・3-12 第31話:「国債」
・3-12 第31話:「国債」
タウゼント帝国がいつの間にか抱え込んでいた、膨大な借金。
当面の間対外拡張は目指さず、内政に努め産業を育成し、国力の増強を図るというエドゥアルドの方針が採用されたのは、背に腹は変えられない、このような事情があったからだった。
そして、財政という見地からこの方針に大賛成した財務大臣、ディートリヒには、帝国が抱える借金を返済するための腹案がある様子だった。
「帝国の名で、債券を発行する……? それでは、借金を返済するために、借金をする、ということになるのではないか? 」
「いいえ、陛下。これは、投資です」
最初にその構想を聞いた時には耳を疑ったが、しかし、三十九歳という若さで抜擢された彼は、自信満々に答えたものだ。
「借金を返済するために借金をする、というのは、最悪の手段です。なぜなら、利息の分、雪だるま式に債務が増大していくからです。我が帝国の財政は、まさにそういった行為を慢性的に行わねばならないほどに悪化しております」
「貴殿は、投資、と言ったな? その、国債、というのは、どういうことなのだ? 」
「国債とは、国家が発行する債券です。債券とは有価証券の一種で、一定の金額を貸し付けることと引きかえに、決まった金利での利息を受け取り、満期が来たら元本の返済を受ける、というものです。この点では一種の借金であることには間違いありませんが、陛下、私はこの国債を資本家たちの新たな投資先として提示し、そうして得た資金をさらに、国家の発展のために、政府主導での投資に用いたいと考えております」
「まるで、巷の資本家たちがやっているようなことだな……。どこかの、株式でも買うのか? 」
「そうではありません。……発行したで得た資金で、インフラの整備を行ったり、産業を育成したりするのです。そうして経済を発展させ、税収を増大させることによって、借りた金額に約束した利息をつけて返済いたします。つまりは、民間の資金を用いて、国家の発展を促進するのです」
現状のタウゼント帝国の財務状況では、限られた収入の中から産業を育成するための資金を拠出することは、容易なことではない。
出せたとしても現状では、決して満足のいく額とはならない。
それでは、経済の成長は微々たるものに留まってしまうだろう。
だから国債を発行し、必要な金額を確保して一気に財政出動をして、成長率を底上げする。
たとえば、借金を増やさないように支出を抑えた場合に国家の経済規模は毎年五パーセント成長するが、国債を発行して成長を促進させれば、十パーセントの成長が見込めると仮定する。
一年後には、前者の経済規模は百五パーセント、後者は百十パーセントに。
二年後には、百十パーセント強、百二十一パーセント強に。
その差は年々、広まっていく。
十年後には、前者の場合の経済規模はおよそ百六十三パーセントに過ぎないが、後者では二百六十パーセント弱にまで達する。
今後十年で、現在のタウゼント帝国のほぼ一国分の経済規模の差が誕生するのだ。
当然、将来的に得られる税収にも、はっきりとした違いが生まれて来ることだろう。
これは極端な例ではあるものの、将来、利息を含めてこちらも得になるほどの成長が見込めるのであれば、国債を発行する方が総合的に見ればプラスになる、ということだった。
「特に、私は返済期日を十年後とし、金利を固定した債権を発行したいと考えております。通常の借金とは異なり債券を発行した時点で確約した率の利息を、民間の市場の利率の変動によらず支払わなければならないという制約はございますが、帝国の経済が順調に成長し続ければ、歳入もそれに比例して増え、国債も余裕をもって返済することが可能となります。元々十年後に返済する、と約束して発行した債券ですから、債券を持つ側の都合で急に資金を引き揚げられるということもなく、その間は安定した予算として用いることが可能というのが、普通の借金とは違った強みになります」
「理屈としては理解できるが……、果たして、今の帝国から債券を購入してくれる者がいるだろうか? 」
国債を発行して経済の発展を促進すれば、より早く国を豊かに、強くでき、財政の再建もかえって早まる。
ディートリヒの構想は魅力的ではあったが、しかし、問題はその点だった。
すでに帝国の財政は傾きつつあり、一部では、借金の返済のために新たに借金をする、という段階にまで達してしまっている。
これは、戦争という臨時の大きな出費が立て続けになってしまったからであり、目立ったことをせずに細々とやって行けば立て直しは可能ではあったが、この上さらに金を借り受けるとなると、外から見ると非常に危険な行為に映るだろう。
もし国家の運営がうまくいかず、財政が破綻してしまえば、国債も回収の見込みのない不良債券と化してしまう恐れがある。
世の資本家たちが、果たして、今のタウゼント帝国の財務状況を見て、喜んで資金を預けるとは思えなかった。
「ご懸念はごもっともです、陛下。他のお方が国家元首であれば、難しかったでしょう」
「他の者であれば……、ということは、僕が代皇帝であれば可能だ、ということなのか? 」
「左様です。陛下には、すでに実績がございます。故国、ノルトハーフェンにおいて、立派に産業育成を推進し、経済を豊かになさいました。……世の投資家も、そうした経緯を持つ陛下が発行なさる国債であればと、さほど高くはない利息でも購入するはずです」
要するに、債券を買ってもらえるかどうかは信用の問題であった。
払った金が確実に返済されて、きちんと利息がつくと信じることができれば、人はその債券を買うし、そうではないと思えば、よほど利息が高く、リスクに見合うリターンが得られなければ買わない。
だが、エドゥアルドには人々からの信用を勝ち得るだけの実績があった。
ノルトハーフェン公国の経済はこの数年、確実に成長し続けていたし、その力は帝国の人々ならば知らない者はいない、というほどにまでなっている。
他の貴族が国家元首になっていたのならば、国債の売れる見込みは小さかっただろう。
だが、帝国で最も産業の育成に成果をあげた少年であれば、受け取った資金を有効活用し、国家を大きく発展させることができるかもしれない。
そうなれば元本は確実に返済されるし、利息も受け取ることができ、債券を買った者の懐は暖まる。
———エドゥアルドは、なんだかこそばゆかったし、少し不審な気持ちだった。
ディートリヒにおだてられて、言葉巧みに誘導されているような気がしたからだ。
だが、結局はこの新任の財務大臣の提言を受け入れた。
帝国を刷新するための資金はいくらでも必要であったし、なにより、ディートリヒはそもそも私生活では倹約家、愛妻家として有名で、身に着けている衣服も専門の職人には頼まず、妻がハンドメイドしたモノをなるべく使用しているほどだったからだ。
そんな人物が、エドゥアルドを担いで、なにか悪企みをするとも思えない。
世の投資家が代皇帝の将来性を見込んで債権を買うのだとすれば、代皇帝はディートリヒの人間性を見込んで、彼の方策を採用することに決めた。
一応、他の臣下たちにも相談してみて、反対意見もなさそうだということを確認してからではあったが、少年代皇帝は多額の国債を発行し、資本家たちに新たな投資先として提示した。




