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第3章:烏合の戦場ⅩⅥ『呵呵大勝』


 静寂にたゆたっていた海は次第にうねりを増し、帆が音をたててひるがえった。


 ここにきて赤鬼(オグル)たちは焦りをみせた。


 海図という生命線が東雲の手にある限り、白濁の海域へ雲隠れした船を追うすべはない。

 もはや処断うんぬんと遊んでいる場合ではなかった。


 (さや)()りが連鎖した。

 青鬼たちの血で赤黒く光る刀身が、走りくる黒衣の男へ狙いをさだめる。


「海図を渡せッ!」


 焦燥に浮足だった彼らは、一斉に東雲へと襲い掛かった。

 功を急ぐあまり、血走った金の瞳が色褪せた紙の束へ釘づけとなっている。


「そんなに欲しけりゃくれてやる」


 東雲は腕を大きく振りかぶって、分厚い書巻を天高く放り投げた。

 すべての視線が驚きとともに上空を仰いだ。


 その瞬間、おろそかになった足もとをふたつの残像がすり抜けた。直後、新たな鮮血が甲板を濡らした。

 東雲と、阿吽の呼吸で飛び出したトトが、赤鬼どもの足の腱をかすめ斬ったのである。


 ぐらり、と巨躯が傾いた。


「海へ突き落せ!」


 雷光のごとき大音声(だいおんじょう)が轟いた。

 古兵(ふるつわもの)の船長の一声に、修羅場を戦い抜いた青鬼たちは破竹の勢いで飛び出した。


 負傷者とは思われぬ気勢で赤鬼にしがみつき、手の平へ歯をたて剣を奪い、数人掛かりで押し倒す。


 激戦によってあちこち欠損した船もまた、主たちの最後の抵抗に加勢した。

 波にあおられて船体が揺れ、足の腱を傷つけられた赤鬼たちは堪らず転倒した。


 いかに剛腕を誇る肉体であっても、下半身の支えがなければ、ただデカイだけの木偶(でく)である。


 さらなる血潮が風に舞い、大きな水しぶきがいくつもあがった。


 果てしない歳月をかけて緻密に築きあげられた戦場の盤面は、ここにもろくも崩れ去った。

 いまや人の和は乱れに乱れ、艦隊という地の利も瓦解し、ついには天の時までもが小さな貿易船へ微笑みかけた。


 視界がすべて白に染まる。

 そびえたつ海霧の壁が甲板を呑みこんだのだ。


 船は、とうとう迷路海流の門扉をくぐった。


 ――こうして、雲海の謎を記した叡智の書は、またしても濃厚な灰白の霧のむこうへと、その姿を消したのである。


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