第2話(1)
これは僕がまだ若い頃の話だ。とはいってもこれを書いている僕もまだ20代だ。
あのときの僕はまだ無軌道なティーンエイジャーで、大学の1年生だった。
進学した大学は東京にあって、僕が生まれてから高校まで過ごしていた街とは離れていた。無論、実家から通学することはできなかった。
高校の2年生のとき、僕にこの街から離れたいという気持ちが生まれた。その気持ちは変わらず、季節が過ぎるごとに確固たるものとなっていった。その理由について深く考えることを避けていたが、怜央が、僕の幼馴染が消えてしまったこと以外に考えられなかった。ほかに理由らしい理由もなかった。
僕と16年に渡り時間を共有していた彼女は、ある日何の前触れもなく、そのわけを誰にも言わず、この世界から損なわれてしまった。
そして僕は魂の半分をなくしたような気分のまま、高校を卒業した。
両親は心を閉ざした僕の様子を見ていくぶん心配したようだったが、大学近辺のアパートで一人暮らしをすることを最終的には承諾してくれた。そのときの僕には、未知の体験に対する期待と不安があった。そして何より全てを一から始められることに安堵した。特に父親といっしょにこれから住む街の不動産屋に行って、ああでもないこうでもないと物件の間取り図とにらめっこしたときは、特にそう思った。
入学した当初は、いろいろとイベントはあったものの、それも終わり学校生活に慣れていくと、僕はいささか退屈していた。またこれからの大学生活に何か期待するようなこともなかった。まるで大学という工場が、4年間かけて学生に知識を詰めこんでいくライン作業のようなものだと僕は思った。
平凡な地方都市である故郷の街と、東京では比較にならないほどの娯楽がある。それが僕には、日々大量生産され大量消費される工業製品が、果てしなく陳列されているように見えた。
僕は積極的に交友関係を広げようとはしなかった。だからといって、人間関係の構築を拒否していたわけではない。
大学でできた数少ない友人にヒツジと呼ばれる同学年の男がいた。
なぜヒツジなのかは僕にもわからない。それに特段、訊ねる気にもならなかった。別に白い髪やひげをぼうぼうに生やしているわけではなかった。
僕は子供の頃から基本的に他人をあだ名で呼ばない人間だった。それで人との距離がうまく縮まらなかったり、場がしらけることも少なからずあった。だが僕はあくまでそのほうがしっくりくるので、それまでのやり方を変えるつもりもなかった。
ヒツジはその数少ない例外だった。
*
夏に入ったばかりのある日の夜、僕とヒツジは学生街にある一軒のバーに入った。隠れ家的といえば聞こえはいいが、ただの狭くて冷房の効きが悪い、こぢんまりとした店だった。
まだ時刻が早いせいか、常連らしい客が1人、カウンター席の奥にいるだけだ。
アップテンポのジャズのナンバーが店内に流れていた。セロニアス・モンクとそのバンドのレコードのようだ。
「いらっしゃい」とマスターがそっけなく言った。
マスターは年齢は知らない。30代にも見えるし、50代といわれればそうとも思える。外見や声からでまったく判断がつかなかった。
ワックスがていねいにかけられた床をツカツカと歩き、カウンター席に並んで座る。
僕たちはビールとフライドポテトを注文した。
我々はその年の夏までにドラム缶3つ分のビールを飲み、フライドポテトをたいらげた。