、政治の世界から離れて過ごせたら、どんなにか安らぐだろうか。
しかし、その計画は不採用となった。
代皇帝の移動のためには護衛の人員など大勢の同行が必要であり、どうしても大掛かりになってしまうことや、何百キロメートルも先に静養に出かけていられるだけの休暇日数を確保できなかったからだ。
数百人単位の人々に余計な仕事を増やし、日帰り同然になってしまうよりは、どこにも出かけない方がずっと良い。
(もう、僕は、実権を持たないスズメ公爵ではない。
代皇帝なんだ)
内心で自身の背負った責任の重大さを再確認しつつ。
エドゥアルドは帝都での滞在先と決めているホテル・ベルンシュタインを中心に過ごすことに決めた。
くつろぐには、これで良かったのかもしれない。
ここにもずいぶん長く暮らしているからすっかり身体に馴染んでしまって落ち着くし、敢えて予定を入れず、[暇]を持て余すのは案外と精神の漂白に良い。
それに。
青年にとっては、もはや単純なメイドではなくなった女性、ルーシェと一緒の時間を過ごせるだけでも幸せだった。
彼女が日々様々に工夫を凝らして楽しませてくれる食事を摂り、味わい深く香りの豊かなコーヒーを嗜み、専門的な学術書ではなく世間で流行している小説を読み合ってその感想を言い合ったり、ただ日当たりの良い窓辺のソファに並んで腰かけ、無言で身を寄せ合ったままの時間を過ごしたり。
これではルーシェばかりが働き通しになってしまう。
申し訳なさを感じ、彼女のことが心配になったエドゥアルドは、「たまには僕がやってみるよ」と手伝いを申し出て実行した。
だが、まるでうまく行かない。
料理するのを手伝ったり、掃除をしたりしてみたが、あまりに下手過ぎて、「もう! エドゥアルドさまは大人しくしていてくださいまし! 」と、呆れられ、笑われた。
最後には、「見えないところできちんと休んでおりますから、大丈夫でございますよ」と言われ、「プロに任せて、エドゥアルドさまはのんびりしていてくださいませ」と、まるで犬か猫を追う様に追い出されてしまった。
悔しかったが、実際この分野に関しては素人であったため、ルーシェの好意に甘えさせてもらうことにして、エドゥアルドはありがたみと幸福を噛みしめながら過ごした。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思わずにはいられない。
「ルーシェ。
どうやら僕は、料理や掃除もだけれど、戦争が下手みたいだ」
そんなある日。
一日中一緒に過ごし、カーテン越しに段々と外の世界が明るくなってくるのが分かり始めた時、エドゥアルドは唐突にそう自身の心情を吐露していた。
「エドゥアルドさまが、戦争が下手、で、ございますか? 」
髪を解き、青年の側に寄り添うように眠っていたルーシェは、不思議そうに首を傾げている。
「でも、エドゥアルドさまは、今まで何度も出征をされて……。
それは、負けてしまわれたことはございますけれど。
勝った回数の方が多いのではございませんか? 」
「それでも、上には上がいる」
こんなことを言うのは。
自身の中に存在する弱い部分を、不安なことを、彼女に聞いて欲しかったからだ。
「僕は、戦争の天才ではなかった。
それは、自分には才能がある、人よりもうまくできる、そう思っていたこともあるさ。
けれど、そうではなかった。
僕は戦争が下手だ。
上には上がいるし、今まで勝ってこられたのも、結局は、僕一人の力じゃない。
だから……、僕は。
できるだけ、戦争ではない手段で勝っていきたい」
人間には得手不得手というものが、どうやらあるらしい。
少なくとも自分は、戦争については、苦手だ。
明確に実力が上の者がいる。
であるのならば、それ以外の手段で対抗していかなければ、いつかは取り返しのつかない敗北を経験するだろう。
例えば、それは。
ヴィルヘルムが提案してくれるような謀略や、外交的な手段によって、戦略的な要件を整えること。
百戦百勝の、誰もが憧れ、その名を称えるような英雄にはなれないだろう。
しかし、良き統治者になることは、おそらくはできる。
ならば、自分が目指すべきは、その道だろう。
その決意を、別の誰かの前で口にするつもりはなかった。
ただ、ルーシェにだけは。
彼女にだけは、自分には弱いところがあることも、それでも前に進みたいのだということも、知っていて欲しかった。
「戦争が下手でも、苦手でも、よろしいのではございませんか? 」
すると、ルーシェは柔らかく微笑んでくれていた。
「私は、正直なところ、戦争は好きではありません。
必要なこともある、とは思いますけれど……。
やっぱり、人が傷つきますから。
それに。
……もしも、エドゥアルドさまがいなくなったら、って思うと、心配で、たまらないのです」
青年の肩にそっと彼女の腕がまきつき、地肌を通して互いの熱が心地よく伝わって来る。
「オルタンシアの戦いで。
途中から、帝国軍の負傷兵の後送が止まってしまって。
私、なにかあったんじゃないか、って」
ルーシェの声が少し涙ぐむ。
エドゥアルドがタウロの街で包囲されていた時、彼女はカニョンにいた。
そして補給団列が戦闘に投入された状態では、当然、戦場から後方へ負傷兵を輸送するのも止まってしまう。
そういった、通常であれば機能してくれるシステムが止まる、ということは。
それだけの事態が起こっているのを示唆している。
例えば、———タウゼント帝国軍が戦場で壊滅している、とか。
「ルーシェ」
エドゥアルドはその場で体勢を変えると、自らも腕を回し、強くルーシェを抱き寄せていた。
「これからもきっと、戦わなければならないことはある。
今のヘルデン大陸は、そういう時期なんだ。
だけど……」
「だけれど? 」
「この戦乱の時代が終われば、長く平和な時間が来るようにする。
僕は、そういう指導者になる」
数十年、できれば、数百年。
無用な戦闘のない、起こらなくて済む世の中を作れれば、誰かにこのような心配を刺せなくて済む。
「エドゥアルドさま」
真剣な青年の瞳を見て、ルーシェは嬉しそうに笑う。
それから二人は、そっと口づけを交わす。
起き出さなければならない時間には、まだ、少し早かった。




