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序章:東から来た男Ⅱ『天正伊賀の乱』


 時は天正七年(一五七九)八月。

 かの織田信長が、天をも焦がさんと日ノ本各地で戦火をあげていた頃。


 その禍々(まがまが)しき火の粉が、ついに伊賀の里にも降りかかろうとしていた。

 いまだ年若き信長が次男、織田信雄(のぶかつ)に目をつけられたのである。


 諸国に散っていた伊賀忍はことごとく参集し、日夜ほうぼうを駆け巡っては、針の落ちる音すら聞き漏らすまいと、総力をあげて織田勢力の動向をうかがっていた。


 その渦中に東雲(しののめ)の姿もあった。



 草木も眠る丑の刻、 煌々とした月が照らす十六夜のこと。

 彼が人生の選択を間違えたのは、まさにこの時であった。


 命じられた諜報任務を終え、伊賀の領地に帰還した東雲は、突如十三人の男に取り囲まれた。――前触れなどなかった。しかしその光景を目のあたりにした瞬間、東雲はすべてを悟った。


 彼は里に「いらぬ者」として切り捨てられたのである。


 なぜ、などと御託を並べている暇はなかった。


 東雲は即座に忍刀を抜き放つと、夜陰に沈む山林へ脱兎のごとく跳びこんだ。間髪入れず、頭上から無慈悲な矢の雨が降り注ぐ。一本が背を穿ったが、東雲は足を緩めなかった。

 立ちはだかる一人を斬り捨て、さらに林の奥へと無我夢中で駆ける。


 おそらくは、強大すぎる織田勢力との戦を目前にして、離反者でも出たのだろう。忍といえど、しょせんは人である。恐怖が伝播し、綻びが大きくなってしまう前に、疑わしき芽はすべて一掃してしまえ、と里の上層部が判断したに違いなかった。


 静まり返った杉林に、激しい剣戟(けんげき)の音が響く。


 東雲はもともと忍者としては下の下、捨て石同然の処遇である。

 彼の生国(しょうこく)は伊賀ではなく、伊賀国よりいくらか西の小さな農村であった。幼い時分にその村が戦で焼け、孤児となっていたところを、里の上忍に無理やり連れてこられたのだ。

 伊賀の里では、そうやって拾ってきた子供に忍術を仕込み、手駒を増やすといったことがよく行われる。


 しかしながら、生来伊賀忍者として育てられてきた者とは違い、教えられる忍術はうわべだけの生兵法(なまびょうほう)。捨て駒として働ける最低限の知識と技術のみである。それはまさしく今のような有事の際、簡単に始末できるようにしておくためであった。


 同じ伊賀忍者同士地の利もきかず、多勢に無勢のこの状況で、忍としても半端者の彼がどうして逃げられようか。


 もはや死はまぬがれない。


 あまたの死線をくぐり抜けてきた東雲は、この場に生へとつながる望みが露ほども残っていないことを、ひしひしと肌で感じていた。


(冗談じゃねぇッ)


 里に仕えて十数年、いつかこうなるのではないかと思っていた。

 東雲は、自分が里にとって塵ほどの価値しかないことを、とっくのとうに理解していた。

 それでもこの土地に縛られ続けたのは、そうする以外に生きるすべがなかったからだ。裏切れば殺される。忍務をしくじっても殺される。生きるためには、里から課される無理難題を命がけでこなしていくしかなかった。


 しかしその辛苦も、今日この時をもって、泡となって消えるらしかった……。


(ちくしょうッ、ふざっけんな! 死んでたまるか!!)


 希望はすでにことごとく握りつぶされ、勝算などどこにもありはしない。しかしだからといって、このまま里の思惑通りやすやすと殺されてなるものか。


 東雲は振り向きざまに追手の腹部を斬り裂いた。



 生への執念だけが、彼に残された最後の砦であった。




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