最初の客
いらっしゃいませ。
わたくし店主のしがない悪魔でございます。本日は開店セールであなたの人生を特別価格で買い取らせていただきます。このチラシをお持ち頂きますとなんと、一年300万円!300万円にてあなたの寿命を買いとらせて頂きます!サラ金に手を出す前にぜひ当店にご相談ください。
マサルはこの胡散臭い張り紙を電信柱からバリバリむしり取ると
「なんだこりゃあ。新手のヤミ金かよ。一年300万円かぁ。いいね!売る売る、5年分くらい売りてぇや」
とやけくそ気味にぼやいた。
すると、突然目のまえに一軒の店が現れた。
「な、なんだぁ?こんなとこに店なんてあったっけ。ん?看板がでてるぞ…人生買い取り屋だってよ。ここがそうなのか」
マサルは、この奇妙な店を遠巻きに見ているとガラス戸がスゥッと開き、60歳くらいの薄毛で痩せている店主らしき男が出てきた。黒いヨレヨレのスーツを着ている。店先に置いてあるプランターの花に水をやるのか緑色のジョーロを持っていた。
その痩せたオヤジは眼鏡の奥のつぶらな目でマサルの方を向き会釈してきた。
「おや?お客さんかな?それはウチの張り紙ですね。どうぞ、お茶でも飲んでいってくださいよ。あなたは最初のお客様だ。ちょうどお菓子も焼きあがる頃です」
マサルは、人のよさそうなこのオヤジとお菓子の甘い香りに誘われて、ついつい店の中に入ってしまった。
店の中は意外と広く出来ており、待合室のような一角には沢山の観葉植物が置かれていた。
デスクがぽつんと2つあり、パソコンからカタカタと音がしている。
マサルが店に入ると音が止んでひょっこりと小学生くらいの男の子が顔をだした。
「おや?お客様でしたか…これは失礼しました。わたくし店長のしがないともうします。さっこちらにどうぞ。お話お伺い致します」
マサルはキョトンとその店長と名乗る男の子を見た。
黒いスーツをビシッと着こみ、髪はオールバックに撫で付けてあるが顔はやっぱり小学4年生くらいにしか見えない。
マサルは
「ハ、ハァ…」とうなずき、しがないと向かい合わせにデスクに座った。
「小角さん、お茶をお持ちして」
さっきの髪の薄いオヤジがハイと返事をして店の奥に入っていった。
「あの…これを見てちょっと気になって…」しがないはマサルがデスクに置いた人生買取り屋のチラシを受けとった。
「これ…人生を買取るってどういうことですか?」
マサルはいぶかしげな顔でしがないの幼い顔を見た。
「ええ、そうです。ここはあの世とこの世の狭間の空間でして、わたくしは地獄の門番を定年退職しましてね。いわば天下りってやつですか…この人生買取り屋30店舗目の店長ですよ。おっと話がそれましたが、この人生買取り屋というのはこのチラシに書いてあるようにあなたの人生…つまり寿命を書い取る店ですよ。今ならオープニング記念で一年300万円で買い取らせて頂きます」
マサルはキョロキョロと店を見回したが、別段変わったところもなくそう言われてもなかなかピンと来なかった。
店の奥から小角が現れティーポットとお菓子の乗った盆を運んできた。
「今日はダージリンと私の焼いたマドレーヌをどうぞ」
ダージリンの香りが店内に広がり、マサルは鼻をひくつかせた。
「さあどうぞ召し上がれ。小角のマドレーヌは絶品ですよ」
マサルは促されるままマドレーヌをほおばった。
「ウ、ウマイ!」
小角は満足そうに席に座り自分もダージリンを啜った。
「この店はですね。命と引き換えににしてでもお金が必要な人にしか見えないんです…お客様、なんのためにお金が必要なんですか?お金を御用立てするにはその理由を聞かなくてはならない決まりなんですよ」
「その話…本当なんだろうな?一年300万円ってさ」
マサルは念を押した。
「もちろん本当ですよ。ただし、買い取るのは一年単位になります。また残りの寿命は分かりません」
「わからない?」
しがないはうなずいた。
「ハイ、それはあの世の管理局しかわからない仕組みになってましてね。それでもよろしければ…ということになります」
マサルは腕組みしてしばらく黙りこんだ。
小角はおかわりのダージリンを注ぎながら
「しかし…あなたのようなハンサムな方がどのような悩みを抱えておられるのか…きっと女性におモテになるでしょう?」
と声をかけた。
マサルは深いため息をついてポツリポツリ身の上話を始めた。
「ええ…よく告白されますよ。俺を外見だけで見て勝手に妄想膨らませちゃう女の子達にね。でもそんなの俺からしたら迷惑以外なにものでもないですよ」
しがないは相づちをうちながら
「なるほど…で、いかほど御用立てしましょうかね?」
とたずねた。
「一年で300万円…か。じゃあ1500万円かな」
「1500万円といえば5年分ですね。一度契約書を交わしたら二度と取り消しはできませんよ。それと追加も出来ませんのでよろしくお願いします」
マサルはフッと寂しげに微笑み
「後悔なんてしないさ。俺はただ、本当の人生を生きたいだけなんだから…」
しがないは呟いた。
「本当の人生…ですか?」
「ああ、そうさ」
マサルはしがないの小さな手をグイと引っ張り自分の胸にその手を置いた。
しがないは
「えっ!?」と叫んで絶句した。
「マサルさん…あなたまさか?」
マサルはニヤリと笑い
「そうさ、俺は女だ。カ・ラ・ダはね!本当の自分になりたい…それにはどうしても金がいるんだ」
しがないと小角は目の前に座る美少年をマジマジと見つめた。
しがないは小角に書類を持ってくるよう指示した。
「マサルさん…あなたの苦しみお察しいたします。わかりました。あなたの寿命を5年分買い取らせて頂きます」
マサルは嬉しくてたまらないといった表情でしがないの手をとった。
「ありがとう…ありがとう、しがないさん!これで俺は本当の自分に生まれ変われます」
しがないは書類を広げながらマサルに念を押した。
「マサルさん…後悔はしませんね?」
「ああ!ああもちろんだ」
しがないはうなずき
「小角君、ナイフをお持ちして」
小角は小さな果物ナイフをマサルの前に置いた。
「ここに血印を押して下さい。ちょっと痛いかもしれませんが、契約は血印と古来からそう決まってますのでね」
マサルはナイフの先で人差し指をちょっとつつきポッチリと玉のように出てきた血を親指と擦り合わせ、書類の端に押しつけた。ジリリリジリリリ…ガシャッ!
マサルは目覚まし時計のけたたましい音で目が覚めた。
「う…もう夕方か。なんだか変な夢だったな」ベッドの上でしばらくボ〜ッと座り込んでいたが店に遅刻するわけにもいかず、のっそりと立ち上がった。
「ん?なんだこりゃあ!」マサルは右手につかんでいた紙を広げ、驚きの声をあげた。
その紙は間違いなく人生買い取り屋の領収書であった。
そして足元には約束通り1500万円が置かれていた。
「ゆ…夢じゃなかった。夢じゃなかったんだ!」マサルはその場に泣き崩れた。
マサルは鏡の前に立ち、生まれかわった自分の体をマジマジと見つめた。
まだ少し小さな傷後は残っているが、ほぼ完璧だ。
これなら大丈夫…
マサルは自分にそう言い聞かせ、おきにいりのヴィンテージジーンズをはいた。
アパートを出ると階段の下にはすでにカノンが待ちくたびれた顔でたたずんでいた。
「遅いわよマサル!こんな美人を待たせるなんて、少しは心配して欲しいわ」
マサルは部屋にあげるどころか、この階段から上には絶対立ち入るなとカノンにきつく言い渡してあった。
「カノン…今日はアパートに寄っていくか?」
カノンは目を丸くして驚いた。
「ええっ!いいの?今までどんなに頼んでもダメだって言ってたのに」
マサルはニッコリと微笑んでカノンの手をとり優しく握りしめた。
カノンは嬉しくてたまらない様子でギュッとその手を握り返した。
マサルとカノンは駅に隣接するデパートの中にあるコーヒーショップでアルバイトをしていた。
店長はマサルがいる時間帯は女性客がぐんと増えるのでもっと出てくれないか?と毎日のように頼みこまれる。
だがマサルはガンとして首を縦にふらなかった。
大学に行くには金ももちろん必要だが、勉強する時間もなくてはならない。
二人はバイトを終えると明日の朝、部屋までカノンが迎えにいくと約束して別れた。
アパートに戻ったマサルは壁に貼ってある紙をじっと見つめた。
「しがないさん。俺は中学から男として生きてきた。そのために転校までして…。これからはやっとウソをつかないで生きていけます。ありがとう」
マサルは一礼してからシャワールームに入っていった。
次の日…
マサルを迎えにきたカノンは、階段を一段一段踏みしめていた。
胸はドキドキと高鳴っている。「やっとここまで来たわ!マサルはずっと誰も自分に近づけようとしなかった。あんなに素敵なのにいつも哀しそうに微笑むだけ…でも、私絶対あなたのそばから離れないから!そりゃあ…ずっとフラレっぱなしだけど…やっぱりあなたが好き。大好きなんだもの」
ドアの前で深呼吸するとノックしてから
「おはようマサル、開けるわよ!」と声をかけた。
「ああ、入って来いよ」
カノンは一歩進み入り口のドアを閉めた。
マサルは鏡の前でネクタイをしめていた。
なんて綺麗なんだろう。
カノンはマサルの端正な横顔を見ながらホゥッとため息を漏らした。
「なんだよカノン」
カノンはウフフと笑い
「ちょっとみとれちゃった」
と言うとマサルはカノンの細いウエストを抱き寄せて熱いキスをした。
カノンはこの日初めて自分はマサルにとって一歩近づけたのだと確信できた。
この日を境にマサルはカノンと付き合っていると周りにも公言し、学校内でも公然のカップルとして振る舞うようになった。
「カノン…卒業したら結婚しよう」
カノンはうなずき左手のクスリ指には誕生石のルビーの指輪がはめられた。
それから2年後、カノンは純白のウェディングドレスをまといチャペルにひかれた赤い絨毯の上を父親の手に引かれ、ゆっくりと歩いていた。
祭壇の前に立つマサルはまるで王子様のように凛々しく美しくかった。
友達もホウッとため息をつき羨ましそうに幸せな二人を見つめていた。
厳かにパイプオルガンの音が鳴り響き、誓いの詞が交わされる。
「汝、川上マサルは吉田カノンを健やかなる時も病める時も愛することを誓いますか?」
「ハイ!誓います」
「汝、吉田カノンは川上マサルを健やかなる時も病める時も愛することを誓いますか?」
「ハイ、誓います」
「では花嫁に誓いのキスを」
マサルはカノンを愛しげに見つめ優しくキスを交わした。
結婚式が無事に終わり、二人はハネムーンのオーストラリアに向かう為飛行機に乗り込んだ。
「お疲れ様。マサル疲れたでしょう?なんだか顔色が悪いわ。大丈夫?」
マサルは目をつむったまま
「ああ…大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだ。少し眠るよ…」カノンは膝掛けをもらい、マサルにそっとかけてやった。
「おやすみマサル…愛しているわ」
飛行機はシドニーに着き、カノンはマサルの体を揺すった。
「マサル、起きて…着いたわよ。私も疲れて眠っちゃったわ。さあ、これから楽しみましょう!マサル?マサルったらどうしたの?マサル!?だ…誰か、マサルが…マサルが…」
しがないはパソコン画面にメールが入ってきたのに気付いた。
「小角君、今日のお菓子はドーナツがいいな。シナモンたくさんふってよね」
小角はいそいそと奥のキッチンに入っていった。
カチャカチャとマウスを動かして、しがないは大声で小角を呼んだ。
「小角君、管理局から知らせがきたよ!」
小角はデスクに駆け寄ると画面をのぞきこんだ。
「えっ…マサルさんが? 」
「ああ、そのようだ。早かったなぁ…」
「そうですね。あの人にとってはどうだったんでしょう?これで良かったんでしょうか?」
しがないはフゥとため息を漏らし
「さぁどうかな?だれも明日のことなんてわからないからね。幸せかどうか決めるのは自分だから…でも幸せであったと思いたいね」
小角は静かにうなずいた。
「あっ…いらっしゃいませ。ようこそ人生買い取り屋へ。さぁこちらにお座りください。小角君、お茶お持ちしてね!」
店内はほうじ茶の芳ばしい香りが優しく包んでいた。