第1章:鬼ヶ島からの脱出Ⅰ『胎動』
暗闇を前にした時、人は無意識に光を求める。しかしそれは往々にして愚策である。
東雲は即座に瞳を閉じた。
後ろ手にすばやく木戸を閉め、石壁のすみに身をよせると、そのままじっと黙して動かなくなった。――暗夜における隠法の一種である。
いったん部屋へ取って返して、油皿から松明をつくれば、容易に暗がりの奥まで照らすことができるだろう。しかしながら、得体のしれないこの場所で考えなしに火を持てば、自らの存在をおおっぴらにさらすことになる。他者の気配がないとはいえ、用心するにこしたことはない。
鬼から拝借した衣が暗色だったこともあり、東雲の姿は溶けるように闇の中へと沈んだ。
光が遮断された空間で、身じろぎもせず、壁に耳をあて音を探る。あたりは水を打ったように静かである。かすかなざわめきすらなく、かわりに湿った土の臭いが濃く満ち満ちている。
やはりこの場所は地下にあるらしい。
しばらくして瞼をあげると、その両眼には先ほどよりもはっきりと周囲の様子が浮かびあがった。忍者の夜目は、度重なる修練により常人のそれをはるかにしのぐ。東雲もまた例外ではない。伊賀の忍術はこと地獄においても、おおいに役に立つようだ。
もっとも、だからといって彼の里に感謝の念を抱くようなことは、天地がひっくり返ってもないであろうが――。
東雲は壁に手を触れたまま、ゆるりと前に進んだ。しかしいくらも進まないうちに行く手をはばまれた。部屋の外は、三方を壁に囲まれた袋小路になっていたのだ。
「はて、十中八九どこかで上に通じているはずだが……」
指先をなめれば、やはり空気が上へと流れている。つられて天井をあおぐと、その場所だけ石材ではなく、鉄のような金属の板になっていた。
板は、床から伸びた四本の柱によって天蓋のように支えられている。
東雲は石壁のみぞに手をかけ、軽々とした身のこなしでてっぺんまで登ると、天板を押し上げようと試みた。
「ふんぬっ」
しかし、どれほど力をこめようともびくともしない。天板は予想以上に分厚く、頑強なつくりになっていた。
天板と壁の間にはわずかな隙間があり、風はそこを通り道にしているようだった。駄目もとでそこに指をさしこみ、押したり引いたりしてみるが、隙間の分だけ前後に揺れ動きはしたものの、脱出口となる兆しはみられない。
まんべんなく調べつくし、あきらめて床に飛び降りる。
――するとその時、視界の端に奇妙なものがよぎった。
壁の石材のひとつに、不自然にすり減った痕がある。まるでなにかしらの意図をもって、幾度もなでつけられたかのような痕跡だ。
まさか、という期待を抱きながら触れると、あきらかに噛みあわせがゆるい。
慎重に押しこんでいけば、石材はこまかい砂を巻きこみながら、すべるように壁の内側へと埋まった。
それが鍵だったのだ。
ガタン、と頭上で音がして――次の瞬間、予期せぬことが起きた。
「うぉおっ!?」
突然、四本の柱につながれた狭い一角を遮断するように、分厚い壁が降りてきた。
あっという間に退路を断たれ、東雲は咄嗟にそれを蹴りつける。しかし、隙間なく立ちふさがった四枚の壁は、頭上の天板と同様の金属でできており、どれほど力を込めようとビクともしない。
そうこうしているうちに、足もとの石床がガタガタと振動をはじめ、東雲はたたらを踏んだ。
信じがたいことだが、どうやらこの空間全体が地盤から切り離され、ゆっくりと上昇しているらしい。これにはさしもの彼も、警戒した猫のように身構えた。
漆黒の闇の中、狭い金属の箱が石壁をこする硬質な音が、忍の鋭敏な鼓膜を叩く。
箱は、見えない力に引っ張られるかのごとく上昇を続け、みるみる下層部が遠のいていく……。
東雲の脳裏に、最悪の事態がよぎった。