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奥様が、酔っ払い・1




 グレンが屋敷に戻って来た時からフェリシアの様子はどこかおかしかった。どうしたのかと問うてもなんでもありません、と笑顔で答える。が、そこに微かではあるけれど、無理をしているのを隠し切れていない何かがあるのにグレンは気付いた。

 一瞬フェリシアに問い詰めそうになるが、帰宅したばかりの玄関先でするような話ではないのかもしれないと思い一旦踏みとどまる。


「今日はポリーが温かいシチューを作ってくれたんです。それに合うように美味しいパンも買ってきてくれたんですよ」

「そうか、それは楽しみだな」


 フェリシアの肩を抱いてグレンは食堂へと向かう。主人の帰りを今か今かと待ち構えていた小さなメイドは喜々として自慢の料理を振る舞い、翌日は久方ぶりの休みだということでワインを飲めば、珍しくフェリシアもそれに付き合ってくれた。あまり酒に強い彼女ではないけれど、共に楽しもうとしてくれるその気持ちは素直に嬉しい。

 無理のない範囲で、と一応の声をかけると、最近はだいぶ飲めるようになってきたんです、と少し自慢気な答えが返る。そんな何と言う事はないやり取りに、グレンは身体の疲れはもちろんの事、護衛としての日々張り詰めている精神が安らぐのを感じていた。

 そうやって穏やかな時間を過ごし、湯浴みも済ませ夫婦の寝室へと足を踏み入れたグレンであるが、事態はそこで一変する。


「きょ……きょうは、わたしが、グレンさまを、だきます!!」


 愛しい妻から発せられた言葉の暴力たるや。グレンは扉を閉めた状態でしばし固まるしかなかった。







 ベッドの真ん中にペタリと座り込んで、小さく身を縮ませながらもプルプル震えている可愛すぎるイキモノがいる。ブチンと頭の片隅で盛大に理性の鎖が千切れる音が聞こえたが、グレンはそれを必死に繋ぎ止めた。


「フェリシア……そっちに行っても?」


 できるだけ穏やかな、そして優しい声でそう尋ねればフェリシアは顔を俯かせつつコクリと頷いた。グレンはゆっくりとした足取りでベッドへ向かうとその縁に腰を下ろす。


「フェリシア」


 ビクリ、とフェリシアの肩が小さく跳ねる。怯えさせない様に注意を払いながらグレンはそっと頬に手を伸ばした。


「何か思い悩んでいたみたいだったのはそれが原因?」


 フェリシアは俯いたままさらに頷く。掌に触れる熱は高い。明かりは点けず、窓から入る月の光だけの薄暗い室内。それでもフェリシアの顔が真っ赤であるのは遠目からでも分かるほどだった。どれだけ羞恥に苛まれているのか。恥ずかしがり屋の彼女から到底出てくる様な言葉ではない。これは、とグレンは冷静になれと己に言い聞かせながら問いを続ける。「誰が何を君に吹き込んだんだ?」

 冷静に、と言い聞かせたはずもあえなく失敗だ。どうしたって詰問する様な口調になってしまい、それによりさらにフェリシアが身体を震わせる。


「いえ! あの……ちがうんです」


 反射的にフェリシアは顔を上げるが、すぐにまた俯いてしまう。本当に一体どこの誰が、とグレンは眉間の皺を深くしたまま頬に触れた手を滑らせ、顎に指を掛けてゆっくりと持ち上げた。

 ひああああ、とか細い悲鳴は漏れるがフェリシアは抵抗しない。きつく瞳を閉じ、顔は見事に朱色に染まっている。

 おや、とグレンは少しばかり眉間の皺を緩めた。完全によからぬ事を言われてそれに振り回されているのかと思っていたのだが。どうやらそうではなさそうな気配を察し、グレンは促す様に彼女の名を呼んだ。


「フェリシア」

「あ……ああああのですね! 本に、かっ……かい、て、あって」

「……なにが?」

「ちょうど他の方達も読んでいたみたいで、それで、そういう話題が出てしまって!」

「うん」


 ひとまずこれは疑問を潰していくよりもフェリシアが自滅して自白するのを待つのがよさそうだと、そう判断したグレンは相槌だけを打っていく。


「キャロライン様やマーティナ様からもこう……色々、お、教えていただいたりもしてですね……」

「教わった事を俺で試したい?」


 フェリシアは「じゃなくて」と首を横に振って否定する。


「たっ、たまには、わたしのほうからもそういうことをしてみたら、グレン様が……喜ぶわよ、って……」


 話の中身は間違いなくつまりはそういう事なのだろうが、それにしたってご令嬢方のお茶会でなんて話題が、だとか、良かれと思ってだとしてもあまり人の大事な妻に妙な入れ知恵はしないで欲しいだとか、色々言いたい事はあるけれど。

 自分が喜ぶだろうからと、羞恥心を必死に堪えてそれを実行しようとしている彼女の想いがなによりもグレンは嬉しすぎて堪らない。


「フェリシア、君がそう思ってくれたというだけで俺はとても嬉しいよ。ありがとう」


 だからもう無理はしなくていい、とグレンは顔に触れていた掌を頭へと動かして優しく髪を撫で付ける。

 なんだかこれは徐々にこちらまで恥ずかしくなるな、とグレンは腹の奥底からじわりと滲み出してきた羞恥心にそわそわと落ち着かない。それを誤魔化す様に「ひとまず横になろうか」とフェリシアの肩に手を置き、ゆるやかに力を篭めた。その瞬間――


「なので、わたしが、今日はグレンさまを、き、気持ち良くしますからおとなしくしていてくださいね!!」


 終わったと思った話が何一つ終わっていなかった。え、と驚くグレンの声がベッドに落ちるのと、グレン自身の身体が押し倒されるのは同時だった。




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