・3-6 第25話:「国運を背負った男」
・3-6 第25話:「国運を背負った男」
ルーシェがサイモン伯爵を呼びに行っている間に、エドゥアルドは着替え直していた。
相手が本当にバ・メール王国の臣なのか、それとも詐称しているだけなのか、それはまだ確定はしていない。
だが、もしも隣国の、それも実質的には同盟関係にある国家に属する諸侯であるとすれば、当然、会うには相応の形式というものを整えなければならない。
「すっかり、アイツに頼りきりになっているな……」
代皇帝は自分だけでも身なりを整えることができるのだが、普段はメイドに手伝ってもらっているために、気づかないうちに不器用になってしまっていたらしい。
鏡の中の自分とにらめっこをしながら何度か曲がったネクタイを直し、やや不格好だがどうにか納得できる形にまで整える。
ちょうどそのタイミングを見計らったかのように、コンコンコンコン、と四回、丁寧なノックがされた。
「エドゥアルドさま。サイモン伯爵をお連れいたしました」
「通してくれ」
そう答えながら応接用のテーブルとソファが並べられている場所に移動すると扉が開かれ、メイドに案内されて一人の男が恭しい、だがただならぬ気迫のこもった様子で入室してくる。
その後に、少し不安そうな顔のルーシェと、平然とした様子のシャルロッテが続く。
赤毛のメイドまでついて来たのは、おそらくはエドゥアルドの警護のためだろう。当然危険な物品の持ち込みはさせていないはずだが、念には念を入れて、ということらしい。
(聞いていたほど、酷い身なりではないが)
メイドの話では浮浪者と見間違うほどの恰好だったということだったが、今のサイモンの姿はそれよりはずいぶんマシになっていた。
金髪はある程度整えられていたし、衣服も、洗濯はされてはいないが表面を拭くか何かしたのか、上質な素材が使われていることが分かりやすくなっている。それに、無精ひげも剃られていた。
どうやら代皇帝の帰りを待っている間に、できる限りで身なりを整えたらしい。
「このような夜更けに拝謁をお許しいただき、バ・メール王国が臣、サイモン・ハルドゥ伯爵、恐悦至極に存じます」
ソファの脇に立って出迎えたエドゥアルドの姿を目にして固唾を飲み、それから話のできる距離まで進み出て来ると、その場にサイモンは跪いてみせる。
(なるほど、本物の貴族だ)
その仕草から、宮仕えに慣れた者の気配を感じ取り、エドゥアルドは、目の前にいる男が本物の伯爵であると信じる気持ちになっていた。
「そうかしこまらないでいただきたい。ここは公的な場ではなく、私的な場です。もっと楽にして欲しいのです。どうぞ、こちらへ。その方が、僕としても話しやすいですから」
「いえ、この場で、結構でございます」
代皇帝はソファを勧め、自身も腰かけて見せたが、伯爵は跪いたままその場を動かない。
てこでも動きそうにないな、と、その強固な意志を察した少年は周囲にバレないように肩をすくめると、気を取り直して言葉を続けた。
「話は聞きました。どうやら、どうしても僕に聞き届けて欲しい願いがあるとのことですが」
「陛下っ! どうか、我が国をお救い下さい! 」
そして、たずねられるや否や。
サイモンは叫ぶように答えると、その場に自身の頭蓋を叩きつけるようにひれ伏していた。
「陛下もご承知のこととは存じ上げますが、我が国はアルエット共和国軍によって侵攻を受けております! 戦況は思わしくなく、我が主君、アンペール二世陛下は、十万、いや、五万でかまわぬから、援軍をいただけないか要請して参れと、私めにご命じになられたのです! まさに、我が国の国運は、陛下のお力におすがりする他、望みはないという状況……! どうか、どうか、お力添えを! 」
(これは、確かに、危急の要件だな)
その姿、切実な言葉に、エドゥアルドは伯爵がこの部屋に入って来た時の気迫の理由に納得していた。
しかし、いくつか疑問もある。
「話は理解しました。ですが、サイモン伯爵。なぜそのようなお姿を? 」
「それは……っ。実は、私が王よりの命令を受け、祖国を出ましたのは、折しもカール十一世陛下が不慮の事故にお遭いになられ、タウゼント帝国で内乱が勃発するのと、時を同じくしてでございまして……。お恥ずかしながら、どなたのお力にすがればよいのか、あちこちたらいまわしにされた挙句、路銀もなにもかも尽き果ててしまいました次第で……」
どうやらこの伯爵が帝国にやって来たのは、もう、何か月も前のことであるらしい。
巡り合わせが良くなかったのだ。国家元首である皇帝が突如として意識不明になり、帝国が混迷に陥る中、そうと知らずに母国を立ってしまった彼は誰に援軍を求めればよいのかわからずさまよい、役目を果たさない内は帰国もできず、手持ちの資金を使い果たして路頭に迷っていたのだろう。
それが、ようやくエドゥアルドの前にまでたどり着いたのだ。
サイモンは文字通り必死だった。
国運を、王家と数百万の民衆の未来を背負って、彼はここにいる。
「陛下! どうか、我が国をお救い下さい! 」
額を床の上にこすりつけて。
貴族としての見栄を捨て、必死に、主君の、祖国のために懇願する。
その姿は、胸に迫るものがあった。
貴族であれば誰でも格式を重んじ、このようななりふりかまわない姿を見せようとはまず考えない。
忠良なのだろう。
サイモンは主君に対し、そして祖国に、そこに暮らす人々に対して忠実であり、良心的であるからこそ、こうして年少の代皇帝に懇願している。
伯爵の姿に、その場にいた全員が同情していた。エドゥアルドは沈痛な表情をしていたし、ルーシェも心底から心配して瞳を潤ませ、普段はあまり感情を見せないシャルロッテでさえ気の毒そうにしている。
———だが、代皇帝は、冷徹な事実を突きつけなければならなかった。
「サイモン伯爵。貴殿のお言葉は、確かに聞き届けました。我が国としても、バ・メール王国とは浅からぬ間柄です。可能な限りのお力添えをするべきと考えます」
「おおおっ! そ、それでは……っ! 」
「しかし、……誠に残念ですが、貴国をお救いすることはもはや、叶わぬことでしょう」
艱難辛苦の果てに、ようやく使命を果たすことができる。
そう思って表情を明るくし、思わず顔をあげたサイモンに、エドゥアルドは心底から無念をにじませながら、今日、自分がここまで遅くまで帰ってくることのできなかった原因となった事実を伝える。
「本日、知らせが入ったのです。……バ・メール王国は、アルエット共和国によって完全な占領下におかれ、国王・アンペール二世陛下も、捕らわれの身となった、と」




