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おかえりなさい・1




 自室のベッドの上で、可愛いイキモノが可愛いイキモノを抱き締めて小さく丸くなって寝ている。

 夜遅く、連日の仕事の疲労を抱えたまま帰宅したグレン・ハンフリーズ伯爵のこの時の心境を答えよ。



 久方ぶりにそんな天からの声を聞いたようにカーティスは思った。





 はああああ、と必死に声を堪えた、そして堪えきれていない音が隣から漏れている。横目でチラリと見れば、グレンが両手で顔を覆って悶えている。

 グレンとカーティスは乳兄弟だ。その付き合いは当然長い。その長い付き合いの中で、この人のこんな残念、もとい、新たな感情の起伏を見る様になったのは最近だ。これまでの彼と言えば、常に冷静沈着で己を律し、日々何を楽しみに生きているのだろうかと少なからず心配になるくらいに、ひたすら真面目な男だったのだが。

 せめてほんの少しだけでも、彼が自由に、心の赴くままに過ごせる日が来ればいいのにと、そう願っていた過去の自分に教えてやりたい。その願いは叶ったが、若干残念な方向になってしまったぞ、と。

 それはさておき、カーティスはいまだ身悶えている己が主人に声を掛ける。もちろん寝ている可愛いイキモノ、こと、この屋敷の小さなメイドと、彼が愛してやまない奥様を起こさない様に小声だ。


「いつまで悶えてるんですか」

「……待て……もう少し待ってくれ」


 可愛すぎて辛い、とグレンは両手を離そうともしない。彼のこれまでの人世の中で「可愛い」は縁遠い物だった。唯一、この小メイドがその感情の対象になる程度で、それも本当に一般的な、小さな子どもを見て可愛いなあと思うくらいでしかなかった。

 だから、「可愛い」に免疫のないグレンにとって、この目の前に広がる光景はあまりにも殺傷能力が高い。高すぎた。どうやって回復すればいいのかが分からない。

 これ絶対隣に俺がいなかったら両膝床に着いて転がってたよなこの人、とカーティスの向ける目は冷たい。乳兄弟のこういった姿を目の当たりにしているのだから冷たくもなる。なんというか、いたたまれないのだ。


「あとどれくらいお待ちします?」

「十五分……」

「長いわ」


 思わず口調も荒くなる。さらには「五分」でもなければ「十分」でもない所にグレンの本気具合がみてとれて、余計に突っ込みに冷たさが増す。


「今すぐ回復してください」

「無理」

「返しが速い」

「無理だろうこんなの」

「どうして」


 だって、とグレンは僅かに両手を顔から離して改めてベッドの上を見る。そうしてまた「あああああ」と無意味な声を漏らして顔を隠す。なんだかその反応がちょうど目の前で寝ている奥様のようで、ああこの二人似てきたんだなあとカーティスはぼんやりとそんな事を思った。


「無理だろうこんなの……こんなに……こんな……!」


 主人の語彙力が崩壊している。まあ無理もない、の、かもしれない。そうカーティスはなんとか善意の解釈に努める。

 隣国から客人が来る。もちろんただの客では無い。相手は王族、つまりは国賓だ。その為の準備に王宮は忙しく、さらには応対するのが第二王子のフレドリックであるものだから、護衛のグレンも当然忙しい。連日連夜、警護の打ち合わせやらなにやらで帰宅するのは深夜、下手をすれば帰宅自体ができない日もある。結果、最愛の妻と顔を合わせる時間すら無い現状。


 起きて待っています、という彼女に「先に休んでいてほしい」と口にしたのはグレンだ。それは心からの言葉ではあるけれど、会えない時間が増えていくのを辛いと思うのはまた別の事だ。そうやって日々愛しい妻の成分が足りないと腹の奥底でモヤモヤとしたものを耐えていたグレンであるからして、この目の前の光景――可愛いポリーを抱いて眠る可愛いフェリシア、という図はグレンの心臓を一気に貫いた。

 それだけでも即死案件だというのに、フェリシアがポリーと一緒に抱き締めているのが普段グレンが着ているシャツだったのだからさらに即死効果が重り、最早グレンはひたすらか細い悲鳴をあげ続ける機械の様になっている。


「いつまでそうしてるんですか本当に」


 おそらくどれだけ待とうがグレンが自分で回復する事はないだろうと、そう判断したカーティスは溜め息と共にゆっくりとベッドに近付いた。

 二人は小さく丸くなって眠っている。まるで子猫の様な姿は可愛らしくも微笑ましい。しかし、この夜更けにシーツも被らずに寝ていては身体に悪いだろう。


「カーティス」


 起こすのか、とグレンが諫める様な声を出す。違いますよ、とカーティスは軽く首を横に振り、そっとポリーの身体を抱きかかえる。


「このままにしておくわけにもいかないでしょう。こっちの小さい方は連れて行きますから、後はお好きな様になさってください」


 熟睡しているのかポリーは一向に目を覚まさない。フェリシアも同じだ。ただ、今まで抱き締めていた小さな身体が消えたからか、より一層グレンのシャツを胸に抱き込む様な動きをみせ、それにまたグレンが言葉を失う。


「ちゃんと温かくして寝かせてやってくださいね」

「……分かっている」


 風邪引かせたいんですか、と言外に込めれば流石にグレンも正気に戻ったのか、フェリシアに近付くと下敷きになったシーツを引き抜きそっとその身に掛けてやる。

 その背中を肩越しに目にしたまま、カーティスはボソリと呟いた。


「いくら夫婦とはいえ、意識のない相手に手を出すのは騎士道どころか人道に反しますからね」

「ッ、分かっている!!」


 そんな真似をする様な人物でないのは十二分に理解しているが、夜中にとんだ茶番に付き合わされた身としては、一言くらい言わねば気の済まないカーティスだった。



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