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よく分からないままに行動したにしては修道院の資料は早々に集まった。しかし最早フェリシアの目的は出家ではない。その修道院の建つ土地の名物料理に釘付けだ。王都からほぼほぼ出たことのないフェリシアにとって、同じ国内であっても遠方の土地であれば外国に等しい。こんな料理があったのか、そもそもこの食材自体食べたことがない、と屋敷にあった地図や本を一緒に開いて、わくわくと胸をときめかせる。
そうやって夢中になっていたために、フェリシアはグレンの帰宅に気付かなかった。それどころか、自室の扉をノックされてもポリーかマリアだと思い込み気軽に「どうぞ」と返事をしてしまうという、痛恨のミスを犯してしまう。
「フェリシア?」
背後から聞こえたその声に、フェリシアはソファから飛び上がるくらい驚いた。
「グレン様!?」
「ただいまフェリシア。随分と夢中になっていたみたいだけど、そんなに面白かった?」
机に上に広げられた地図と本が目に入ったのだろう、そうグレンが笑みを浮かべる。フェリシアにとっては不意打ちのグレンの帰宅だ。喜びと出迎えに行けなかった申し訳なさで駆け寄ろうとしたが、その言葉に慌てて机の上に広げた物を片付ける。
「いいよフェリシア、そんなに急がなくても」
「いえ、あの、ちょっとだけ待ってください!」
本や地図はなにも問題はない。あるのはこの複数の修道院の資料だ。これは見つかるとかなり面倒ごとになるのでは、とフェリシアは焦る。が、そうすると当然ボロも出るわけで。運悪く資料の一枚が床に落ち、さらにはそれが近付いてきたグレンの足元に届く。グレンは長身を屈めてそれを手に取った。
「修道院?」
「なんでもないですよ!? 特に深い意味なんてないですからね!」
グレンにしてみれば目に入った情報をただ口にしただけであったのだが、フェリシアの過剰なまでの反応に途端に眉根を寄せる。
「深い意味って――」
「ちょっと出家するってしたらどんな感じになるのかなって軽く思った程度なだけです!」
ギョッとした顔をしたのもほんの一瞬。どんどんとグレンの表情が険しくなるのを目の当たりにし、フェリシアは己の迂闊さを嫌という程思い知る。
「フェリシア」
「あのですねグレン様……とりあえず落ち着いてください」
「大丈夫、俺は落ち着いている」
「それにしてはお顔がずいぶんと怖いんですけど」
「ようやく帰宅できて愛しい妻の顔を見られたと思った途端、その妻に離婚の意思を突きつけられたからかな」
険しい表情から一変、ニコリとグレンは笑みを浮かべるがそれがまた恐怖でしかない。どうにかこの場を乗り切らなければとフェリシアは懸命に思考を巡らせるが、普段から迂闊な言動が多い人間が、こんな追い込まれた状況でうまく言い逃れできるはずもなく。
「ほらあれですよ! グレン様は公明正大、清廉潔白な騎士様だから浮気とかしないじゃないですか!」
「もちろん」
「だから他に好きな方ができたら浮気じゃなくてまず私と離婚になるからそうなったら出家するしかないかなって思ってですね!!」
「――フェリシア」
笑顔のままのグレンの背後から吹雪が起きる。そう錯覚してしまうほどにグレンの纏う空気が凍てついており、なるほどこれが「氷の騎士」の異名たる原因かとフェリシアはここにきてようやく思い知る。これまでフェリシアが目にしてきたグレンは沈着冷静と思うことはあれど、常にこちらを気遣ってくれていたので彼の異名を知った時は不思議でしかなかった。
「……はい」
「詳しく話を聞かせてもらおうか」
「はい……」
否、と言える度胸はフェリシアにはない。グレンの為に席を用意しようと、机の上を今度こそ片付け始めるが、大股で近付いたグレンに突然と抱え上げられたかと思えば、そのままベッドに連行される。
「グレン様!?」
「うん」
「……いえ、あの、うん、ではなく」
「詳しく話を聞こう」
前にもこんな状況あったな、とフェリシアの脳裏に過去の恥ずかしすぎる思い出が蘇る。あの時もこうしてベッドに押し倒されたままツラツラと口を割らされた。あれか、あれの再来かと頬が羞恥と若干の恐怖に引き攣る。
「この状態で……?」
「この方が君は素直に話すだろう?」
そんなことはない、と反論できないのが何よりも悔しい。より動揺を与えれば隠し事する余裕がなくなる、とフェリシアの性格は筒抜けだ。ううう、と恨みがましく見上げてみるが、笑みこそ浮かべたままでも氷の様な眼差しを向けられては太刀打ちできない。ううう、と今度は嘆きの声を漏らしながら、フェリシアはポツポツと話を始めるしかなかった。