旅6日目
八月二十九日・六日目
ニュー・デリー~
けたたましい音で目が覚めた。窓から顔を出すと、ちょっと下の壁に取り付けられたスピーカーから、大音量でインド音楽が流れている。そのうち止んだが、いったい何なのだ?目覚まし代わりにはなったが、まだ起きる時間ではなかった。もう眠る気もしなかったので、通りを眺めながらタバコをふかしていた。そしてふと、ホテルの住所が分かることに気付いた。
ホテルと同じ通りの十mと離れていない土産物屋で、店番の少年の写真を送るために書いてもらった住所があるのだ。急いで手帳のページをめくる。インド、アグラ、タージ西門、そして土産物屋の名前。それだけである。念のため、リクシャーのオヤジの住所も見てみる。やはり同じ位簡単な物だ。
インド、アグラ、通りの名前と、彼のボスの土産物屋の名前。その住所宛てに手紙が届くのである。土産物屋の名前を、ホテルの名に変えれば確実に届く。国内だから、日数も掛からないだろう。ほっと一安心し、起きてきたノボルにそれを告げる。郵便局から出すよ、と鍵を土産のガネーシャの置物の入っていた古新聞に包み紐で結わえる。事情を書いた手紙をはさんだ。
送り方は郵便局で聞けばいい。とにかく気が楽になった。今日一日、メイン・バザールを歩ける。
ノボルが大きなリュックに荷物を纏めるのを待って、チェックアウトした。私は元々、小さなリュック一つだったが、彼もリュックをフロントに預け、身軽な格好で通りへ出た。
まず銀行である。リクシャーのたまり場へ行って、近場で両替え出来る銀行までいくらで行く?と聞くと、今日はやっていない、と言う。
何で?
祭りだからさ。
祭り!
クリシュナズ・バースデーは今日も続いていたのだ。それで通りに飾り付けがしてあったり、音楽を流したりしていたのだ。非常事態発生である。私の所持金は、数十ルピー、現金で二ドル、あとはトラベラーズ・チェックである。闇で両替えする手もあるが、二ドルごときではしょうがない。トラベラーズ・チェックで替える訳にもいかなかった。非合法な場所に流れたら、発行会社の信用を落とすことになってしまうのだ。変なところで、トラベラーズ・チェックの欠点を発見してしまった。銀行が無ければただの紙。
まず合法的な方法を探さなければならない。どうしたものか考えていると、リクシャーの車夫の一人が、開いている銀行を知っていると言う。ノボルはそれを聞くと、もし闇両替えだったり、その銀行が閉まっていたりしたら金は払わない、と車夫に言う。
場所は高級ホテル内にある銀行だった。値段の交渉をしていると、他のリクシャーたちが寄って来て混ざる。結局最初の車夫がノボルの言い値を受け入れた。ノボルは、行きましょう、と言って車に乗り込んだ。客を取り損ねた車夫の一人が私に、あいつ(車夫)は頭がおかしいんだ、と苦し紛れに言い、人差し指をこめかみのあたりでくるくる回した。
リクシャーで走ると、確かに通りにある銀行は閉まっていた。と言うことは郵便局も閉まっていると言うことだ。明日発つ前に送ることにしよう。
地図で見ると近く思えたので片道しか雇わなかったが、目的のホテルは市街から随分離れていた。とても歩いて帰れる距離ではない。ホテルの入口で待たせ、帰りも乗って行くことにする。
車夫は、私はここでは待てないから、あそこで待っている、と少し離れた所を指さした。どうやらリクシャーはホテルに横付けは出来ないらしい。
自動ドアをくぐり、クーラーの効いたロビーに入る。Ashok Hotel、ノボルのガイドブックによれば、日本円で七千円、ルピーでは二千近い、高級ホテルである。さすがに落ち付いていて、大きなロビーの脇にはブティックなどが並んでいる。
奥まった場所にある銀行に着き、カウンターにトラベラーズ・チェックを出すと、男はそれをちらりと見て、使えない、と言う。私の持っていたのはマスターカードの物、ノボルも同じである。仕方なくノボルはドルで替え、私は成田からの電車賃である日本円で両替えした。
とりあえず野宿は避けられた。ホテルを出る時、ノボルは、七千円かあ、泊まってみようかな、と言って高い天井を見上げていたが、とりあえずメイン・バザールまで戻ることにしたようだ。彼も大学の休みが終わるので明後日三十一日に日本へ帰ると言う。安くあげる旅がうまい旅とは限らないか、、、。見方を変えれば、一流ホテルに、わずか七千円で泊まれるのだ。
車の中で、リクシャーの相場を聞いてみた。例え日本のタクシーのように初乗りとその後の料金が決まっていたとしても、距離が分からなければどうする?と言うと、何台かのリクシャーに目的地までいくらで行くか聞いて、その値段から交渉して下げていけばいいんだ、と教えてくれた。
また、彼は、何かの拍子に、情報は多い程いいんですよ、とも言った。情報を集めて、素早く対応する。今回の両替えの一件でそれを見せつけられた。思わず尊敬の眼差しを送ってしまう。
元の場所へ戻って来た。ここで別れることにした。いろいろありがとう、と言うと、何でも無いですよ、と答えてどこかへ歩いて行った。
私もまた、歩き始めることにした。どちらへ行こうか、とその場に立って考えていたが、目の前にある映画館に人が溜まっていた。看板からすると、陰謀うごめくアクション物らしい。映画を観るのもいいな、と思い人の中へ割って入る。椅子に座って客を仕切っている男に何時から始まるのか聞いてみた。
次の回はすぐ始まるがチケットの販売は終わっている。その次は三時、六時、九時。チケットの販売は三十分前に始まるから、その頃来い、と言う。料金は十五ルピーだった。
溜まっていた人々は館内に入り始めた。通りからそれを眺めていると、男が声を掛けて来た。見ると、さっきのリクシャーの車夫である。てっぺんまで禿げ上がった頭と、前歯が四本程無かったので覚えていた。
俺が券を買って来てやるよ、チケット代七十五ルピーと税金が五十ルピー掛かるのだ。言葉を発するたびに、歯の抜けた間から、舌がちょろちょろ出たり入ったりする。空気が漏れて、聞き取りにくい。男は私の手帳に料金を書いた。正規の十五倍も吹っ掛けている。馬鹿言うな、要らないよ。ノー、と言って男から離れる。チケット売り場のすぐそばでこんなことを言うのである。
賑やかな通りへ入ってみる。ハート形をした揚げ物の菓子を買ってみる。百グラム三ルピー。ぶらぶらしていると、インド人の男が日本語で話し掛けて来る。自分は大学生であると言う。
映画を観るつもりだったけど、次は三時からだそうです、などと話していると、後ろから呼ぶ声がする。振り返るとサングラスを掛けた白人が立っている。サングラスを外したら、覚えている顔。昨日の夜、ニュー・デリー駅で別れたジェームスだった。
これから何か用事でもあるのか?と聞かれたので、ない、と答えると、何か飲まないか、と言う。彼は近くのホテルの一階の食堂に案内した。
客はツーリストだけだった。隅にあるテレビではマイケル・ジャクソンが白黒の画面で踊っている。腹が減っていた。
もう昼過ぎだったが、朝食のフルセット、と言うのを注文する。トースト二枚、目玉焼き二個、パイナップルと牛乳をミキサーに掛けたようなジュース、コーヒーが付いて二十五ルピー。ジェームスはソーダを頼んだ。食べながら話をする。これから、変更したチケットを受け取って、明日、アグラへ戻ると言う。しかも同じホテルへ。
本当?それなら頼みがあるんだけど、、、と鍵のことを話す。
問題ない。届けるよ。
サンキュー、助かった、と言って鍵を託した。
ここに泊まってるの?
ああ。
いくら?
ダブルで百五十ルピー。
シングルはあるのかな、と聞くと、よかったら一緒に部屋を使わないか、、、二人なら、一人七十五ルピーで泊まれる。そうしてくれると僕も助かる、と言う。願っても無い申し出であった。
オーケー、そうするよ。
食後のコーヒーが届く。インスタントの粉が山になって浮かんでいるのをかき混ぜて飲む。インドではチャイよりもインスタントコーヒーの方が高級だとみなされていると聞いたことがある。これがそうなのだろうか。そう言えば、一昨日のパラシュートのホテルでも、チャイと紅茶は同じ二ルピーだが、コーヒーは四ルピー、アイスコーヒーになると、その倍の八ルピーに跳ね上がっていた。ありがたく頂くことにする。
飲み終わってから、チェックインし、部屋に入った。狭い面積の七割位を二つのベッドが占め、木の椅子と小さな机が置かれている。開閉できる小窓が廊下側に二つ、反対の壁には鏡が付いている。シーツもそんなに汚れてはいなかった。室内を見回していると、これからコンノート・プレイスに出るけど、どうする?と聞かれる。本屋に行ってからチケットを受け取ると言う。ヒンズー語の辞書が欲しかったので一緒に出る。
オートリクシャーで行った。金を払う段になって、二人とも大きい札しか持っていなかった。車夫も釣りが無いと言う。五十ルピー札を渡して、崩して来てもらうことにしたが、どこでも断られる。
百ルピーなら替えてくれるかも、、、と言うので札を取り換えると、さっきまで両替えを拒んでいた男の一人が、何故かすんなり崩してくれていた。不思議だ。さんざん駆けずり回った彼に、車代十五ルピーとは別に、二人で五ルピー余計に渡した。
本屋に入る。店の男に、ヒンズー語の辞書が欲しいんだけど、と言うと一冊出して来た。百科事典サイズで、とても持って帰れない。もっと小さいのは?と言うと探してくれた。パラパラとめくってみる。それでいいのか?とジェームスが聞く。う~ん、ヒンズーを英語に、英語をヒンズーにというのが欲しいな、と言うと男に伝えてくれる。私はその辞書、ジェームスはペーパーバックを買って店を出た。
ホット、と彼は言った。クーラーのある所で、何か飲まないか、、、。
高級レストランに入った。ドアマンが扉を開けてくれる。よく冷えていて、店員もビシッと蝶ネクタイをしている。メニューを見ても結構な値段である。ソーダを頼むが、ウェイターは、何か食べ物は?飲み物だけではだめなのだ、と言う。当たり前だが英語の堪能なジェームスが尋ねたところ、ティーを取れば問題ないと言うので、ソーダと、紅茶をポットで頼む。
ジャパニーズフードの項目があったので、メニューを下げるのを待ってもらい手帳に写す。ローマ字だったり、英語とチャンポンだったりする料理名の下に説明書きがしてある。
Okaiyo 、、、ライススープを混ぜた物 オカイヨー?
Yaki Gyoza 、、、鶏肉、豚肉または野菜を詰めた団子を茹でた物
Moyashi 、、、茹でた豆の芽を醤油で調理した物
この他に、Mixed Mizutaki、Ebi Tempura、Sukiyakiがある。写し終わると、ウェイターはメニューを下げた。
ソーダと紅茶を交互に飲みながら、ジェームスは私の辞書をパラパラとめくる。
読めるのか?
読めないけど、テキストを持ってるから、いずれ読めるようになりたい、と言うと、すごいね、と言う。確かにすごいことだ。今は記号にしか見えない道の看板が、意味を持ち始めるのだから。
これからチケットを受け取りに行くけど、どうする?と言うので、付いて行くことにする。他に用事も無いし、二人でリクシャーで帰った方が安上がりだ。店を出て、通りの店を眺めながらぶらぶら歩く。ツーリスト・インフォメーションでチケットを受け取ってから宿に戻った。
五時を過ぎていた。映画は観に行くのかい?と聞かれる。六時の回を観るならチケットを取りに出掛ける時間だ。
ちょっと疲れたから、止める。駅へ行って時刻表を買って来るよ、と言って部屋を出た。
宿を出る時、名刺をもらっておくことにした。道に迷っても、それを見せて、人に聞くかリクシャーに乗るかすれば帰り着ける。ネームカードをくれ、と言うとフロントの男は従業員の少年に、持って来い、と言った。少年は何故かジュースを持って来て私に渡した。
何だろうと思って瓶を見る。リムカと書いてある。ネームカードが欲しいんだけど、と言うとフロントの男は、何だ、そうだったのか、と渡してくれる。栓を抜いてしまっていたので、リムカと言う名のジュースをもらうことにする。
この次はもっとゆっくり話せ、とフロントの男は笑って言った。ネームカード、早口だったので、リムカと聞こえたらしい。そうします、と言って予定外に出現したライムのような味のジュースを飲んだ。
確かこっちの方角だった、と歩き始めるが、だいぶ行ったところで道を尋ねると、丸っきり反対だった。リクシャーを使えば早いことは分かっていたが、歩きたかった。何度も道を間違えて、ポリスにも、徒歩じゃ無理だ、リクシャーを使えと言われた。そんなことをしているうちに、止めることにした。
薄暗くなって来た通りには祭りのライティングがつき始め、人が増えて賑やかになって来ていた。頭上には銀色のモールが飾り付けられていたり、道沿いに吊るされた豆電球が光っていたりする。あちこちに赤と白の布を被せたゲートが立てられていた。露店の物を焼くうまそうなにおいをかいだり、賑わっている小さな路地を通り抜けたりしながら宿に戻った。
ベッドに座ってタバコを吸って一休みしていると、また行きたくなってきた。
通りは凄いんだよ、と言うと、ジェームスは新聞を読むのを止めて、へえ、と答える。あまり興味が無さそうである。もう一度行って来るよ、と言って通りへ出た。
腹が減っていたので、つい、いいにおいのする方へ近づいてしまう。ホテルの安食堂で夕食を済ますことも出来たが、露店の物を買い食いして歩くことにした。
鉄板の上でバターで焼かれているジャガイモがうまそうに見える。五ルピーだと言う。半分に切って焼かれていたので、それ一つが?と聞くと、皿に盛った物を差し出す。葉っぱを加工して作られた皿に、食べやすく小さく切ったイモが入っている。付いていた楊枝で刺して食べながら歩いた。
日はすっかり暮れていた。小さな電球の明かりが鮮やかに浮かび上がる。昼間はくすんだような色の街が、今は華やかに見える。
通りには日本の縁日にあるような安っぽいオモチャや、花の輪っか、神様の絵ハガキやポスター、メンコなどの露店も出ている。
母親に手を引かれたフリフリのドレスを着た女の子、小さい弟を抱きかかえている少年。楽しそうであった。その鮮やかな色は、同じ年頃でありながら、物乞いの子供のくすんだ色とはひどく対照的だ、とふとそんなことを思った。
あちこちに取り付けられたスピーカーからは、けたたましく音楽が流れている。ハーレー・クリシュナ~、ハーレー・クリシュナ~と神様ソングを大熱唱している。木の棒に商品を取り付けた物売りが、それを頭上にかざしながら売り歩く。たくさんの赤い風車がゆっくりくるくると回っていた。立ち止まって見ていたら、サイクルリクシャーと、荷車に一回ずつ足を轢かれた。
九時を過ぎたので一度宿に戻ることにした。ジェームスは明日早く発つ、と言っていた。私が帰らなければ、鍵を掛けて眠ることが出来ない。でたらめに歩いているのに、何故か宿の方向が分った。
道の端に小さな露店が並ぶ中、体重計を前にして男が座っている。体重計り屋だった。一度は通り過ぎたが、戻って、体重計に乗った。一ルピーだった。男は、動くな、という仕草をし、針が止まると目盛りを読んだ。五十九キロ。減っているかと思ったが、変わりなしだった。
宿の近くの食い物屋でミネラルウォーターを買って外に出ると、昼間別れたノボルが店の前で日本人ツーリスト二人と立ち話をしていた。もう一度礼を言う。彼と同じ部屋にならなかったら、あんなにスムーズには事が運ばなかっただろう。二言三言、言葉を交わしてから、ノボルは大きなリュックを背負って雑踏に消えて行った。
部屋に戻ると、ジェームスはまだ新聞を読んでいた。昼間コンノート・プレイスで英字新聞をどっさり買っていたのだ。そろそろ寝る?と聞くと、ああ、明日早いからね、と言った。まだ歩きたいから、私が外から鍵を掛けてフロントに預けて出る。それでいいかな、と聞くと、問題ない、そうしてくれ、と言う。そしてまた、通りに飛び出した。
カメラは持たなかった。生活の中に、持って入ることがためらわれた。撮る者と撮られる者、ツーリストと、ここで暮らす人々との間に、はっきりと線が引かれてしまうような気がした。せめて今だけは、この街に溶け込んでいたい。
いつか懐かしくなったら、思い出せばいい。忘れかけたら、また来ればいいのだ。
狭い通りの中のちょっとした広場には、布で飾り付けられた小さな舞台があちこちにあった。その上で、体を真っ黒に塗って、顔にもペインティングを施した少年や、金や銀のきらびやかな衣装を身に着けた少女たちが踊っていたり、体をくねらせたりしている。神様を讃えるか、それにまつわる物語を演じているのだろう。舞台の周りには、見物人が溜まっていて、通り抜けるのは骨が折れる。急ぐ必要も無いので、彼らに混じってしばらく見物した。
人通りのまばらな路地で、店先に貸しビデオが並んでいるのを見つけた。インド映画ばかりで、どれもタイトルの書かれた帯のシールは擦り切れていたり、手垢で汚れたりしていた。たぶん、中のテープも擦り切れそうになっているだろう。
果物の露店が並んでいた。リンゴを買うことにして、見栄えが良くて大きいのを積んである店に近づいて眺める。横で袋一杯買っていた少年のリンゴを指さして、こんなには要らないんだけど、、、と言うと三つ袋に入れてくれて、十ルピーだった。
ぶら下げて歩いていると、食材ばかりが並ぶ一本の通りがあった。野菜市場だ。二百m程の真っすぐな通りの両脇に小さな店がぎっしりと並び、野菜や果物が無造作に積まれている。トマト、ジャガイモ、タマネギ、ウリ、リンゴ、レモン、、、。香辛料の量り売りもある。肉を必要としないならば、食事の材料はここで足りてしまうだろう。夕飯時なら賑わっていたのだろうが、夜も遅いので客もまばらだった。買うべき物も無かったが、ゆっくりと見て歩いた。
静かな野菜市場を抜けると、その先は元の騒がしい雑踏だった。方角も決めずに歩いた。熱に浮かされたように、というのはこういうことなのだろうか。気付くともう五時間も歩いていることになるが、少しも疲れは感じなかった。祭りの熱気と、人の発するエネルギーが伝わって来る。もっと見たい。もっと歩きたい。宿に帰って寝る気はしなかった。
店先に引っ張り出して来たテレビの前に子供たちが座ってじっと画面を見つめている。通りの脇にステージが組まれ、大音量の演奏をバックに女の人が歌っている。パナソニックの大きなビデオカメラでそれを撮影するどこかのテレビ局。観客は通り一杯に立ち止まったまま、じっと聴いている。曲が終わっても拍手は起こらないが、楽しんでいる様子は伝わって来る。
自分たちのホテルの真下でそんな大騒ぎをされている二階の泊り客が、まだ終わらないのか、という風に下を覗いている。そのすぐ近くでは液晶ビジョンによるにわか野外映画上映が行われ、観客は自宅から持って来たような椅子に座って、スクリーンを食い入るように見つめている。コンサートの音でセリフはほとんど聞き取れないが、たぶんそれで十分なのだろう。
賑やかな通りを外れた所で、ジュース売りの露店にいた男が声を掛けてきた。
僕を覚えてる?
じっと顔を見たが、覚えていない、と答えた。
自分はラメーシュの弟だ、と言う。えっ!と驚く。
バラナシまで運転手として一緒に行くはずだった、アグラで別れたラメーシュ、、、その弟、、、。何故私を知っているのか不思議だったが、ツーリスト・インフォメーションで会っている、と言う。
元々、人の顔を覚えるのは苦手だし、あの時は初日で全くそんな余裕が無かったのだ。
ソーリー、と言うと、いやいいんだ、、、だけど兄さんは不思議がっていた。何故途中で止めたのかと。
歩きたかったんだ。街の中を、自分の足で。タクシーは、通り過ぎるだけだ。それに気付いたんだ、と言うとそうだったのか、と言う。そうなんだ。今はそれがはっきりと分かる。
ジュースを飲むか?と言う。そういえば喉がカラカラだった。金を払おうとすると、おごりだ、と言った。今日二本目の、リムカを飲みながら色々聞いてみる。
歳は?
二十三。一つ年下なのに、髭のせいもあるが、妙に大人びて見える。
この祭りは毎年あるの?
そうだ。
決まった日に?
いや、日は決まっていない、だけど、、、。
八月末にあるんだね。
そうだ。
この祭りは、何時に終わるの?十一時を過ぎているのに、その気配は全く無かった。
十二時に終わる。十二時になると近くの寺で笛を鳴らすんだ。案内するよ。
飲み終わった瓶を店に返して、付いて行った。小さな建物の中の広間には大勢の人が座っていて、その前に数人の男たちが座り、一人が説教をしている。通りのスピーカーから聞こえた話し声はここから流されているようだ。それを見ていると、十二時までまだ時間がある、この近くにもう一つ寺があるからそっちへ行こう、と歩き出す。
歩きながら聞かれる。
日本にも祭りはあるのか?
あるよ、主に夏のシーズンに。何がいいだろう?派手な物がいい、と思い、竹のスティックと紙で作った巨大な人形を担いで街中を歩き回る祭りがある、とテレビでしか見たことの無いねぶたのことを話す。担ぐ、という英語が出て来なかったので、恰好をして見せる。何とか分かってくれたようだった。
寺に着く。履物を預け、裸足で観覧客の列に並ぶ。ラメーシュの弟は、じゃあ、これで、と去って行った。
入り口に置かれた二m程のゲートの上には、ガネーシャの面を付けた男が横たわり、肘に頭を乗せてこちらを向いている。ゲートをくぐると、中庭には、絨毯が敷かれ、人々が座っている。目の前のステージで女の人が歌っているのを見ているのだ。
中庭の壁沿いに二m程の神様の人形の作り物や、扮装した人々が座っていたりする。その壁と、人々の座っている所の間に通路が作られ、ぐるりと回って見ることが出来る。猿の顔をした神様がいた。後ろの男に、ハヌマーン?と聞くと、そうだ、と言った。
ステージの前を横切る。歌う女の人の脇で女の子たちが踊っている。普段着だから飛び入りかもしれない。
ぐるりと一周して、外に出ようとすると、後ろの男が私の肩をつついて、見て行くか?と聞く。頷くと、男は先導して、客席の絨毯に上がり、座っている人に詰めさせて、席を作ってくれた。座ってステージを眺めた。すぐ後ろに座っていた少年二人が、床に落ちていた花びらを私の頭に振りかけた。オレンジ色の花びらはいい匂いがした。二人を振り返ると、ケラケラと笑う。耳を動かして見せるとまたケラケラと笑った。
歌が中断して、寺の男だか、祭りの役員だかがステージに上がり、何やら述べ始める。ヒンズー語で分からなかったが、えー、今日は、めでたくクリシュナズ・バースデーを迎えることが出来、、、えー、幸い天候にも恵まれ、、、という感じの口調だ。緊張しているのか盛んに咳払いをする。大勢を前にして慣れないスピーチをするおやじの姿は、さながら日本の披露宴を見るようだった。
演説が終わると、また歌が始まる。見物客がぞろぞろと前を横切る。じき十二時だったので切り上げ、笛の鳴る寺へ向かうことにした。後ろの子供たちはもういなかった。
表へ出て、靴を受け取り、寺へ向かう。通り一本隔てただけだったはずだが、さっき見たはずの寺は見当たらなかった。
あたりを探したが、どこにも無い。十二時になったが、笛の音も聞こえなかった。もしかすると、十二時というのは特別な時間ではなく、早めに終わって門を閉めてしまったのかもしれない。笛を吹くと聞いて、ホラ貝か何かをブォ~、とでも吹くのかと思っていたが、もっと小さな音でしめやかに行われたのだろうか?
いよいよ宿に戻ることにした。十二時を過ぎても、祭りは終わる兆しが無い。人もまだ通りに溢れている。いったい、いつまで続くのだろうか?
宿までもうすぐ、という所で、通りの明かりが一斉に消えた。停電か?とも思ったが、これが祭りの終わりの宣言だった。明かりがついている限り人はい続けるだろう。真っ暗になったら帰るほかない。何とも分かりやすく、手っ取り早い方法だ。インドだな、、、と思いながら宿の明かりを頼りに歩いた。
部屋の電気は消えていた。廊下でタバコをふかしてから、そっと鍵を開け、部屋に入る。
真っ暗な中でベッドに横たわって、朝からのことを思い出してみる。アクシデントが次々とあった。そして、一度別れた人たち三人とばったり再会した。
溢れるように人のいる通りの中で、思いがけず再会出来た。あそこで違う道を選んでいたら、、、あと何秒かずれていたら、、、。
全てが偶然だった。旅の日程も、祭りに合わせた訳ではなかった。たまたま、休みと航空券が取れただけのことだった。来てみたら、帰国する前日の夜、一週間の旅のクライマックスに、この祭りが用意されていたのだ。まったく、出来過ぎている、、、。
昨日、アグラでタージの行列を見て、リクシャーのオヤジに、今日は何かあるの?と聞いたことを思い出す。彼は言った。そうだ、今日は、スペシャル・デイなのだ、と。全ての偶然がすんなりと受け入れられた。そうなのだ、、、今日は特別な日なのだ、、、。
~続く~