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少し会わない間に友人夫婦の仲が深まっていた、もとい、深まりすぎていた。ずっと距離があるのを見ていて感じていたし、それが取り払われたのは本当に良い事だと思うがしかし。こうもダダ漏れにされると正直辛い、と言うか、いたたまれない。それでもなんとか笑みを浮かべつつ、ミッシェルはフェリシアと、その背後で妻への愛を垂れ流しているグレンと共に大広間へと向かう。
その途中途中で声を掛けられるが、皆一様にギョッとした顔になるのだから一体この伯爵様の変貌っぷりは如何ばかりか。
元々からフェリシアに対して優しさを見せていたグレンである。しかしそれはあくまで庇護者としての物だった。そこにもっと、ほんの少しでもいいから違う感情があればいいのにとミッシェルは思っていたが、今はそれが懐かしい。
「フェリシア、良かったわあなた元気になったのね」
大広間に入ってすぐにそう声を掛けてきたのはソフィア・カールトン侯爵夫人だ。五十代前半で朗らかな性格をした彼女は、フェリシアとミッシェルが社交界にデビューした時から何かと気に掛けてくれている。
そんな彼女もまた、ぶわりと舞う喜びの波動に一瞬押される。ちなみに喜びの波動が溢れたのは夫人に名を呼ばれたフェリシアが嬉しそうにしたからだ。たったそれだけでコレかあ、とミッシェルは軽く遠い目になる。これまで知っていた彼の姿との差にどう対処したら良いかが分からない。
しかし侯爵夫人は動揺した姿を見せたのはこの時だけで、すぐにいつもの悠然とした態度を示す。
「お久しぶりねハンフリーズ伯。奥様がお元気になってなによりよ」
「ありがとうございます夫人。ええ、おかげさまでこうして二人で、今日の夜会に参加できるようにまでなりました」
「今日のドレスは貴方のお見立てかしら? フェリシアに良く似合っているわね」
「そう言っていただけて安心しました。少しでも彼女の可愛らしさと美しさを出せればいいと、そればかりを考えて選んだんです」
うわあ雪解け!! そう叫びそうになるのをミッシェルは必死に堪えた。フェリシアは軽く俯いてプルプルと震えている。目映いばかりの、だとか、蕩ける様な笑みだとか、そう評されそうなほどの笑顔のグレンを前に、侯爵夫人は「あらあら」とこちらも笑顔を浮かべている。
「……すごい……こんな伯爵様を前にしても優雅な態度を崩されないわ……!」
「さすが淑女の鑑……!」
ミッシェルとフェリシアはコソコソとしつつも激しくうなずき合う。
夫人は二人にとって淑女としてのお手本であったが、今回改めて尊敬の念が深まった瞬間である。
「しばらくはまだ安静にしていたほうがいいのでしょうけれど、その内わたくしのお茶会にいらしてね?」
そう言葉を残して夫人は去って行った。
ふう、とミッシェルは一息吐く。なんというか、フェリシアを入り口で出迎えてからこの広間までの間で猛烈に疲れてしまった様な、気がする。うん、これはきっと勘違いなどではない、とチラリと隣を見れば、全ての好奇の視線を受けていたであろうフェリシアはすでにグッタリとしている。これはちょっと冗談抜きで一休みした方がいいかも、とミッシェルはほんの少しだけ策を巡らせた。
「あの、伯爵様?」
「なんだい?」
ミッシェルにまで向けてくる視線が雪解けである。うっわ、と反射的に瞳を閉じてしまう。繰り返すが美形の笑みは目に眩しい。
「ああそうだベリング嬢」
「え、あ、はい! なんでしょう!?」
「いや、そう畏まらなくても大丈夫だ。貴女はフェリシアにとって大切な友人であるし、俺にとってもそれは同じだと思っている。だからよければ名前で呼んでもらえると嬉しいんだが」
うーわー矛先がこっちにまできた!! などと、そう思ってしまったのは許して欲しいとミッシェルは思う。なんだか良く分かりはしないが、けれどもまあそうやってフェリシアの親友と言う事で自分にまで心を許してくれている、ようなのは素直に喜ぶべき所だろう。フェリシアも即座に復活して、グレンとミッシェルを嬉しそうに交互に見比べている。
私の親友がとっても可愛い、との言葉を飲み込んで、ミッシェルもまたニコリと笑みを浮かべた。
「じゃあ私のこともミッシェルとお呼びください、グレン様」
「ああミッシェル、これからもフェリシア共々よろしく頼むよ……と、すまない、君の話を遮ってしまったね。なんだったろう?」
えっとなんだっけ、とこちらも数秒頭を悩ませたが、すぐに思い出しミッシェルは作戦を実行に移す。
「少し喉が渇いたなあと思ってですね! ちょうど向こうに飲み物があるみたいなので、私がお持ちしますから何がいいですかって」
ああ、とグレンは苦笑を浮かべる。
「これは失礼、気が利かなかったな。俺が逐一挨拶をするものだから、それに付き合わされて二人とも気疲れしただろう? 俺が持ってくるから、少し休んでいるといい」
フェリシアと離れるつもりは毛頭無いが、それでもご令嬢に飲み物を取りに行かせて自分は妻の横に、とは流石にできるはずもない。あ、その辺りの分別はまだ付いてたんだ、となんとも失礼極まりない感想をミッシェルは抱くが、フェリシアがほっと安堵の息を吐いたのからして彼女もきっと同意のはずだ。それらが伝わっているのだろう、グレンはさらに苦笑を深めひとまず傍を離れる。それでも離れ際にフェリシアの頭を軽く撫でてからいくのだから、なんというかもう本当に
「――ダダ漏れがすぎるわ」
心の底からのミッシェルの言葉に、フェリシアはただただ沈黙で耐えるしかない。
壁に身体を擦り寄せてしまいそうなほどフェリシアの気力は尽きかけている。しかし無情にもそこに追い打ちが掛かった。
「あらフェリシア、今夜は貴女も参加しているのね」
「うっわ」
令嬢らしからぬ声がミッシェルから零れる。それもそのはず、声の主はなにかとフェリシアにウザ絡みをしてくるミランダ・アボット伯爵令嬢だったからだ。