幕間:従者の心情
「よし、始めよう」
宿の一室、椅子に座りテーブルと向かい合い、アンジェは報告書の作成を始めた。内容としては勇者ユークと無事接触できたこと。そしてユーク自身から旅についてこれるかどうかを試され、その際に凶悪な魔物と遭遇したこと。
ユークはその魔物について懸念を持ち――と、その辺りのことを記していく。
内容としては簡素であり、アンジェの私見などは一切なく、淡々と起こったことを報告する。それは最終的に極めてシンプルな報告書となり、出来映えはアンジェ自身も納得がいくものだった。
「完成と。思った以上に早く書けたな」
アンジェは呟きつつ報告書を丁寧に折りたたむ。後はこれを騎士団のいる詰め所に持って行き、所定の場所へ送るようお願いすればいい。
報告書の封については事前に購入しておいた物を使用し、見た目的に重要書類だとわからないようにする――そう事前に指示を受けていた。ユークが出奔したことは隠す必要があるためだ。
「さて……」
次にアンジェは休もうとしたのだが――ふと、今日の戦いを思い出した。骸骨騎士との戦いは、自分の思い通りの戦い方ができた、と自信を持って言えた。
「今まで単独で魔物と戦った経験はなかったけれど……無事討伐できたのは、評価すべきことだよね」
そう、彼女はユークと同い年であり、実戦経験については数えるほどしか経験していなかった。しかしそれでも、アンジェは見事対応した。難敵である骸骨騎士を易々と倒せたことは、明確な自信に繋がった。
「でも……次の魔物は……」
声のトーンが落ちる。次に現れた存在。それはアンジェから見ても、身を竦ませるほどの力を持っていた。
あの正体が何であるかはわからない。だが、恐ろしい存在であったことは理解できる――アンジェは鍛錬を通じて様々な騎士や戦士と手合わせをしたことがある。現役の勇者と戦ったこともあり、さすがに勝つことはできなかったがそれでもあと一歩のところまで追い込んだ。
そうした技量があるからこそ、今回ユークの同行者として白羽の矢が立った――年齢的にも魔の者と繋がりがないだろう、と彼自身が考慮することも計算した上での人選。そしてアンジェは彼に認められたわけだが、
「まだまだ、精進しなければ」
相まみえた恐ろしい魔物。一目見た時、アンジェは動けなくなった。現役勇者と戦える実力を持ちながら、瞬間的に恐怖を抱くほどの敵。
けれど――その魔物を、ユークは見事粉砕してみせた。それを間近で見たアンジェは、胸の内に熱と言い知れぬ感情がこみ上げてきた。
「……っと、いけないいけない」
気付けばあの鮮烈な光景が脳裏に蘇り、頭を小さく振る。よくよく彼女の姿を見れば、どこか興奮しているし顔はほのかに紅潮しており――誰かが見れば、こう思ったかもしれない。恋する少女だと。
しかしながら、他ならぬアンジェ自身はそう思わなかった――というより、この感情が何であるか、具体的に理解できていなかった。もし気付いてしまったらユークが察していたかもしれないが、幸か不幸か彼女に自覚がなかったため、この感情が気取られることはなかった。
アンジェはユークと同様に、幼少から厳しい鍛錬をこなしてきた。それを彼女自身厳しいとは思わなかったし、それが普通であると考えていた。ユークのように外へ抜け出せばこれに思うところは出たかもしれないが、アンジェは今回の任務に就くまで自分の境遇を疑うことをしなかった。
そして剣と魔法を修練し続けた結果、恋愛云々ということはまったくわからない――そういうものがあると教育は受けているが、自分自身が恋などしたことはない。
現在の感情が何かと言えば、おそらく憧れだろうとアンジェは思う。圧倒的な力を持つ史上最強の勇者ユーク。ならば自分のすべきことは、彼の従者として魔の気配を追い、任務を全うすることだ。
それに対し、彼を尊敬し尽くすのは当たり前である――という結論に至り、思考を一度リセットした。
「とはいえ、ついていけるのかな……」
旅についての不安はない。認められたという事実があるので、彼に従おうという気もある。
しかし、今日遭遇したあの魔物――今後、ユークと共に戦うのであれば、ああした魔物が再び出現するのではないか。
「私以上にふさわしい人とかいるんじゃないのかな……?」
そう口にしてみるが、もしそうであれば――ユークに判断してもらうべきだろうかと考える。
「うん、よし。明日、相談してみよう」
アンジェはそう決めた。旅についていけない、と判断されればおとなしくそれに従うおうと考える。
ただ、それでも――アンジェはふと今日の戦いを思い返し、ユークの鮮烈な剣術をまぶたの裏に蘇らせる。そんなことをする間に日が暮れ、やがて一日が終了したのだった。