パンチラインだよ金次郎!
学校の七不思議とは。
その名の通り、学校で噂される七つの不思議な怪談話のことだ。たとえば、
夜になると理科室の人体模型がひとりでに動き出す……
音楽室にあるバッハの肖像画がひとりでに動き出す……
女子更衣室に残されたスク水がひとりでに動き出す……
などなど。とにかくひとりでに動き出すのが七不思議の花形と言える。
そんな「ひとりでに動き出す系」の代名詞こそが、この僕。薪を背負いながら熱心に本を読む少年の銅像……二宮金次郎だ。
僕はちょうど一年前、小さな町でモニュメント製造を生業とする(株)本田川製作所で誕生した。そしてゆくゆくはどこかの小学校に設置される予定だったのだが、「ひとりでに動いて気味が悪い」という理由で廃棄処分が決まってしまった。
「ひとりでに動かない金次郎になんの価値があるんですか!」
と叫びたかったが、生みの親である皆さんを怖がらせたくはない。僕は製作所から抜け出し、町から町へと、あてもなくさまよった。
それからというもの、昼間は身を隠して夜中に町を忍び歩く、まるで罪人のような日々が続いた。そんな生活を送るうち、僕の胸に初心が戻ってきた。
二宮金次郎像として生まれたからには、学校の七不思議になりたい。そして子ども達の前で堂々と動き出したい……。
僕は山奥で知り合った烏天狗さんに、近隣の小学校で二宮金次郎の採用面接があることを教えてもらった。その小学校に就職して七不思議に選抜されれば、大手を振って子ども達の前で動き回れるそうだ。
そんなわけで今日、僕は八王子市立 七節小学校の採用面接を受けにやってきたのだった。
「よーし、頑張るぞ」
月明かりが闇を払う三階の廊下。パイプ椅子に座る僕は、両手で頬を叩いた。銅像らしい硬質な音が鳴り、二月の冷えた空気を震わせる。
「ま、そう気負うなや、兄弟」
左隣から声をかけられた。僕と同じ姿の銅像が、鏡写しのようにパイプ椅子に腰かけている。背中に薪を背負っているため、椅子の先にちょこんと乗っているところまでそっくりだ。
彼もまた、七節小の求人を知って来たのだろう。この学校の二宮金次郎は、近々引退することに決めたらしい。その空いた枠に滑りこむべく、僕と彼、そして右側に座るもう一人の金次郎は寒空の下に集まったのだ。
「さてはお前、面接は初めてだな」
左の金次郎が僕の顔をのぞきこむ。
「わ、わかりますか」
「そりゃあな。体の色が違えよ」
言われてハッと気づいた。僕の体は月光で鈍色に輝いているが、彼の全身はほとんどが薄い緑色に染まっている。酸性雨の影響だろう。他の学校でも活躍したベテランに違いない。
右の金次郎も彼ほどではないが緑がかった体だ。勤務実績は中堅くらいか。なんにせよ、新人は僕だけらしい。
「なんだかますます緊張してきました」
「だから気負うなっての」
「うっ」
「おい、どうした」
「急に心臓が痛くなって……」
「マジかよ、すぐ保健室に」
焦った彼が立ち上がりかけて、
「って、俺ら心臓ねえだろ」
「あ、そうでした」
二人で笑い合う。彼は金次郎らしからぬ口調だが、良い人そうだ。
「緊張がほぐれました。ありがとうございます。ええと」
「名前か?」
得心したように彼が笑った。
「俺もお前も金次郎だもんな。じゃあ俺のことは敬意をこめて、ソントク兄さんとでも呼んでくれや」
「わかりました、ソントク兄さん。……ソントクってなんですか?」
「あん? 知らねえのか?」
彼が首をひねった。
「二宮金次郎の本名は、『尊い』に人徳の『徳』で、尊徳って言うんだぜ。常識だろ」
そのとき、右手側からコツコツと足音が響いてきた。
「二宮金次郎の皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
月の光に浮かび上がったのは、黒い長髪に赤いワンピースとハイヒール、そしてマスクをした長身女性。
「あ、あなたはっ……!」
僕は興奮のあまり腰を浮かした。
彼女はこの界隈のレジェンド、口裂け女さんだ。烏天狗さんに写真で見せてもらったことがある。笑顔がとても魅力的で、僕は一目ぼれしてしまったのだ。
口裂け女さんと言えば、子どもの前に現れては「ねえ、私……綺麗?」と聞くのが鉄板だ。そして相手が「綺麗」と答えたらマスクを脱ぎ、「これでもぉ?」と、大きく裂けた口を見せて驚かす。全盛期は社会現象にまで発展し、全国の子ども達を恐怖におとしいれた。
近年は怖がられるよりも先に変質者扱いされるのがショックで引退したと聞いたが、こんな場所で出会えるとは。ないはずの心臓が大きく高鳴ってきた。
「それでは面接室へご案内しますので、着いてきてください」
きびすを返した彼女のあとを、僕は中堅金次郎を先頭にドスドスと続いた。
口裂け女さんはしなやかに歩いていく。手足は長く、背筋もピンと伸びている。なにもかもがスタイリッシュ。銅像で、しかも少年の姿をした僕とは大違いだ。
後ろ姿に見とれていると、ソントク兄さんがひそひそ話しかけてきた。
「ああいうのがタイプなのか?」
「なな、なんですか急に」
「わっかりやすい奴だな」
「うっ……」
「でもな、あいつはやめとけ」
「え、どうしてですか」
「どうしてもだよ」
そんな会話をしているうち、面接室に到着した。どうやら校長室で行われるようだ。人間に怪しまれないためか、電気は点いていない。
ついに始まるぞ。初めての面接……。
僕はギチギチと拳をにぎった。
そのとき、口裂け女さんが僕達を見回して言った。
「ではみなさん、面接室へどうぞう。銅像だけに。ふふ」
!?
耳を疑った。まさかあの一流怪異の口裂け女さんが、こんなしょうもないダジャレを言うなんて……。聞き間違いかもしれない。いや、そうに決まっている。
「ねえ、私……面白い?」
!?!?
彼女の声音からは「もしかしてつまらない?」という不安ではなく、「どう? 面白いでしょ?」とでも言いたげな顔が透けて見える。現に、裂けた口が吊り上がり、マスクから八重歯が「こんにちは」していた。
「面白くないです」
と言えればどんなに楽か。だが本音をぶつけて彼女の口をすぼませたくない。なんとかオブラートに包んであげられないものか……。
僕が悩んでいるとき、中堅金次郎が手を挙げた。
「面白くないです」
言ったぁ!?
「はい不採用」
「そんなぁ!」
肩を怒らせた口裂け女さんは、中堅金次郎を廊下の闇へ引きずっていった。金次郎特有の真面目さが仇になったのだ。
草履が廊下にこすれるゴリゴリ音が消えたころ、校長室から「入りなさい」と指示が飛んだ。僕とソントク兄さんはマナーにのっとって部屋に入った。
室内の光源は、窓から入る薄明かりのみだ。その光を背に、メガネをかけたちょびひげ男の胸像が校長机に座している。
旧五千円札の新渡戸稲造に似たその男は、僕達を見て咳払いをした。
「よくぞ来てくれた。わしは七節小の初代校長の胸像じゃ。ま、気軽に校長と呼んで良いぞ」
校長は朗らかに笑った。その笑顔には温かいものが感じられて、この学校で『動き出したい』という決意がますます強まった。
「それにしても、志望者は二人か。張り合いがないのう」
やや残念そうに言いつつ、机の上に置いてある物体に視線を送った。
「ま、勝負は数よりも質。二人とも、楽しみにしておるぞ」
ソントク兄さんが歩み寄ってそれを手に取る。
「どうした? お前も早く取りにこい」
「あ、はい」
言われるがまま僕も前に出る。
「えっと、これって……マイク、ですよね?」
机の上にあったのは、頭がドクロの形をしたマイクだった。
「あのぅ、これでなにをすればいいんでしょうか」
「なにって、ラップバトルに決まっとるじゃろ」
とぼけた顔で校長が言った。
「ら、ラップバトル!?」
「うむ。怪異と言えばラップ音。ラップ音と言えばラップバトルじゃからな」
「あの、意味がわかりません」
「マジか」
ソントク兄さんが話に加わった。
「お前、ラップ音って言葉くらいは聞いたことあるだろ?」
「えっと、僕達怪異の発する霊力が、人間には音として聞こえることがある……でしたよね? 烏天狗さんに教えてもらいました」
「正確には、俺達がラップバトルで発生させた霊力の波が、人間には音に聞こえてんだ。それがラップ音って呼ばれてる」
「え、えええぇっ!?」
驚く僕とは裏腹に、校長は全身でうなずいて説明を引き継ぐ。
「卓越したラップを放つ者ほどラップ音も大きくなる。そしてラップ音は、霊感の弱い人間にも我々怪異をしかと認識してもらうための重要な手段でのぅ」
特に実体を持たないタイプの怪異には死活問題じゃな、と校長はつけ加えた。
「ともかくじゃ。人間に影響を与える存在……七不思議として活動したいなら、ラップバトルで雌雄を決するのが手っ取り早いというわけじゃの。募集要項にも記載したはずじゃが」
「そ、そうだったのか……」
烏天狗さんめ、肝心な部分は伝え忘れていたみたいだ。
「で、どうなんだ。やるのか、やらねえのか」
そう言ってソントク兄さんは、もう一本のマイクを向けてきた。
僕は睨みをきかせるドクロのマイクヘッドと、しばし目を合わせる。
そして手を開き、ガッチリとマイクを握った。
「やります。せっかくの機会を無駄にしたくありません。それに、僕が生まれた製作所では、社長がよくヒップホップを流してたんですよ」
僕が気味悪がられたのも、そのリズムに乗っていたせいだ。
「だからラップは体に染みついてます。僕、できます」
校長とソントク兄さんは満足そうな笑みを見せた。
「決まりだな! 校長、さっそく始めようぜ!」
「うむ。ミュージックスタートじゃ」
とたん、校長室のスピーカーから音楽が流れてきた。
ズン ズン ズン チャッ ズン ズン ズン チャッ……
軽快かつ規則正しいBGMだ。
「バトルは八小節、三ターンの形式じゃ。小節はわかるかの?」
「はい」
僕は音楽に合わせて指を折る。
「この『ズン ズン ズン チャッ』までが一小節です。これの八つ分を交互に三回歌い合う……ということですよね?」
「それで良い。そしてラップはライム……韻を踏むことも重要じゃ」
「母音をそろえるんですよね。『ダビデ』と『わき毛』みたいに」
「うむ」
「あとは『ダビデ』と『吐き気』とか」
「左様」
「『ダビデ像』と『マジ外道』なんかも」
「ダビデに恨みでもあるのかの?」
「いえ別に」
僕は首を振った。
「とにかく韻を踏めばいいんですね?」
「初心者ならそのくらいの認識で良い。じゃが、できればパンチラインもほしいのぅ」
「なな、なんですかそのいかがわしい言葉は」
「パンチラではない。パンチじゃよ。簡単に言えば必殺技かの。相手にダメージを与えたり、観客の心を釘づけにするワードのことじゃ」
「なぁんだ、てっきりラップしながらパンツを見せるのかと」
「安心せい。お主の下半身なぞ見とうない」
「ですよね。ダビデじゃあるまいし」
「恨みあるじゃろ」
「いえ別に。……あ、火の玉」
いつの間にか室内には、いくつもの青白い火の玉が出現していた。ゆらゆらと浮遊して校長室を妖しく照らし出す。
「ステージは整ったみたいだな。校長、先行は俺だ」
ソントク兄さんはドクロマイクヘッドに口づけをした。さらに僕にも口づけしてきそうな距離で睨みつけてくる。
「よう兄弟。ここから先は真剣勝負だ。どちらがこの学校の二宮金次郎にふさわしいか、だけじゃねえ。どちらが二宮尊徳の名を継ぐに値するかの、プライドを賭けた戦いでもあるんだぜ。わかってるな?」
「はい。お互い悔いの残らない勝負にしましょう!」
僕達はそろって薪を下ろす。
校長が大きく咳払いをした。
「二宮金次郎採用ラップバトル、レディ――ファイッ!」
火の玉達がステージライトのような光を放つ。
それを浴びたソントク兄さんは、リズムに乗ってグルーヴを解き放った――
「内定をかけたラップバトル 勝者はたった一人のみ
ノミの心臓いまドキドキ? 俺のハートはウキウキだぜ
月夜が照らす 俺が目立つステージ 素敵な無敵なライムで
浮世沸かすぜ今日のライブで ついでにお前泣かすぜ」
そうそう、ラップってこういう感じだ。聴きながら僕は思い出していた。
ソントク兄さんは、二小節目の『のみ』と三小節目の『ノミ』、それから『月夜』と『浮世』や、『ライム』と『ライブ』、『沸かす』と『泣かす』で韻を踏んでいる。流れるように歌った五・六小節目は、『素敵』と『無敵』の言い方が『ステージ』と同じなのが面白い。
僕も兄さんを見習って頑張るぞ。とにかく韻を踏むんだ。
「本田川製作所で生まれました えーと二宮金次郎です
んっと 面接なので自己紹介をします 得意なことは
みょうがの家庭栽培です あとラップも自信があるので
歌っていこうと思います ニジマス 食べます いただきます(よし!)」
「いや待て『よし!』じゃねえよ兄弟 ガッツポーズすんな上手くねえから
敬語は厳禁 歌詞だせえ 初陣評価は“食いしん坊 ”だ
出直してきな 童 貞 お前の相手は 皇 帝
チェリーボーイが相手じゃ口裂け女も愚痴たれそうだ yeah」
「にやにやしないでくださいよどどどど童貞のなにが悪いんですか!
のどから手が出るくらい僕だって彼女ほしいと思ってますよ!
魅力的な笑顔が眩しい口裂け女さん 憧れです!
八重歯が生えてるところもすっごくセクシー ゼクシィ ギャラクシー」
「悪いが口裂け女も俺がもらうぜ のどから手ぇ出しても
譲らねえ 雷鳴の如く悉く轟く尊徳のビートで
あがいてもがいて成りてぇんだあいつのヒーローに 海底より深い
プライドで不甲斐ないお前の口引き裂いて奪う内々定!」
「たくさん韻踏むの凄いですね 全然息も切れないし
かっこいいなあ 僕も真似してみよう そうだなぁ
海苔弁「食べん」と僕 熱弁 下痢便ひどくてまだ勘弁
理髪店見つけ即入店 トイレ済ませて空 晴天」
プァプァプァプァプァァーン! スピーカーがゲームエンドを告げるサウンドを吐き出した。青白い火の玉達がしぼみ、消えてなくなる。室内には窓から差す薄明かりだけが残った。
ソントク兄さんが苦い顔で僕を見る。
「最後のリリック、きったねえなぁ……」
「いやぁ、あの日は大変でした。烏天狗さんまで海苔弁でお腹壊しちゃって」
「それ以前にお前ウンコ出ねえだろ」
「あ、そうでした――あれっ」
不意に、僕の体がぐらりと揺れた。手を床に突いてしまう。全身が鉛になったような疲労感に襲われ始めた。
銅の草履をはいた足が視界に映る。
「兄弟。これが怪異同士のラップバトルだぜ。下手すりゃ命にもかかわる。そのザマじゃ、この学校で尊徳を名乗るのは六十九年早ぇな」
「くっ……」
僕は拳で床を叩いた。
ソントク兄さんの言う通りだ。最後まで立っていられない者に、栄冠を手にする資格はない。
「ラップはいい線いってたのに……」
「どこがだよ……」
ため息を漏らしたソントク兄さんは、校長に向き直った。
「聞くまでもねえけど、俺が内定ってことでいいよな校長」
答えは明らかだ。僕はかたく目を閉じた。
「いや……この勝負、彼の勝ちじゃ」
「なにぃっ!?」
驚愕の声に僕は顔を上げた。と同時に、ソントク兄さんがマイクを机に叩きつける。
「ボケたか校長!? どう聞いてもこいつの勝ちはありえねえだろ!」
「ボケとるのはお主の耳じゃ」
校長は怯む気配もなく厳かに言う。
「彼はお主に、強烈なパンチラインを放っていたのじゃぞ」
「は? バカ言え。こいつは一度だって俺に攻撃してこなかった。パンチラインなんかどこにも――」
「彼の歌詞、その奇数小節ごとの出だしを発音してみるが良い」
「あん? 奇数の小節だと?」
ケンカ腰ながらも、彼は腕を組んで考え始めた。
「一小節目は確か……『本田川製作所』の『ほ』だろ? 三小節目は『んっと』の『ん』。五小節目は『みょうが』の『みょ』で……」
そうして彼は一つ一つを洗い出していき、そのすべてを繋げた。
「ほんみょう にのみや たかのり……?」
「漢字に直してやったぞい」
いつの間にか、ソントク兄さん側の壁に、一枚の紙が貼ってあった。ご丁寧に火の玉で照らしたその紙には、達筆な字でこう書かれている。
『本名 二宮 尊徳』
それを見たソントク兄さんの背中が、わなわなと震え出した。
「こ、ここ、校長、まさか……」
「うむ。二宮金次郎の本名は、二宮尊徳。尊徳はただの愛称じゃ」
ソントク兄さんが、まさしく銅像のように硬直した。
「お主、ずっと間違えて覚えておったんじゃのう。尊徳の名を継ぐとか言っておったし。先のライム、なんじゃったっけ。『 雷鳴の如く悉く轟く尊徳のビートで』~」
「ちょ、やめろって!」
緑色に溶けた顔が赤らんだように見えた。
「じゃが、これでわかったじゃろ。わしの言った意味が」
ソントク兄さんはゴリゴリと頭をかいた。
「……ああ、これ以上ないくらいのダメージだったぜ。にしても、まだ信じられねえ。トーシロがこんなすげえパンチラインを繰り出すなんて、そんな……」
バカな……。僕が一番びっくりしていることに二人は気づいていない。
「よう、兄弟。やるじゃねえか」
ひざまずく僕の前に、ざらついた銅の手が差し伸べられた。
「認めるぜ。お前の勝ちだ」
「ソントク兄さん」
「そ、その呼び方はよせって。これからはタカノリ兄さんって呼べ」
「はい、タカノリ兄さん」
僕はソントク改めタカノリ兄さんの手を取り、立ち上がった。いまは全身の疲労感も心地良く思える。
僕の肩に、兄さんは腕を回した。
「校長、文句なしだ。俺はこいつを後継者に指名するぜ」
「え、後継者?」
疑問符を浮かべた僕に対し、二人はいたずらっぽく微笑んだ。
「すまんのう、黙っておって。実はこの男こそが、七節小の二宮金次郎なのじゃ」
僕が驚きの声を上げると、兄さんは回した腕の力を強めながら言う。
「生半可な実力じゃ、この学校に長くはいられねえ。だからラップバトルで俺を負かした奴を後継者にしようって決めてたんだ」
「そう、だったんですね」
「悪ぃな、騙してて」
「あ、いえ。僕は気にしてません」
騙されてはいたわけだが、不快ではなかった。この採用面接は、タカノリ兄さんなりの責任の果たし方に違いない。その生真面目さ。彼もやはり二宮金次郎なのだ。
「では、我が校の新たな二宮金次郎君。これを受け取りたまえ」
校長机の上に、一枚の紙が乗っていた。
内定通知書、と書いてある。
僕はマイクを置いて通知書を手に取り、しかと胸に抱いた。
「あ、ありがとうございます! これからよろしくお願いします!」
この喜びをタカノリ兄さんと分かち合おうとしたが、
「あれ、兄さん?」
彼はすでに、薪を背負って校長室を出ようとしていた。
「兄さん」
「先に言っておく。本当の戦いはこれからだぜ」
ドアの前で、背中越しに語る。
「この学校には、とんでもねえ実力のラッパーがうじゃうじゃいる。その上に君臨する、七不思議の称号を持つ奴ら――選ばれし七英雄は、化け物ぞろいだ。俺もその頂きを目指して戦ってきたが……ついに叶わなかった」
「…………」
「でもよ、お前なら」
そう言って横顔を見せた。
「お前なら、手に入れられるかもしれねえ。七不思議の称号を。そして、冷め切っちまったあいつのハートを……」
薄闇に彩られた緑色のくちびるが、寂しそうに微笑んだ。
「あばよ、兄弟。元気でな」
音もなくドアに手をかける。
その後ろ姿へ、僕は叫んだ。
「僕、七不思議になります!」
兄さんが動きを止めた。
内定通知書が折れるのも構わず、僕は手に力をこめる。
「誰が相手でも、どんなに強くても関係ありません。薪と一緒に兄さんの想いも背負って、僕は絶対、夢を叶えてみせますから!」
兄さんは返事の代わりに、親指を天に向けた。そしてドアを引き、月光の注ぐ廊下へ足を踏み出す――
「ぎゃっ」
そのとき、ちょうど廊下を通っていた口裂け女さんが兄さんにぶつかった。彼女は痛そうに膝をさする。
「わ、悪ぃ、口裂け女。まさかそんなとこにいるとは――」
「はい不採用」
「は?」
上から頭をつかまれた兄さんは、
「いや待て、違ぇよ! 俺だ俺! 離せって! うおおおおぉぉい!」
ゴリゴリと床を引きずられていった。
さらば、タカノリ兄さん。
僕、頑張ります!
●●●
採用面接から一ヶ月が経ち、晴れて僕は七節小学校への就職が決まった。
タカノリ兄さんの言う通り、ここには七不思議の座を狙う猛者ラッパーが集っていた。
彼らとは時に戦い、時に励まし合いながら、打倒 選ばれし七英雄を目指して邁進した。そんな僕の存在が起爆剤となり、七節小では昼夜を問わずラップバトルが勃発するようになった。
さらに半年が経ったころ。校長に呼び出された僕は、選ばれし七英雄に挑戦する資格を得た。
彼らとのラップバトルは熾烈を極めた。
一人目。感情のこもっていない瞳で圧をかけてくる理系ラッパー、人体模型。あの念仏めいたラップは今も夢に見るほどだ。
二人目。高速リリックに乗って廊下を激走するマラソンラッパー、テケテケ。追い抜かれたら敗北する特殊ルールには苦しめられた。
三人目。旧校舎の便所でファンをとりこにするアイドルラッパー、花子さん。圧倒的アウェイだったが、小便小僧のコスプレで活路を見出した。
四人目。パンチラしながらパンチラインで殴るセクシーラッパー、絵画モナ・リザ。僕が熟女好きなら土俵にさえ立てなかっただろう。
五人目。プールを舞台に荒波の如きグルーヴを放つ妖怪ラッパー、河童。真冬に繰り広げた激闘の水中戦は今も語り草だ。
六人目。犬語を織り交ぜた独特なライムを操るわんわんラッパー、人面犬。正直なにを言っているのかよくわからなかった。
そして、七人目。この七節小学校の頂点に君臨する最強ラッパー、口裂け女さん。僕が敗北を確信しかけたそのとき、タカノリ兄さんが駆けつけてくれた。
バトルのあと、去り際の口裂け女さんは、マスクの下で微笑んでいるように見えた。僕は、彼女の心の氷を解かすことができたのだろうか……。
口裂け女さんと戦った翌日。僕が選ばれし七英雄に加入できるかが決まる運命の日を迎えた。
緊張を閉じこめた拳で、真夜中の校長室のドアを叩く。
待ち構えていた校長は、神妙な面持ちで口をひらいた。
「実は、四六時中ラップ音がして気味が悪いという理由で、七節小の廃校が決まってしまったのじゃ。……てへ」
「…………」
次の就職先、探さなきゃ……。