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第2章:泳ぐ極楽島Ⅵ『海の墓場』


   ― Ⅲ ―


 迷路海流をあてもなく漂泊すること五日が過ぎた。

 広大な霧の海域はどこまで進んでも終わりが見えず、日数を確認する手立ては、淡く届く陽光が途切れる時間帯を数えるほかない。


 幸い、しとしとと糸のような細い雨が断続的に降ってくれるので、少量の飲み水を確保することはできたが、案の定釣りの成果はさっぱりであった。


 二日目からは縄をばらして小さな網をつくり海へ垂らした。

 すると、まれに小魚やエビが引っかかるようになった。しかし空腹を癒すにはほど遠い。

 しばしば海面を浮きつ沈みつ流れてくる海藻を拾っては、かぼそい声で鳴く腹の虫をなだめるのだった。


 沈黙と倦怠の日々に、一番まいっている様子なのはレイラだ。

 しかし初日の一件以来、彼女の瞳から生きようとする意志が消えることはなかった。


 少女とて、まがりなりにも鬼である。外見こそ貧弱な印象をぬぐえないが、案外タフなのかもしれなかった。




 かくして、五度目の黄昏(たそがれ)がおとずれた。


 熟れ落ちた太陽の光が、霧の底を怪しげな赤銅色に染め、ただでさえ不明瞭な視界を暗くぼやけさせていく。

 夜の帳が色濃くなるにつれ、今日もまた駄目だったかと、各人の胸に重い落胆が生まれた。


 だが、その時である。


 ふいにトトが大きな耳をピンと立て、豊かなヒゲを震わせた。

 そしてやや緊張した空気を纏いながら、警戒した面持ちで船の後方へ鼻先をむけた。


 しっとりと水気をおびた飴色の毛が、剣山のように逆立っている。

 常にないその様子に、東雲たちも船尾へ視線を走らせた。


 しかし当然ながら、重厚な霧の壁に阻まれて、一寸先も見通しがきかない。


「……なに? なにかあるの?」


「わかりませぬ……」


 曖昧(あいまい)(こた)えに反して、硬直した声音はなにかの存在を確信した響きを孕んでいた。

 五感ではなく、本能で異変を察知しているのかもしれない。


 張り詰めた沈黙が船の上にわだかまった。警戒と不安と、かすかな期待を抱いて薄闇を見続けることしばらく……。

 次に反応を示したのは東雲であった。


 時刻は逢魔(おうま)が時である。

 濃藍(こいあい)と金と(くれない)がべったりと混じりあう海上に、ゆらゆらと漂うなにかが見えた。

 木片だ。砕けた木板のようなそれを拾いあげれば、他二人の視線が集まる。


 返す返す眺めても、ただの板きれである。

 しかし、彼らが肩すかしに拍子抜けした直後、間を置かずして異様な光景が船のまわりを取り囲んだ。


 どこからともなく漂流してきたおびただしい量の板くずが、海面を埋め尽くしている。


 突然、トトがはっと息を飲んだ。


「あれはっ、青鬼(ユニル)の方がたが乗っていた船の外装では!?」


「なに?」


「……嘘でしょ」


 見る影もなくバラバラに打ち砕かれた残骸の山は、一隻だけのものとは思われない。


 まさしく船の墓場ともいうべき場所に、小さな帆かけ船は飲み込まれた。

 瓦礫(がれき)が進路の邪魔をして前にも後ろにも抜け出せそうにない。


 トトが瓦礫へむかって声をかけようとした。

 残骸の中に、遭難した青鬼たちがいるのではないかと思ったのだ。


 しかしその口を、東雲の手の平が塞いだ。


「むごっ」


「静かにしろ……、なにか来る」


 その言葉が終わるやいなや、前方にぽっかりと闇が現れた。


 太陽が雲にでも隠れたのかと思ったが、どうやら違う。

 雲海の一角に、暗く(おぼろ)な幽気がたたずんでいる。緊張が走った。


 彼らが見ている目の前で、模糊(もこ)とした闇はむくむくと膨らみ、やがてなにかの巨大な影が、急速に近づいてくるのだとわかった。


 霧が不気味に渦を巻き、尾を引きながら流れていく。


 白い霞幕(かすみまく)をかきわけて、見上げるほど巨大ななにかが姿を現した。


 それはなんと、苔むした陸地であった。

 硬い岩盤に覆われた岩島が、荒波を起こしながらこちらへ迫ってくる。


「……あー、西大陸(ユーラヘイム)ってのは、これか?」


「バカ! そんなわけないでしょう!?」


「ぶつかりますぞ!!」


 悲鳴をかき消す轟音が霧の海に響き渡り、小船は木端微塵に吹き飛んだ。


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