名前
次の日、再び目を覚ますと、相変わらず男は檻の中の私を凝視していた。
どういうわけか、なにやら鼻息が荒い。
どうしたのかと思い。私は自分の状態を確認した。
「ああ…。なんだ。そんな事か。」
私の寝相が悪かったのか、着ているボロ切れが、はだけていたのだった。少し肌が露出している。一応隠さなければいけない所は見えていなかったが。
男は相変わらず興味津々にこちらを凝視している。
もう既に複数の男に体を見られているのだ。それに、貧相な汚い体だとのお墨付きも貰っている。
私は慣れてしまい、特に恥ずかしいなどとは思わなくなっていた。…こんな痣だらけの体のなにがいいのやら。
「私の体でも興奮してくれるの?」
私は静かに、ゆっくりと服をめくった。私が持っているものなんてこの体くらいだ。助けてくれた男への礼のつもりだった。
すると…。
「ヴッ!?…ヴァッ!ヴァッ!」
唐突に男が私から視線を逸らし、両手を前に突き出すような素振りをしたのだ。
「え?何…どうしたの?」
私は服をたくし上げたまま男へと近づく。
男は相変わらず目を逸らしたまま、見ないようにしているようだ。
??? どういう事なのだろう?
男の行動がよくわからない。こんなに大きな体をして、女性の裸に抵抗がある年齢には思えないし…。
しかし、どう見ても、その男の仕草は恥ずかしがっているように思えてしまうのだった。そう。まるで少年の様だった。
男は私に向かって「ヴァッ!ヴァッ!!」と何かを伝えようと声をあげた。
…これはやっぱり…。
「もしかして恥ずかしがってる?
私にちゃんと服を着て欲しいの?」
男は肯定するように声をあげ、後ろを向いた。
どうやら服を戻す際に、私の体を見ないようにそうしているようだった。
…どうして、そんな事を?
この体格差だ。彼にとって私なんてその辺の虫と同じような存在だ。どうとでもする事が出来る。
でも、彼はそうしない。
何か理由があるのだろうか?
もしくは、痣だらけの私の体を見て、目に毒だと感じてしまったのかも知れない。
私は申し訳ない気持ちになって、服を元に戻した。
見計らう様に男は私の方を見て、ほっとするような仕草をした。
「ヴー。」
「変な人。」
私は彼の慌てた様子がおかしくて少し笑ってしまった。
男は不思議そうにこちらを見ていた。
冷静になり、今の状況を考えてみる。今、私達は囚われの身だ。そして、見世物小屋に輸送されるためにあの馬車に乗っていた。
つまり、受取手がいるはず。
と、いうことは。ある程度時間が過ぎればいつまでも到着しない馬車に気づき、追っ手が来る可能性が高いという事。
しかし、どういうわけか、追っ手が来ない。もしかすると、あの馬車の乗り手は死んでいたのか、もしくは、探すほど私達には価値がないのか…。
でも、ここに留まるのは危険な気がする…。
そんな事を考えていると、いきなり檻が持ち上がった。
「ヴァッ!」
再び視界が異様に上がる。
「ひゃっ!
も、もう!いきなりもちあげないで!!
びっくりするでしょ!」
私が少し怒ると、男は私の方を見て、「ヴー」となんとなく申し訳なさそうな声をあげた。
◆
思いのほか、男の肩の上は快適だった。
とても気を使ってくれているのか、全然揺れない。お陰で、お尻の痛みも少しマシになってきた。
彼の一つ一つの動作に、優しさが感じられる。
初めは恐ろしかったが、私は徐々に彼に好感を抱き始め、話しかけてみた。
「ねえ。あなた。名前は何っていうの?」
そう問いかけても、男は首をかしげるばかりだった。
やはり、言葉は通じていないようだった。
「でも、名前がないと不便よね…。私が勝手につけても良いのかしら…」
男に揺られながら少し考えた。
名前には、願いが込められると言われている。
私の名前はルナ。苗字は捨てられたのでわからない。
両親がどういう気持ちでこの名前をつけたのかわからないけど、私はこの夜を彷彿とさせる名前があまり好きでは無かった。
一人の夜は寂しくて、孤独で、あまり良い思い出が無かったのだ。
だから、彼には明るい名を。誰をも照らすような素晴らしい名前にしてあげたかった。
私は彼を、自分の名前と対になる、ソルという名前で呼ぶ事にした。
「うん。ソル。私、貴方のことを、ソルと呼ぶわ。」
「ヴ?」
ソルはやはり理解できていないようで、首をかしげた。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね!
私はルナよ
ルナ!」
私は自分の事を指差して、何度もルナと言った。私は彼に自分の名前を呼んでもらいたかったのだ。随分と呼ばれていない自分の名前を。
「ヴア…。」
「ルナ!」
「ンヴァ!」
ソルは私の名前だと理解したのか、納得したような仕草をして言った。しかし、発音が全く出来てない。
「…やっぱり話せないのかしら。」
彼の首には刃物の跡があり、何かしらの後遺症があるのは目に見えていた。
気を取り直して次に彼の名前を伝える。ソルを指差し、言葉にする。
「貴方はソルよ!
ソル!」
「ヴヴ…。」
彼も自分を指差して何度も口にする。
「ヴォヴ」
「違う。ボブじゃない。
ソル!」
「ヴヴ!」
ソルはハッとしたような反応をした後、私を檻ごと丁寧に地面に置くと、私に向かって、片膝をついた。
「え?何!?」
「ンヴァ。ヴゥアヴヴウ、ヴヴ。ヴァヴウアウァ。」
「ごめんなさい。貴方が何を言っているのかわからないわ…。」
しかし、ソルの様子を見るに、悪い反応では無いような気がする。この様子を見て、やはりソルは独自の文化を持った部族なのでは無いかと思った。
馬車の中でもそうだったが、どうにも行動が儀式的なのだ。
私はどう行動して良いのか全くわからなかったが、相変わらず彼に敵意は感じなかった。
よくわからないけど、悪い気はしない。
「うん。これからも宜しくね。」
わからなかったけど、自分の気持ちを伝える。
少しでも、彼に伝わると良いんだけど。