愛の日
2/14に合わせて書いていたコネタです。
「メイジー・ディズ?」
聞き慣れないその言葉に、フェリシアはティーカップを手にしたまま思わず問い直した。
「ええそう、一昨年くらいからかしら? 私達と同じ年頃のご令嬢達の間でも人気なのだけれど」
「フェリシアったらあんまり本を読まないものね」
「失礼しちゃう! ちゃんと読んでます!」
「あなたが読むのって冒険物とか歴史の本ばかりでしょう? この世にはとっても素敵な恋愛小説が溢れているんだからあなたも読んだらいいのに!」
「あらあらミッシェルったらそう言わないの。フェリシアは小説よりももっと素敵な恋愛をしているのだもの、必要ないのよね」
うふふ、と穏やかな笑みを浮かべるのは今日の茶会の主催であるキャロラインだ。その隣には彼女と親しいマーティナが座っている。「メイジー・ディズ」の名を最初に口にしたのは彼女だ。そしてフェリシアが危うく吹き出しそうになった発言の主でもある。二人はフェリシアとミッシェルより三つばかり年上だが、年齢など関係無しにとても可愛がってくれ、頻繁に茶会や夜会などに声をかけてくれる間柄だ。
淑女の矜恃でどうにかお茶を吹き出すのだけは堪えたフェリシアであるが、どうしたって動揺は隠せない。ひとまずこれ以上粗相をする前にと、ティーカップを慌てて、しかし音を立てない様に静かにテーブルへと戻す。
「メイジーって……もしかして、あの、作家の方の名前ですか?」
そう、とフェリシア以外の三人が大きく頷く。ああこれはなんだかとても嫌な展開になりそうだと、フェリシアの背中にゾクリとしたものが駆け抜けた。
「今をときめくメイジー・ディングリーよ! 最近出た本がなんと彼女の歴代売り上げ一位を獲得なんですって! すごいわねフェリシア!!」
キラキラとした瞳をミッシェルが向けてくる、が、フェリシアはそれを露骨に逸らした。だって私には関係ないですもの、という態度を示す。しかしこの場に味方はおらず、キャロラインがくすくすと笑いながらフェリシアの退路を断つ。
「記憶喪失のご令嬢と、そんな彼女に一途な愛を捧げ続けた氷の騎士の物語ですって。とても素敵なお話で、私もね、彼女の本の中では一番大好きなの。ねえ、大好きなのよ、フェリシア」
何故二回もダメ押しをしてくるのか、その意味をフェリシアは考えたくはない。だが相手は茶会の主で、記憶喪失になる前、グレンと結婚するにあたってとても世話になった恩人でもあるからして無視などできない。
同じ伯爵家とはいってもグレンの家はフェリシアの実家よりも格上だった。そんなフェリシアに色々な知識やマナーを教えてくれたのがキャロラインだ。グレンの、一番有力な婚約者候補と言われていた彼女が。
「実話を元にしたお話なんですって……ぜひその方から直接お話を伺いたいものだわ」
「う、伺えたらイイデスネー……ってそれよりメイジー・ディズについてお聞きしたいです!」
強引に会話を逸らすフェリシアに、キャロラインはそれ以上の深追いは止めてくれたようだ。静かにティーカップの中身に口を付ける。するとそれを継いだとばかりに勢いよくミッシェルが説明を始めた。
「メイジーの小説の中でね、意中の男性に愛の言葉と一緒に贈り物をする場面があるの!」
「それって……その、ええと、例の本で……?」
「違うわ、これは前に出た本の話。それがね、お話の展開とも相まってとっても素敵な場面だったのよ!」
「それに胸をときめかせた少女達――もちろん、私達もその一人ね。だから、その本が出版された同じ日に、物語の女性に倣って思い人に愛の言葉とささやかな贈り物を捧げるのがこっそり流行しているの」
ミッシェルの流れを受け、今度はマーティナが後を継ぐ。そしてまたキャロラインへと戻り、フェリシアへと飛んできた。
「フェリシアもどうかしらと思って」
「……それはつまりは」
「グレン様へ愛の言葉と贈り物をしてみてはいかがかしら? きっと、ええきっと、とても喜ばれると思うのだけれど」
輝かんばかりのキャロラインの笑顔だ。マーティナも笑みを深めているし、ミッシェルにいたっては「それってとても素敵!」と横でキラキラとした空気を発している。
フェリシアはいたたまれない気持ちで一杯だ。
言えない。とてもじゃないが言えやしない。
メイジー・ディズという名は知らなかったけれど、おそらくそれと同じ事をポリーが何処から聞いてきて。今と同じ様にフェリシアに勧め、フェリシアも確かにグレンから言われる事は多々あるけれど、自分からはなかなか言い出せないものだから、これを機にやってみるのいいかもしれないと、そんな考えに軽率に従った結果どうなったか。思い出すだに羞恥で悶える。
グレンは喜んでくれたし、フェリシアも普段は言えない彼への愛情を伝える事ができて嬉しかった。そうやって二人が喜びに満ちたまま終わるはずだった所、ポリーが無邪気に爆弾を投げ込んだ。
「今年はフェリシア様からだったので、来年はグレン様からですね!」
「来年? それは来年でないと駄目なのか?」
「だって日付が決まってますよ?」
「そうか……それなら俺は止めておくよ」
ええー、とポリーは元気に不服の声を上げる。
「せっかくフェリシア様に愛の言葉を贈れる日なのに!」
「そう、だからだよポリー」
「なんですか?」
「そんな一日だけだなんて俺は嫌だな。フェリシアには毎日愛の言葉とできれば贈り物をしたい」
「あああああああもう! 息をするようにそんなことばっかり言うー!! そういうところですよグレン様!!」
うわあん、とフェリシアは羞恥でソファに倒れ伏した。つい最近の事だ。
その記憶が蘇り、気を抜くと即座に叫びそうになるがフェリシアは全力でそれに耐えた。キャロラインとマーティナの向けてくる視線が楽しそうで、これはきっとバレているのは明白だ。しかしこちらが口を割りさえしなければ大丈夫、さらには矛先を変えてしまえばより安心、とフェリシアは軽く深呼吸をして気を落ち着かせる。
そうして向ける先は――キャロラインだ。
「キャロライン様こそ、ロイド様にはなさらないんですか?」
「え!? キャロライン様ったらそうなんです!?」
「な……も、もう、フェリシアったら……」
途端に赤くなって口籠もるキャロライン、その横であらあらうふふ、と楽しげに笑うマーティナ、そして身を乗り出しそうな勢いのミッシェルの姿。してやったり、とフェリシアはテーブルの下で小さく拳を握り締めた。
「ロイド様ってあの方よね? グレン様の腹心の部下って言われてる」
「背の高い、身体もとてもがっしりしておられる方ね」
もじもじとして否定も肯定もできないキャロラインに変わりマーティナが答えを返す。きゃあ、とミッシェルは黄色い声を上げた。
「やっぱり! キャロライン様がグレン様の婚約者候補って言われてたけど実際はそうじゃなくてただ仲が良かったってだけで、でもやっぱりキャロライン様ったらなにかとグレン様を見てらっしゃる……って思ってたけどー! あれってロイド様を!」
「ほら、だから言ったでしょう? あなた見つめすぎなのよ」
「仕方ないでしょう! だってつい目で追ってしまうんだもの!」
呆れつつも楽しそうなマーティナに、キャロラインも珍しく感情を露わに言い返す。よしよし、と完全に話の中心が自分から外れたので、フェリシアはここぞとばかりに便乗する。
「キャロライン様が追いやすいように、私も頑張ってますからね!」
「フェリシアにまで協力してもらっているの?」
「誤解をさせたままだなんて出来ないでしょう!? だから……」
「ロイド様がお好きなんだと、初めてお会いした時に教えていただきました!」
そう、キャロラインはずっとグレンの部下のロイドに思いを寄せていたのだ。彼と少しでも関わりを持てたらと、元から家同士で交流のあったグレンとも良い友人関係を続けていたわけで。そこに友情はあっても愛情はなく、だからグレンの婚約者、をすっ飛ばして夫婦となったフェリシアにはまっ先にその事を告げたキャロラインである。
そんな彼女であったから、フェリシアも心を開き、できる限り彼女とロイドの接点の役に立てればと今も奮闘している。
「もう! 私の話はいいでしょう!?」
「いいえよくないですロイド様はとても良い方ですけどやっぱり恋愛沙汰には鈍いというか無頓着だそうなのでやっぱりキャロライン様からですね!」
逃げようとするキャロラインにフェリシアは追いすがる。ここで逃げられてはまた自分に矛先が向く、というのもあるが、それと同じくらい二人の仲にやきもきしているのも原因だ。
「そうねえ……私もそろそろ貴女と彼には進展して欲しいわ」
いい加減進展しない悩みを聞くのも大変なの、とそこにマーティナが加わる。
「ロイド様も見た目は厳ついけど優しいしちょっと不器用な所があって可愛い、って実は人気あるんですよ。ここは遅れを取るわけにはいきませんよキャロライン様!」
当然ながらミッシェルもノリノリで参戦するものだから、キャロラインに逃げ場はない。
そうして茶会はいつしか恋の作戦会議へと移行していった。
いついかなる時も、恋する乙女の話は白熱する物である。