うわき
「――それはつまりは浮気なんじゃないかしら?」
優雅なティータイム中に突如飛び出た不穏な単語。それを正面から喰らったフェリシアは丁度口にしていた紅茶をゴクリと飲み込んだ。
会話の主はこの茶会の主催者でもあるエイベル伯爵夫人だ。その隣に座るオルコット男爵夫人もうんうんと頷いている。
「彼に限って、とは思うけれど、ことこういう点において男性は信用ならないところがあるもの。その可能性はあると思うわフェリシア」
「え……えええ……」
二人からそう詰め寄られ、フェリシアは乾いた笑いを浮かべるしかない。これが二人して意地悪くフェリシアに言っているのであれば反論もするのだが、わりと本気で心配してくれているようなのであまり強くは言い返せない。そもそもからして切欠はフェリシアが作ってしまっているから尚更だ。
「男性からの贈り物は嬉しいし、そこは素直に喜んでいいと思うわ。それが愛しい旦那様なら余計に嬉しいわよね」
「でもそれがあまりにも頻繁なんでしょう? そうなってくると話は別よ」
「そ……そういうものです、か、ね?」
ある意味新婚ほやほやのフェリシアにはその辺りがよく分からない。最近やたらとグレンから贈り物をされ、それに対して嬉しいけれど申し訳なくもあり、お礼をしたいのだがどうしたらいいか、という相談から始まったはずなのに気付けばこのありさまだ。
「男性はね、やましいことがあると贈り物で誤魔化す習性があるのよ」
「そう。そうなのフェリシア。そうなのよ」
優雅であれども力強い二人の言葉にフェリシアは圧倒される。
「まあね、あの方ですものそんなことはないかもしれないけれど。でも、よ、フェリシア」
「いまだにグレン様にどうにか近付こうとする令嬢も少なくないって聞くわ。まったくもう、貴女という最愛の妻がいるのにね」
ひえ、と飛び出そうになった声をフェリシアは急ぎ紅茶で飲み込んだ。
社交界きっての噂好きの二人に目を付けられた、と思った時は正直生きた心地はしなかった。根掘り葉掘り聞かれた上に、それを広められてしまうのではなかろうかと。しかし実際会ってみればそうではなかった。たしかに噂好きだし根掘り葉掘り聞かれもしたが、フェリシアが言葉に詰まるとそれ以上は突っ込んではこないし、この二人が噂として話すのもどれも幸せな恋愛話ばかりで、フェリシアは逆にその話を聞くのを楽しみにしている。
「夫のことはもちろん愛しているわ。子供たちだって可愛いし大切よ。でもそれはそれとしてね、自分達ができなかった恋愛結婚にものすごく憧れているの」
エイベル伯爵夫人は初めて会った時にそうフェリシアに微笑みかけたものだ。
「だからね、貴女たち二人のお話を聞かせてもらえたらとても嬉しいわ」
オルコット男爵夫人も瞳をキラキラと輝かせながらそう言っていた。その後、この二人が政略結婚でありながら、とても仲睦まじい夫婦として社交界でも有名なのだとミッシェルから聞き、むしろそちらのお話が聞きたいのですがとフェリシアは思った。
それはさておき、現状唐突に沸いた夫に対する浮気疑惑である。予想だにしていなかった答えを前に、フェリシアはひたすら戸惑うばかりだ。
「うわき……?」
「まだそうと決まったわけではないわよ? でも万が一ということもあるわ」
「そうそう、それに浮気じゃないにしても、なにか他に後ろめたいことがあるのかも。真面目な彼のことだもの、意図せぬ女性に言い寄られたというだけで、貴女に対して罪悪感を抱いて、かもしれないわ」
男爵夫人の言葉に同意を示しつつ、伯爵夫人がその言葉を継ぐ。
「もっと貴女の存在を世間に知らしめた方がいいと思うの。貴女ったらちっとも夜会に参加しないでしょう?」
「いくら可愛くて大切な奥方とはいえ、グレン様も閉じ込めすぎなのよ。だから隙ありと思って、馬鹿な野良猫が纏わり付くのよ。これは由々しき事態よフェリシア。もっと主張なさい!」
二人の波状攻撃が続く中、フェリシアは思考の海に飛び込んでいたためにその話を全く聞いてはいなかった。
浮気、の意味はフェリシアだって当然知っている。だからこそその意味とグレンがあまりにも結びつかないのだ。
グレン様が浮気なんてする……? グレン様が例えば他に誰か好きになった相手ができたとして、私と結婚したままで他のお相手と……?
そこまで考えた途端ツキンと胸が痛む。これは勝手な妄想で、けしてそれが事実ではないと分かっているのだから、さっさとここで考えるのを止めるべきだ。そう思うのに一度転がり始めた思考は中々止まらない。
グレン様が他にどなたかと出会われてそうなる、ってなったら浮気だなんてそんな不誠実なことはならさないわよね。うん、そう、グレン様だものそんなことしないわ……浮気じゃなくて、そっちが本命になったら間違いなく先に私と離婚なさるはず!
グレンの誠実さに対する信頼があさっての方向に暴走を始める。
グレン様と離婚になったら私どうしよう……実家、には戻れないしそもそも戻りたくない……ってことは一人で生きて……いくには私じゃなにもできないし……
お茶会から屋敷へ戻ってもフェリシアの迷走は止まらない。そして運悪く、ここしばらくグレンは王宮に詰めており後二・三日は帰ってこない。フェリシアもこの件に関して考えるのは一人で寝る夜だけで、日中は元気に過ごしているものだからポリーもマリアも彼女の様子に気付くことはなく、結果フェリシアの迷走は暴走へと突き進んだ。
よし、出家しよう!!
実家を頼ることはできず、しかし一人で生きていけるだけの術があるわけでもない。ならばもう神の加護にすがり、そして神に仕えるのが一番ではなかろうか。
そんな結論に至ったフェリシアは、次の日からこれまた元気に各修道院の資料を集め始めた。