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温かく柔らかい感触が唇に幾度となく触れては離れる。時折チュ、と可愛らしい音が鳴るのは偶然だ。意図してできるような技量は彼女にはない。だからこそ、その無自覚の煽りにグレンはひたすら耐えるしかないのだ。
油断大敵とばかりに飛びかかってきたフェリシアに押し倒されこそしたものの、すぐに身を起こせば自分の膝上に彼女を抱きかかえる様な体勢になってしまった。どうしたって触れ合ってしまう下腹部に一気に熱が集まり、グレンは慌ててフェリシアの身体を引き離そうとするも、それよりも先にフェリシアがグレンの首に両腕を回して抱き付いてくる。
そうして始まった怒濤の口付け攻撃は、グレンの理性を崩壊させる為だとすれば効果覿面もいいところだ。つい腰を引き寄せ、唇を割り、彼女の腔内を思う存分味わおうとしてしまう。しかしその度にフェリシアが「だめですってば!」と真っ赤な顔で拒絶する。
正直その表情だけでも色々とマズイものがあるというのに。
ならばせめて少しでも距離、というか触れ合う場所をずらそうと身を動かせばそれもまた「だめです」と言われてしまう。逃げ道すら絶たれてしまい、グレンが出来る事と言ったらひたすら耐えるしかない。
これがまだ焦らしているつもりであるのならば救いもあるけれど、当然ながらフェリシアにそんな技量も、そもそもの思惑すらないのだから最悪だ。このままずっと、どれだけ耐えようとこれ以上は進まない。
知識を吹き込まれてはいるようだが、聞いただけで実行するのは難易度が高すぎだ。それにきっと彼女の事だから、そういった話題が出た時点で混乱してロクに話を聞いてはいないだろうと、グレンはそう推測する。悲しいかなまさにその通りで、フェリシアがお茶会で得てきた知識はほぼほぼ残っていない。
「たまには自分から求めてみるのも必要よ?」
「あれだけ隠しきれない……いえ、そうね、そもそも隠そうともしないくらい愛情を垂れなが……溢れさせているグレン様だもの、きっとたいそうお喜びになるわ」
覚えているのはせいぜいこの言葉くらいで、あとはもう自分の持てる知識のみで挑んでいる。
すなわち、口付け――しかも、とても拙いやり方しかフェリシアはできない。ともすれば親愛の情を交わすのと同じだ。
それをひたすら享受せねばならないのだから、グレンとしては喜びと同時に苦痛でもある。 あとどれくらい、これに耐えなければならないのだろうか。
フェリシアが自ら求め、与えてくれようというのだから欠片も残さず受け取りたい。が、ただでさえ普段から彼女を求めているというのに、今日はそれはならぬと言う。
グレンが動かなければフェリシアはずっとこのままだ。これが、ひたすら、ずっと、と思うだけでグレンは理性も意識も飛びそうになる。
彼女から動いてくれるなどそうそうある事では無い。なんとしても満喫したい。したくてたまらない。が、しかし、と思考は堂々巡りだ。
ふ、と鼻にかかった甘い吐息が耳を打つ。その音にグレンの腰が疼いた。ああもう、と己の理性の脆さ、そして技巧もなにも持たないのにひたすら求めてくれる彼女へ対する愛しさと、それに反する様に燃え上がる苛立ち。
どれだけ自分が彼女を欲しているか、溺れているのかを知らないから、だからこんな焦らす様な真似をひたすら続けられるのだという、惨い仕打ちに対する怒りにグレンは覚悟を決める。すなわち、自らも動いて後で彼女に叱られるという、なんとも情けない覚悟を。
「……っん!?」
舌先で唇を割り、ビクリと震えるフェリシアの腰と背を引き寄せたまま腔内を貪る。逃げる様に動く舌を絡め取り、軽く歯を立ててジュ、と吸い付けばさらにフェリシアは身体を震わせた。懸命に両腕をグレンの胸元に押し当てて身を離そうとするが、そんなか細い力では有って無きが如しの抵抗だ。
彼女の好きな箇所を舌先で擽っていれば徐々に力が抜けていく。突っぱねようとしていた腕も、再びグレンの首の後ろに回りフェリシアも舌を絡め始め、その事に彼女の許しを得た様でグレンは口付けたまま緩やかに口角を上げ――そして異変に気が付いた。
ほのかに広がる酒精の味。これはまさか、とより一層舌を差し込みフェリシアの腔内をまんべんなく味わうと、疑惑は確信に変わりグレンはゆっくりと唇を離した。
「……ぁ、ふ……」
「フェリシア……」
赤く染まった頬と潤んだ瞳。見つめてくる彼女の表情はとろりと蕩けており、完全に快楽に目覚め、酔っている据え膳の姿、であるのだが。
「……そういえば……いつもより食事の時に飲んでいたね……」
「……寝室で待っているあいだにも……すこし……」
飲みました、とフェリシアはグレンの胸に額を預けてそう呟く。言われてグレンは視線を動かした。サイドテーブルにグラスが一つ。そして僅かに残る赤い色に、グレンはフェリシアを抱き締めたまま天を仰いだ。これからの展開が容易に想像できて辛い。
フェリシアの身体から力がどんどんと抜けていく。それに伴いグレンに掛かる重みは増え、予想通りの展開にグレンは乾いた笑いを浮かべる。
「フェリシア……眠い?」
「……だいじょう、ぶ……です……」
一向に大丈夫そうではない。グレンはあやす様にフェリシアの背をポンポンと叩いた。
「だめです……グレンさま……ねかしつけようとしてる……」
「うん、寝ようフェリシア。君はよく頑張ったよ」
「まだぁ……たりてませんんん……」
グレンさまを、きもちよく、できていません――そう訴えるフェリシアを、グレンは本格的に寝かしつける事に決める。抱き締めたままベッドに横になり、両足も絡めて身動きを封じた。若干、腰が引けているのは仕方がない。半分以上夢心地とはいえ、不様に反応しているのを押し付けるのは恥ずかしい。
「いやあ……ねません、ってば」
「俺のためと思うなら寝てくれると嬉しい」
粉々に砕け散った、はずの理性の鎖は徐々に復活しつつある。それでもボロボロであるのは変わりないので、いつまた砕けるか。そうなった時に自分は我慢ができるかどうか、グレンはそれが不安でならない。
いくら夫婦になっているとはいえ。仕掛けてきたのが彼女からだとはいえ。続きを求めているからとはいえ――それでも、眠りに落ちてしまった相手を抱く様な事が許されるわけが無い。
なんとか、それだけは避けねばならぬ道であり、そしてその為には彼女を一刻も早く夢の世界に追いやるのが最善の方法である。
我ながら情けないという自覚はあるが、だからこそグレンはそうする事を躊躇せずに実行に移す。最早開いているのか閉じているのか分からないフェリシアの目元に、軽く口付けを落としていく。嫌がる様に眉間に皺を寄せるが、もう顔を動かす気力も無いのだろう、フェリシアはされるがままだ。そうやって数回繰り返していれば、程なくして健やかな寝息が聞こえ始める。
グレンはゆっくりと身を起こした。すうすうと寝息を立てる愛しい妻の寝顔をしばし堪能し、そして静かにベッドから降りる。
はあ、と落ちる溜め息はどこまでも重い。しかしこのままでは眠るにも眠れず、グレンは身の内に籠もる熱を冷ますべく浴室へと向かった。




