第3章:烏合の戦場ⅩⅦ『種明かし』
― Ⅶ ―
白と灰と赤に覆われた空間で、しばし彼らは倦怠からくる沈黙に身を投げ出していた。
動ける者は無言で怪我人の治療にいそしみ、あるいは事切れた同胞の亡骸に寄りそって涙を流した。
なぐさめにもならないことではあるが、亡くなった者たちは皆、赤鬼の強烈な一撃によって絶命していた。
あまりにも圧倒的な暴力は、彼らに苦しむ間もあたえず命を奪い去ったのだ。
生き残っている者たちが比較的軽傷であるのも、その一撃をまぬがれたからに他ならない。
奴隷としての運命から解き放たれた青鬼たちは、この日はじめて〝勝利〟という輝かしい栄誉の裏にある現実の重みを知った。
その中にあってひとりだけ、他とは違う苦しみにさいなまれている者がいた。
自らの傷を適当に処置した東雲は、甲板の隅でうずくまっているレイラの姿に違和感を覚えた。
彼女は一見怪我らしい怪我をしていない。しかし苦悶の表情を浮かべた顔は死人のように白く、過呼吸を起こしている。
「おい、どうした?」
そばへ寄って肩を揺らせば、その身体がぎょっとするほど熱を持っているのがわかった。
己を抱きしめるようにまわされた手が、強く背中に食い込み、爪に血が滲んでいる。
異変を感じ取り、何人かの青鬼たちも集まってきた。彼らはレイラの様子を目にするや、ハッと痛ましげに息を飲んだ。なにか心当たりがある様子である。
ひとりの女性が顔をこわばらせながら、そっとレイラのかたらわに膝をつき、静かに声をかけながら衣服をめくりあげた。白く細い背中があらわになり、悲痛なざわめきが湧きおこった。
「……なんてことだ」
雪のような柔肌に、禍々しい痣が浮きあがっている。
痣は皮膚の内側から溶岩のように赤く熱を発し、彼女の肉をじくじくと腐らせていた。
「咎人の楔だ」
誰かが呆然と呟いた。
怪訝な表情を浮かべる東雲に、トトが険しい面持ちで説明した。
咎人の楔とは、名前どおりの拘束具ではない。鬼の国で精製されるおぞましい呪毒のことである。
謎につつまれたその毒は、重罪を犯した奴隷の魂と肉体を、永久に束縛する力を有する。この毒を口にしたが最後、赤鬼の命令に逆らえば全身を駆け巡る血管が溶けて激痛を生み、反抗すればするほど肉が焼けただれ、最終的には骨が腐って、死にいたるのだ。
ここにいる青鬼たち全員が、一度は受け入れようと覚悟した奴隷の末路であった。
なぜレイラがこの毒を飲むに至ったかはわからないが、症状は深刻である。
――原因は明らかだった。
彼女は、捕らえられた青鬼たちを救うため、赤鬼の悲願である海図を奪い、あまつさえ計画を放棄しろと脅迫したのである。
本国への反抗の度合いが毒の呪詛を高めるというならば、これほど罪深い行為もない。
青鬼たちは言葉を失った。
彼女の行動によって命を長らえたというのに、彼らには少女を救うすべがないのだ。
「――あきらめてはなりませんぞ!」
トトが、祖父の手帳をめくって言いつのった。
「西大陸には驚くべき効能の良薬が、数多くあると聞きます!」
まるで自分に言い聞かせるように、憔悴したレイラへ話しかける。
「カルディアという植物があるのです。どんな病もたちどころに癒し、その者が健やかであった時の姿へ蘇らせる、奇跡のような花が」
夢のような話を、トトは必死で語った。
たとえその話が真であったとしても、彼女が西大陸へ辿り着くまで持ち堪えられるはずもない。
そうとわかっていながら、トトはありえない夢にすがった。
もうこれ以上、勝利の果てに失われる犠牲など、見たくはなかったのだ。
優しいネズミの大粒の涙に、レイラはかすかに笑った。
なにもかもあきらめたような、空虚な笑みであった。
「自業、自得よ……。私が、やりたいように、やったの……。だから、悔いはないわ……」
東雲は眉をしかめた。彼女は相変わらず嘘が下手だった。
それに、あきらめる必要などどこにもない。
東雲はトトが広げる図面に視線を落とした。
白い幽霊のような五枚の花弁と、ひしゃげた葉。――なんの因果であろうか、それは彼がこの世界で最初に目覚めた場所にあったものだった。
ならばと、腰帯から光り輝く最後のひと粒を摘まみ出す。
「その植物ってのは、種でもいいのか?」
「ええ、むしろ種にこそもっとも多い効能が、そう、ちょうどそのような、タネ……、え?」
ぽかん、と誰もが口を開けて固まった。
あまりにも唐突に彼らの前へ差し出されたそれは、まぎれもなく手帳の一ページに描かれた図説と相違ない。
「嘘……」
真っ先に否定へ走ったのは、救おうとした張本人であった。
彼女だけでなく、あまたの視線が紙面と実物とを往復し、それでも信じられずに絶句している。
確かにあまりにも出来過ぎた展開であるが、あるものはあるのだ。
東雲はしびれを切らして、種をレイラの口内へ強引にねじ込んだ。
「とにかく食え」
効果のほどはすでに実証されている。――彼こそ、その生き証人である。
もしかするとヘドロののっぺらぼうになったり、突発的におかしな行動をとるようになるかもしれないが、どのみちこのままなにもしなければ彼女は死ぬのだ。
数秒、未知への懐疑に躊躇していたレイラであったが、最終的に東雲と同じ結論に達したようだった。意を決して彼女は種を呑みこんだ。
青鬼たちは祈るような想いで、痛ましい痣が少女の身体から消えるのを待った。
しばらくはなんの変化もあらわれなかった。
しかし段々と彼女の呼吸がゆるやかになり、腐りきった果実のようであった肌が健康的な色を取り戻していく……。
歓声があがった。
奇跡だと、我が事のように涙を浮かべる者さえいた。
だがしかし、その声は急速にしぼんでいった。
レイラは一命をとりとめた。
しかしそのかわりに、美しい銀白の髪は、禍々しい痣の熱が移ったかのごとく燃えるような緋色を宿した。
――少女は、混じり者であった。




