第1章:鬼ヶ島からの脱出Ⅱ『月の石』
もしも、この仕掛けが侵入者を誅殺する類のものだったとしたら、いかに忍の術を心得ていようとも、あえなくおだぶつである。
東雲はつとめて体勢を低くかがめ、全方位に神経をとがらせた。
息がつまるような暗闇の中、耳ざわりな鳴動だけが刻一刻と時をけずる。
しかして、機はほどなく訪れた。
突然なにかにぶつかるような衝撃が走り、上昇移動によって圧迫されていた胃の腑がひっくり返る。
直後、あれほどかたくなであった金属の壁が、するすると上へ開いた。
東雲は転がるように箱の外へと跳び出した。
謎の仕掛けによって強制的に移動させられた上階は、地下とさほど代わりばえのしない石造りの部屋であった。
東雲はしばらくあたりを警戒して身構えていたが、特段罠のようなものも見受けられず、肩の力を抜く。
むしろ呆気にとられるほどの静けさである。
取り立てて地下との違いをあげるとすれば、天井から降り注ぐ淡い光くらいか……。
「……なんじゃあ、あれは」
東雲は眩しげに手で目もとを覆いながら、頭上の光源をあおぎ見た。
ほこりっぽく湿った闇に、摩訶不思議なものがチラついている。――石だ。
青白く光る奇妙な石が、天井に取り付けられた木製の台座にひっそりと鎮座している。
大理石のように白いその石は、夜空に輝く月を彷彿とさせる淡い光を放って、あたりをほのかに照らしている。その美しさたるや、数多の宝石が路傍の石ころに思えるほど蠱惑的であった。
「これまた面妖な……」
東雲は近づいて、ほうっと感嘆の息をこぼした。
部屋の片すみに、火の灯っていない油皿が備えられているのを見るに、照明のための石ではないらしい。
石の真下には、先ほど東雲の心臓をおびやかしてくれた金属の箱があった。まるで光る石に吸い寄せられるかのごとく、ぴたりと触れ合い静止している。
東雲は片眉を跳ね上げた。
どうやらこの大掛かりな仕掛けは、侵入者を退けるためではなく、重い荷物などを地下へと運ぶ昇降機のようだ。床に幾筋もこすれた痕があることから、まず間違いないだろう。
しかしそれにしては、石と箱の間に吊りあげるための縄や鎖のようなものがない。
仕掛けは、文字通り宙に浮いていたのである。
「……はてさて。こんなもん、浮世では決してありえんよなァ」
思わず、にんまりと口の端が引き上がる。
得体の知れない物に対する警戒はもちろんあったが、それよりもいよいよ現実離れしてきたことに、愉悦の気持ちがにじみ出たのだ。
東雲は好奇心のおもむくままに跳びあがって、箱の上へと身を躍らせた。
わからないモノは徹底して調べずにはいられないのが、忍の性なのだ。
男ひとり分の重さで仕掛けが下降し、石との間にわずかな隙間ができる。
しかしそれらは依然として引きつけ合ったまま安定していた。
「お?」
構わず箱の上に乗りあげると、またしても変わった物を見つけた。
下からではわからなかったが、仕掛けの上部には網目状の金属でつくられた飾り籠がついており、中の空洞が透けて見えた。その中に、黒い蓮に似た花が浮かんでいる。
――そう、浮かんでいるのだ。
光る石も珍妙であるが、格子の中でくるりくるりと回る花もまた異質である。
もしや、これが宙に浮くカラクリの核心部分なのか……。
東雲は短くうなった。
さては、この黒い花か光る石のどちらかが、強い磁力を持っているのではないか。
まじまじと観察しながら、東雲はそのような仮説を立てた。
伊賀の忍は、星のない夜に方角を知る道具として〝耆著〟という方位磁石を携帯するほど、この時代には珍しく磁気に関する造詣が深い。それ故の発想であったが、しかしいくらここが地獄だからとて、このような形状の磁石などありえるのだろうか。
物珍しさのあまり、無意識に身を乗りだしていたのだろう。
東雲の身体が石の光をさえぎって、黒い花の上に影をつくった。――その直後、足もとの仕掛けが、突然重力を思い出したかのようにけたたましい音を立てて落下した。
どうやら磁力ではなく、石の光によって花は浮いていたのだ。
そんな悠長な考察をしている場合ではない。
「おぉおっ!?」
ほぼ反射的に東雲は光る石をつかんだ。
拳ほどの大きさしかないそれは、半分ほどが天井に埋まっており、つかめる面積はわずかしかない。
「くっ、ぉ、お!」
間一髪、宙づりとなった身体の真下で、今しがた昇ってきたばかりの縦穴が、ぽっかりと底知れぬ暗闇を湛えたたずんでいる。
ひやり、と肝が冷えた。
東雲は手汗ですべりそうになる指先にありったけの力をこめ、体を前後に揺らすと、からくも上階の足場へ舞い戻った。
――はやくも二度目の死をむかえるところである。
情けなくも動揺する心臓をなだめている間に、再び階下から件の箱がすーっと音もなく浮上して、なに食わぬ顔でもとの位置におさまった。
「…………」
東雲は誰が見ているわけでもないのに、ばつが悪そうな面持ちで視線を泳がせた。
一体自分はなにをやっているのか。
「浮かれているのは俺の方だってか……。やかましい、自覚してるわ」
無理からぬことだ。
ここは伊賀の里でもなければ、彼を縛る伊賀者は誰一人としていない。十数年もの間囚とらわれていたしがらみから解き放たれた今、平常心を保てという方が土台むちゃな話なのである。
しかしこれでは、いつ再びころっと死んでしまうかわからない。
東雲は気合を入れ直すように両頬をたたいた。
「臨兵闘者、以下省略!」
喜ぶのはまだ早い、と喝をいれる。
しかしその姿すら、やはりどこか楽しげであった。