ムキムキ☆力の目覚め ※残酷描写有
「ふ、ふざけやがって……! よりによって金的って……おい、大丈夫か!? おい!?」
意外にも野球帽の男は、悶絶しているフードの男に駆け寄った。
謎に仲間意識だけはあるんだな、こいつら。
……いや、そんなことよりも、今のうちに逃げなきゃ。
だが、その意思に反し、私は尻から地面にへたり込み、仰向けに倒れてしまった。
すでに刺された箇所の痛みはなく、全身から文字通り血の気が引いていく感覚に襲われる。刺された箇所から空気が抜け、風船のようにしぼんでいくようだ。
暗くてよくわからなかったが、私が思っていた以上に、私は血を流していたようだ。
逃げなきゃ。
寒い。
逃げなきゃ。
怖い。
逃げなきゃ。
──死にたくない。
体が、意識が、感覚が、段々と流砂の渦に飲まれていくように、ゆっくりと沈んでいく。
「よ、よくも……よくもやってくれたな……この……クソアマ……!」
死にかけの私に声をかけてきたのはフードだった。
あんなに強く股間を蹴り上げたのに、もう元気そうに私を睨みつけている。
「こ、殺してやる……殺して、切り刻んで、内臓を撒き散らして、カラスどもの餌にしてやるよ……!」
フードの逆手に持っていた光り物がギラリと妖しく光る。
嗚呼、あれで私はブスッといかれるのだろう。
こんなところで、こんなしょうもないことで終わってしまうのか、私の人生は。
「まぁ……もう……どうでも……い……か……」
もはや抵抗する気力すら失せた私は、そのままゆっくりと目を瞑った。
……。
………………。
…………………………あれ?
待てど暮らせど、衝撃や痛みが来る気配はない。
もしや苦しむ間もなく、痛みを感じる猶予もなく、私は絶命してしまったのだろうか。
それならそれでいいのだが……なんだろう。
不思議と、さきほどまで感じていたはずの寒さを感じなくなっている。
それどころか、まるで日向の中で微睡んでいるように温かく、心地が良い。
まさか……そうか、なるほど。
噂には聞いていたが、ここが天国というところなのだろう。
信じる者は救われると聞いたことがあるが、まさか碌に信じていなかった者すら天国へ行けるとは思わなんだ。
おお、神よ。天にまします我らの父よ。
これからは絶対、人が多いからなどと面倒くさがらず、大晦日の年越し前にはきちんとお参りさせていただきます。……最悪、三が日が終わるまでには必ずお参りします。
「って……もう死んでるのにお参りなんて――」
私はそんな呑気なことを考えながらゆっくりと目を開けると、フードが今、まさに、私めがけ光り物を振りおろしていた。
なぜ、なんで、どうやって。
私の頭の中が一瞬にして疑問符に満たされた。
さっきまでのアレは一体何だったのか。
走馬灯? 神の悪戯? 今年お参りに行かなかった罰?
騙された!
ふざけるなよ、神様め。私の純情を弄んで楽しいか。
天国から地獄へと一気に突き落とされた感じだ。
もはや何も信じられない。
私はとっさに両手を前へ突き出して、防御の態勢をとった。
〝ドン!〟
手のひらに衝撃。
ぐえー! こんどこそ刺されたー!
……と思ったが、なぜか痛くもかゆくもない。
不思議に思い、おそるおそる目を開けてみると、フードの姿が忽然と消えていた。
どこへ行ったのだろう。
まだ私は夢を見ているのだろうか。
そういえば刺された痛みも、体から力が抜けていく感じも今はない。
なんだ、やはりここは天国だったのか。
……なんて、無邪気にそう思いたいが、何度見回してもさっきの公園だ。
試しに立ち上がってみる。
なんの負荷もなく脚に力が入り、すっくと立ち上がれる。
次に腹部をさすってみるが、痛みはなく血も出ておらず、ただシャツに穴が開いているだけ。
「……穴?」
虚を突かれた気がして、もう一度腹部を見てみる。
今度はシャツをガバッとめくりあげてみる。
穴は、間違いなく空いている。
そしておびただしい量の血がバリバリに乾いている。
ここから導き出される答えは――
「夢でも……あの世でもない……?」
「な、なに……やったんだ……おまえ……?」
不意に野球帽に声をかけられる。
「なにって……」
そう普通に受け答えをしている私の中からは、もうすでに恐怖心なんてものは吹き飛んでいた。
「おまえがいきなりアイツを……!」
「あいつ……?」
「あ、あそこまで突き飛ばして……!」
「あそこ……?」
野球帽はそう言って自身の遥か後方、公園内の歩道横の茂みを指さした。
目を凝らすと、茂みの中から薄汚れたスニーカーが覗いている。
「あれって……私が? ……いや、それよりもなんで私、こんな暗がりでも視えて――」
「それで……それで……おまえ……おまえ、なんなんだよッ!?」
「いや、それは私が逆に訊きたい事で――」
「おまえ、何したんだよッ!?」
野球帽は完全に錯乱していた。
声も裏返っており、全身から滝のような汗を流し、私を見る目に恐怖が宿っていた。
なぜかこうしているだけで、野球帽の状態がハッキリと見てとれる。
まるで昼間のように……とまではいかないが、公園の頼りない光源だけでも十分視える。
それに……そう、目だけじゃない。
なんというか、体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。
今なら何だって出来てしまいそうだ。
「そうか……! おまえ……覚醒したんだな……?」
「覚○剤……?」
なんなんだ、一体さっきから何を言っているのだ、この男は。
たしかにシ〇ブをやってそうな雰囲気はあるが……いまそれ言うことか?
「へ、へへ……や、野郎ォ……! そういうことか……!」
「いや、女なんですけど……」
「じ、上等だ! ぶっ殺してやらァァアアア!!」
野球帽は足元に落ちていた光り物を拾うと、大きく振りかぶり、そのまま私めがけ突進してきた。
その瞬間、私はイケると思った。
まぁ、実際のところ何がイケるのかはよくわかっていなかったが、私は野球帽を迎え撃つべく軽く助走をつけて跳躍すると、私と野球帽、その両者が交差する瞬間、両脚を繰り出した。
光り物対人間の脚。
その射程の差は歴然。光り物の切っ先が私の顔に届くよりも先に、私の足が男の頭部を吹っ飛ばした。
「ふ、吹っ飛ばしたぁ!?」
あまりの出来事に、言葉が思考をなぞる。
もうすでに野球帽ごと頭を失った体は、大量の血液をまるで噴水のように首から撒き散らしている。
「な、なんなの……これ……」
呆気にとられる私を他所に、あろうことか取り残された体がブルブルと震え出し、私をゆっくりと指さした。
「なっ!? なんでまだ生きて――」
「い……いい気になるなよ……ニンゲン……!」
「は?」
空耳か幻聴か。
野球帽のほうから私に語りかけてくる。
「俺たちの仇は必ずミスストレンジシィムレス様がとってくださる……!」
「なんだその変な名前」
「その時までせいぜい震えてまっているがいい……!」
「震えてるのはおまえだろ……」
野球帽は一方的にそれだけ言ってしまうと、自身が流した血だまりに沈んでいった。
対する私は顎に手を当て、腰にも手を当て、思考する。
ははーん。
夢だな、これは。
夢に決まっている。
いくらなんでも、こんな事は現実に起こらない。
起こるはずがない。起こってたまるか。
いや、起こらないでください。
「……って、はれ……?」
そして気が付くと、地面が目の前までせり上がって来ていた。
……いや、これは地面がせり上がっているのではなく、私が前のめりに倒れただけだ。
けど、ちょうどいい、このまま眠ってしまおう。
起きたら今度こそ課長にガツンと言ってやるのだ。
私は目を閉じると、そのまま微睡の中へと堕ちていった。




