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・16-15 第282話:「これを、ルーシェに:2」

・16-15 第282話:「これを、ルーシェに:2」


 突然、目の前に差し出されたネックレス。

 揺らめくランプの灯に照らされて、静かに輝いている。


 銀を思わせる美しさ。

 素人目にも、それを作った職人が丹精込めて、時間をかけたのだろうと分かる、精緻な細工。

 だが下品ではなく、身につける者を優美に引き立ててくれるのに違いない。


 たとえるならば、そう。

 夜道を照らす、月光のような装飾品だった。


(わぁ~。きれい! )


 それを目にしたルーシェの第一印象は、そんな、少女じみた無邪気なものだった。

 すっかり大人の女性になってきたとはいえ、まだまだ、成熟しきっていない部分が残っている。


 だが、すぐに。

 エドゥアルドがこれを自分に渡そうとしているのだという事実に気づくと、表情を青ざめさせていた。


「……ぇっ!?

 えええ~っ!?

 こ、これを、私に、で、ございますかっ!? 」


 今が夜の十時近くであるというのも忘れて、思わず、そう叫んでしまう。

 防音設備のしっかりとした部屋でなければ、警備の者がすっ飛んで来たところだっただろう。


 慌てて自身の口元を抑えたメイドは、小刻みにブルブルと震えていた。


 エドゥアルドが自分に、ネックレスをくれるという。

 それも、素人目にも分かるほどに手の込んだすばらしい逸品で、美しく、銀色に輝く、いかにも高価そうな品物だ。


 嬉しい。

 そう思う気持ちは、当然、強くあった。

 だが同時に。

 分不相応だ、という感情が、より強く湧き出て来る。


「い、いただけません、そんなに高価なものなんて!

 だ、だって、私は……っ! 」


 メイドだから。

 スラム街でその日暮らしをしていたような、取るに足らない存在だから。

 仕えている主人からこれほどの宝物をもらえる道理など、ないではないか。


 戸惑う彼女だったが、それ以上は言葉を続けることができなかった。

 自身を見つめる青年の瞳が、あまりにも真剣だったからだ。


「ルーシェ。

 僕は、これを、君に。

 受け取って、欲しいんだ」


 一度実行に移したことで、いろいろと吹っ切れたのだろう。

 エドゥアルドはたどたどしくも、真っ直ぐな強い感情を乗せて言葉をつむぐ。


「このネックレスを身につけるのにふさわしい人は、誰なのか。

 僕だって、ずいぶんと悩んだんだ。

 だけど、いつだって答えはひとつに行きついた。

 それは、ルーシェ。

 ルーシェ以外にはいなかったんだ。

 だからこれを、ルーシェに受け取って欲しい」

「え、エドゥアルドさま……」


 本当に、本当に、自分がこれほどのものを受け取ってよいのか。

 ルーシェはまだ現実に起こっている事態が理解できないといった様子で、消え入りそうな声で主君の名を呼ぶ。


 そんな彼女の首筋に。

 青年はそっと、やさしくネックレスを身につけさせる。


 それから彼は、満足そうに。

 何か大きな事を成し遂げたかのように充実した笑顔を浮かべていた。


「やっぱり。

 よく似合っているよ、ルーシェ」

「……あ」


 これは、真実、自身のものなのだ。

 そう実感できた瞬間、ルーシェの双眸そうぼうからは、はらりと涙がこぼれ落ちていた。


 今まで。

 本当に、いろいろなことがあった。


 メイドとして働く日々。

 ノルトハーフェン公国で、タウゼント帝国で巻き起こる騒乱や、動乱。

 一緒に戦争に行ったこともあるし、大勢の負傷兵を手当てし、———時に、その最期を看取らなければならないこともあった。


 さらには、海で遭難して。

 そんな人々がいるとは想像したこともなかった、肌の黒い人々とも出会った。


 長く、様々な出来事に巡り合った数年間。


 それでも、これほどに嬉しいことは、他には一度も無かったかもしれない。


 いや。

 一度は、あった。


 それは、エドゥアルドから初めてプレゼントをもらえた時のこと。

 ひと巻の、青いリボン。

 自分は他のどこにも行く必要が無く、ここに居ても良いのだと。

 そう証明された日のことは、鮮明に覚えている。


 今日は、それと同じ。

 ———それ以上に、嬉しい日になった。


(私は、ここに……!

 ここに、いていいんだ! )


 その事実がじんわりとルーシェの心を暖めて。


(ずっと、エドゥアルドさまのお側にいても、いいんだ……! )


 この現実が、辛かったことや悲しかったことをすべて、一瞬で消し去っていた。


「ずっと、僕の側にいて欲しい」


 感激のあまりとめどなく涙を零しているメイドの頬に優しく触れ、涙をぬぐうと、青年は飾り気のない言葉でそう言った。


「僕には、ルーシェが必要だ。

 ルーシェのいない日々なんて、考えられない。

 だから、これからも、ずっと。

 僕と、一緒に」

「はい……!

 はい!

 エドゥアルドさま! 」


 ルーシェは何度もうなずき、その度にポニーテールが激しく揺れた。

 自身がここに居ていいと常に証明してくれる、青いリボンで束ねられた黒髪。


 ずっと一緒に居て欲しい。

 そのエドゥアルドの申し出を、断る理由など一片たりともなかった。


 彼は、メイドにとっての主人。

 そんな関係からスタートしたが、時が経つにつれて大きく変容した。


 この世界でただ一人。

 生涯をかけて支えたい、たった一人の相手。

 その幸福を常に願い、笑っていて欲しいと思わずにはいられない存在。


 ルーシェにとってエドゥアルドがそうであったように。

 エドゥアルドにとっても、ルーシェはそうであったのだ。


 そのことが、たまらなく嬉しかった。


 断るはずなんてなかった。

 そうなったらいいのにと、何度、願ったのかもわからないほどなのに。


 自分のどこからこれほど染み出て来るのかわからないほどにルーシェは泣いて。

 エドゥアルドはずっとその隣で、抱きしめてくれていた。


 そうしてようやく、メイドが泣き止んだ時。

 青年は少し申し訳なさそうに、バツが悪そうに。

 背は彼の方が高いはずなのに、どういうわけか上目遣いになりながらこう言っていた。


「それで、その……。

 ルーシェ。

 今夜はこのまま、ずっと、僕と一緒に居て欲しいのだけれど」

「……そ、それって」


 瞬時にその意味を悟り、ルーシェはびくり、と肩を震わせ、驚いた顔でエドゥアルドのことを見つめる。

 それから一瞬だけ視線を逸らし。

 次いで、頬を赤らめ。


 小さく、小さく。

 うなずく。


「……はい。

 エドゥアルドさま」


 その日。

 メイドは、自分の部屋に帰ることはなかった。


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