第二話 出航準備
サフィールス家の館の広大かつ豪華絢爛な応接間。
今、アリーナ、ミレイア、リーリヤ、フランカの四人は、M1151ハンヴィーに乗ってサフィールス家の館を訪れたCFの将校達――八洲、シャングリラ、ウリヤノフスク、ノルマンディーの艦長をそれぞれ務める四人に、サレイユス達四伯爵やドリュフォロス提督も交えて、円卓を囲む上質なソファーに腰掛けながら対面していた。
四人の艦長はいずれも地球各国の海軍将兵が着用する様な、黒い冬用制服をネクタイと共にきりっと着こなしている。二一世紀初頭の地球人から見れば如何にも現代的な軍服姿の艦長達を見たアリーナ達は、この軍服をCF独自に「サービスドレス・ウィンター」と名付けていた事を思い出していた。
まずは端整な日本人青年の姿をした黒髪の艦長が、アリーナに対して恭しく一礼した後に自己紹介を述べる。
「お初にお目にかかります、サフィールス長官。自分はCF総旗艦兼第一打撃群旗艦、戦艦八洲の艦長を務めさせて頂きます、森峰幸司大佐であります。長官自ら手塩に掛けられたという八洲を指揮する役目、必ずや最後まで全う致しましょう」
そう淀みなく自己紹介を述べた森峰艦長は、主に旧日本海軍や海上自衛隊で行われる様な肘を張らない敬礼をアリーナに向かって捧げた。
戦艦八洲は、アリーナが前世でプレイしていたオンラインゲーム「シーパワーズ・ストライク」の日本戦艦ツリーを進めた末に入手した、超大和型戦艦の設計案の一つである“基準排水量八五〇〇〇トン・51センチ連装砲四基八門案”が原型となっている。
主砲を敢えて大和型戦艦と同じ46センチ三連装砲四基一二門に換装した上で、第二次世界大戦式の旧式艦ながら様々な現代式の兵装や艤装を施し、惜しみない近代化改修を重ねた末に生み出された魔改造超弩級戦艦であった。
それを知り称賛した上で自身を「長官」と呼ぶ森峰艦長に、内心で照れてしまったアリーナだったが、ここはいわば自宅とはいえ大事な会談の場。そんな感情をなるべく抑えつつ静かに微笑みながら、森峰艦長と同じく肘を張らない答礼を返し彼の自己紹介に応える。
「今日はわざわざ朝早くからご苦労様。これからよろしくお願いね、森峰艦長。――ニンファ、こちらの方々にお飲み物の用意を」
「かしこまりました」
「ありがとうございます、長官」
アリーナの指示を受けたニンファ達専属メイドがすぐさま、一級品の紅茶が淹れられたポットと人数分のティーカップを運んでくる。円卓に並べたカップにメイド達が熱く香り高い紅茶を注いでいく中、いずれも白人の姿をした三人の艦長達が順に自己紹介を述べていく。
「私はCF第二打撃群旗艦、空母シャングリラ艦長、ケイティー・ストリーム大佐です。スマラグダス司令、以後どうぞよろしくお願いしますね」
「自分はCF第三打撃群旗艦、重航空巡洋艦ウリヤノフスク艦長、ピョートル・ドラグノフ大佐であります。以後お見知り置きを、同志アメテュストゥス司令」
「自分はCF第四打撃群旗艦、強襲揚陸艦ノルマンディー艦長、レイモンド・フォレスト大佐です。これからルーフス司令と共に戦える事を光栄に思います」
シャングリラのストリーム艦長はセミロングの赤毛が特徴の女性士官、ウリヤノフスクのドラグノフ艦長は冷徹な眼差しの若いロシア人士官、ノルマンディーのフォレスト艦長は屈強な体格の巨漢といった感じだ。
「こちらこそよろしくね。ストリーム艦長」
「今後はよろしく頼むわよ。同志ドラグノフ艦長」
「アタシの方こそよろしく! フォレスト艦長♪」
ここで双方の挨拶がひとしきり済むのを見計らっていたサレイユスが、見慣れぬ軍服を着ている以外は一見人間にしか見えない森峰艦長達に率直な問いをぶつける。
「……ところで、モリミネ艦長。唐突な質問ですまないが、貴殿等はホムンクルスかな?」
「はい、サフィールス卿。我々は霹靂の大天使フルミオンによって地上に遣わされた、地球人の将兵の姿を模したホムンクルスに過ぎません」
「ほう……やはりそうか」
「なッ、何だと……!?」
「我々は天使の創造物を招き入れていたのか!?」
「左様……ですが無論、地球人将兵としての一般知識や戦闘技能は予め与えられております。その上で、我々は天使によって造られた身ではありますが、サフィールス長官方の如何なる命令にも服従する立場でございますので、どうかご安心下さい」
森峰艦長はクリウスとウプイーリが動揺するのも意に介さず、サレイユス達を前に自身等がホムンクルスである事を淡々と認めた。そしてサレイユスは既に大天使フルミオンから聞かされていた話を元に、森峰艦長達に更なる問いを畳み掛ける。
「フッ……ご安心下さい、か。ならばモリミネ艦長、我が娘達への絶対服従の証たる“僕の刻印”が、既に貴殿等の身体にあるか見せてもらおう」
「わかりました。この印で間違いないですね?」
そうためらいなく腕を差し出す森峰艦長に続き、ストリーム艦長、ドラグノフ艦長、フォレスト艦長が制服の右袖や左袖をまくる――
――四人の腕には、今朝アリーナ達の身体に現れたエンブレムと同じ印がはっきりと刻まれていた。
「ほら、ミレイア、リーリヤ、フランカも……」
「なっ!? ちょっ、恥ずかしいってアリーナ」
「アタシとミレイアの印は腰にあるんですけど」
「アリーナの言う通り見せなさい。同志達の忠誠には応えないと」
「あんたとアリーナの印は肩にあるだけでしょ!!」
「そ、そうだったわね……ごめん、みんな」
腕の刻印を見せた森峰艦長達に応えるべく、アリーナ達も恥ずかしがりながら服を一部はだけさせ、各々の身体に現れた第一・第二・第三・第四打撃群のエンブレムを見せる。エンブレムが左肩と右肩にあるアリーナとリーリヤはともかく、一同の前で左腰と右腰を露出させる羽目になったミレイアとフランカは、見た目にもわかるほど顔をみるみる紅潮させていた。
「うむ……双方、合格だな」
サレイユスは娘達への目のやりどころに内心困りながらも、森峰艦長達がアリーナ達の眷属となっている事を確認した。
魔族は他の魔族・天使・エルフ・ダークエルフ以外のあらゆる種族や生物を、自らの眷属として隷従させる能力を持つ。魔族の眷属となった者は主の如何なる命令にも逆らえなくなる代わりに、主が死ぬか契りを解くまで不老の身体と契約に応じた様々な力を得て、主の為に身命を賭して仕える下僕と化すのである。
そして自らの眷属を得た魔族の身体には各々固有の模様が現れ、眷属の身体にも「僕の刻印」と呼ばれる主の身体の模様と同じ印が刻まれる。これによって第三者は主と眷属の主従関係を認識出来るのだが、アリーナ達による眷属化の儀を経ていないにもかかわらず、森峰艦長達の腕には既に僕の刻印が刻まれていたのだ。
要するにアリーナ達の身体に各々の打撃群のエンブレムが現れたのは、フルミオンにより彼女達の下僕として造られたCFのホムンクルス将兵が、打撃群を構成する艦隊と共に召喚された事による必然と言えた。
「これでモリミネ艦長達が大天使フルミオンの言う通り、最初から我が娘達の眷属として造られたホムンクルスである事は、証明されたと言えよう」
「お父様、では……!」
と、ここで今まで発言の機会をうずうずと伺っていたドラコが、またも不信感を隠さない表情で口を挿んでくる。
「だがアリーナ嬢、こやつらは――」
しかし今度はアリーナがそれを制すると、迷いの無い表情ではっきりと決意を述べる。
「大丈夫です、ルーフス卿。この場で地球文明の軍事力について最も理解しているのは、森峰艦長達と転生者である私達ですから」
すると既に落ち着きを取り戻していたウプイーリが自身の愛娘も含めて、三人にもアリーナと同じ決意が宿っているのかを確かめにかかる。
「ふむ、確かにそうであったな……では、リーリヤ、ミレイア嬢、フランカ嬢も、意思は全員同じかね?」
「おい、ウプイーリ!」
内心、娘達が心配でならないドラコが、ウプイーリの問いに対して尚も食い下がる。だが他の三人も、これからCFを率いていく決意は端から固まっていた。
「はい、父上。これが我々四人に与えられた使命だというならば」
「あたしも最初からその覚悟ですよ」
「アタシも同じくッ!」
全てが――決した瞬間だった。
「なっ!? うぅ……」
愛娘のフランカまでもが迷いなく意思を示した事で、最早何も言葉が口を衝かなくなっているドラコを他所に、サレイユスがフッと笑みながら最終決定を下す。
「良いだろう……決まりだな。というより、あの珍妙な巨大軍港が現れた場所からして、我々は娘達を授かった昔より土地を利用せぬ様、フルミオンに暗示をかけられていた……即ち、全ては運命だったのだ」
「では、ドリュフォロス提督……私、アリーナ・デ・サフィールスは只今を以って、第二沿岸警務隊の指揮権を提督にお返しします。今日まで様々なご指南、ありがとうございました」
そう言って自分に深々と頭を下げる主君の愛娘を見て、今まで無言で事の成り行きを見守っていたドリュフォロス提督が口を開く。
「……わかった。では、カリュブディア辺境伯艦隊司令官として命じる」
軍人としての威厳に満ちたドリュフォロス提督がそう言うと、提督とアリーナは同時にソファーから立ち上がり、互いに真剣な眼差しで直立不動の姿勢を取って向かい合う。
「アリーナ・デ・サフィールスは本日付けを以って、カリュブディア辺境伯艦隊第二沿岸警務隊指揮官の任を解く代わりに、本日新たに創設されたカリュブディア辺境伯直属独立部隊“霹靂の艦隊”最高指揮官の任を与え、その一切の指揮権を当人に帰するものとする」
「はっ」
「尚、ミレイア・デ・スマラグダス、リーリヤ・デ・アメテュストゥス、フランカ・デ・ルーフスの三名も同じく、辺境伯艦隊における現在の任を解き、直ちに霹靂の艦隊への異動並びに参加を命じるものとする」
「了解です。只今の命令、当該四名を代表して、謹んでお受けします! ――マーレ・ノストルム!!」
「「「マーレ・ノストルム!!」」」
名を呼ばれて立ち上がっていたミレイア、リーリヤ、フランカが、アリーナの掛け声に続いて“我等の海”を意味する言葉を唱和し、カリュブディア艦隊式の敬礼をドリュフォロス提督に捧げた。
「うむ。四人共、頼んだぞ……!」
その後もしばらく会合は続き、昨日の四貴族会議での決定を幾つか修正し帝都マーレポリスへは、カリュブディア艦隊第三戦隊の代わりにCFを派遣する事となる。
この派遣は、アトランス帝国建国時より皇室に伝わる予言「フルミオンの四行詩」通りにCFが復活した報告も兼ねて、アリーナ達が指揮する四個打撃群全てを差し向ける大規模な派遣となり、その間のカリュブディア島防衛はカリュブディア艦隊・CF航空隊・CF地対艦ミサイル部隊が共同で担う運びとなった。
この時、地対艦ミサイル部隊が有する二種類の対艦ミサイルの性能をアリーナ達から説明され、彼女達自身と森峰艦長達を除く全員が驚愕に震えたのは余談である。
「……これで良いのだな? サレイユス」
「ああ、良いとも。私からも頼むぞ、アリーナ」
「はい、お父様。地球の最新鋭艦隊の力、ご期待下さい」
斯くして、艦隊の出航に向けた準備が、慌ただしく始まるのだった。
◇◆◇◆◇
翌日――アリーナは自分の指揮下を離れる部下達に事情を説明すべく、カリュブディア艦隊の軍港に停泊する第二沿岸警務隊の旗艦「クストディア」を訪れていた。
「――信じてもらえないかもしれないけれど、全ては……ここまで話した通りよ」
そう真剣な表情で一通り説明を終えたアリーナの目先では、スキュラピスカ湾の広範囲をずらりと占拠していたCFの大艦隊が、それらと共に現れた巨大軍港へぞろぞろと移動している最中だった。
「つまり……あの灰色の艦隊が全てアリーナ様方の指揮下にあり、即ち我がカリュブディア艦隊の味方であると……」
皆が乗るクストディアの至近を、リーリヤの第三打撃群に所属するソヴレメンヌイ級駆逐艦「ラストロープヌイ」が白波を蹴立てて航過していく。すぐ後にミレイアの第二打撃群に所属するアーレイ・バーク級駆逐艦「ピンクニー」と「サンプソン」が続いた。
「うぉおお……! で、でっけええええ……!!」
「何てデカさだ……! 船の化け物かよ……!!」
いずれも二一世紀初頭の地球では“駆逐艦”に過ぎない艦艇だ。だがそれらを前にしても木造軍船のクストディアなどは小舟に等しく、体当たりで粉々にされそうな全長一五〇メーティオ越えの巨体である。
ムーリア皇国海軍が誇る魔力汽走戦列艦でさえ、近年「レヴィケルスス級」という艦級名が判明した巨大艦を除いて、恐らくはあらゆる面で到底及ばないだろう。
「あ、あの、アリーナ様……?」
その多くが魔族であるクストディアの乗員達が、人間のホムンクルスが操艦する駆逐艦を前に驚愕で興奮冷めやらぬ中――アリーナは一人静かに飛沫交じりの潮風に長い黒髪をなびかせ、凛とした表情で眼前を横切る駆逐艦に敬礼を捧げていた。
「……そういう事よ、ウェンティディウス。……何度も言わせないでくれる?」
「も、申し訳ありません、アリーナ様!」
敬礼中にクストディアの艦長、ウェンティディウス・エウルスに何度も話し掛けられ、振り向き様つい本音を口にしてしまったアリーナだったが、説明中から同じ問いを繰り返す部下達の心情は十分に理解していた。
(まあ無理もないよね……例えば太陽系外から地球にやってきた異星人の宇宙艦隊が、いきなり今日から全部地球の味方になりますって言われても、前世の私だったらしばらく状況が飲み込めなかったでしょうし……)
如何にも地球風のSF的な例えではあったが、今のカリュブディア艦隊の将兵達も、またそれと似た様な心境であると言えよう。
「……ごめんなさい。みんなにとって中々理解しがたい状況なのは解っているわ」
「いえ、とんでもございません! ですが、アリーナ様が人間として過ごされたという世界の造船技術は凄まじいですな。あれら全てが人間の手で造られた軍船だとは、未だに信じられませぬ……!」
「造船技術どころか軍事技術や科学技術そのものでも、地球はこの世界の水準を遥かに凌駕していると思いなさい。むしろ地球は魔力を持たない人間しかいないからこそ、一切の魔法に頼らず純粋に科学を追求する事で、地道に高度な文明を築いていった世界だとも言えるわ」
「アリーナ様と同じ魔族として、有り余る魔力を使う事に慣れた小官には想像しがたい理屈ですが……まさにあれらの軍船は、いわば超科学文明の産物という訳ですな」
ウェンティディウスは己の理解し得る範囲で、精一杯CFの艦艇を称賛した。だが“超科学文明”という言葉を聞いたアリーナは、いささか憂いを含んだ表情でウェンティディウスに語り続ける。
「ええ……最も、高度な科学力に支えられた地球の軍事技術は、使い道を誤れば人類そのものを滅ぼしかねない力すら産み出してしまったけれど」
「そ……その力とは、一体……?」
「まだ今は詳しく言えないけれど、いずれウェンティディウス達にもCFに参加してもらう時が来たら、地球が辿ってきた軍事史も含めて全てを話さざるを得なくなるわね。その時は……魔法ならざる力と侮らず、みんなも心して聞く様に」
「……わかりました」
そうしてアリーナがウェンティディウスとの話を区切った所で、それを見計らってクストディアの乗員達が親しげに話し掛けてくる。アリーナが威厳ある若き女傑として振る舞う一方、日頃から乗員達と気さくに接している事が窺えた。
「人類そのものを滅ぼしかねない力ってのが何なのか、俺達にはさっぱり想像が付かないっすけど……要するに早い話、俺達もいずれあの鋼鉄の軍船に乗って、アリーナ様と一緒に戦えるって事っすか?」
「その通りよ。当分は地球人の姿を模したホムンクルス兵だけでやっていくけれど、遠からず艦隊を拡大させる時には、あなた達の人手も借りようと思っているわ」
「おお~! 良いっすねぇ~!」
「何なりと役立って見せます!」
「最も、その時はあなた達に今までの常識が通用しない、高度かつ専門的な訓練を受けてもらう事になるけれど……それでもみんながCFに志願してくれるのを待っているわ。いずれ改めて、また私と一緒に海を征きましょう♪」
「ありがとうございます! アリーナ様!」
「よっしゃあ! 俺はどこまでも付いていくっすよ!」
「どんな厳しい訓練だって、カリュブディア魂で乗り切ってやるぜ!」
「その意気だ、お前等ァ! マーレ・ノストルム!!」
「「「「「マーレ・ノストルムッッ!!」」」」」
この一体感こそ、アリーナと部下達との間に、確かな信頼が築かれている証左だった。
(ありがとう、みんな……)
故にそれはアリーナにとってこれからも大切にしていくべき、上官と部下の関係を超えたかけがえのない絆と言えるものだった。
そしてアリーナはクストディアを去り際、再びウェンティディウスと言葉を交わす。
「……ウェンティディウス。もうしばらくの間だけ、この艦でカリュブディアの護りをお願いね。私が呼び掛ける日まで誰一人として欠ける事なく、後任の元でもしっかりと務めを果たす事を期待しているわ」
「はっ、お任せ下さい。新たな指揮官の元でも、必ずや我等がカリュブディアを護り抜いて見せましょう。……アリーナ様こそ、どうかご武運を!」
「ありがとう。決して霹靂の艦隊の名に恥じない、相応の戦果を挙げさせてもらうわ」
そう言ってアリーナはクストディアから下艦すると、送迎車として待たせていたM1151ハンヴィーに乗り込み、同行していたニンファと共にCFの巨大軍港へと向かう。つい昨日まで馬車を使用していたアリーナの移動手段は、CFの出現によって一気に数百年分相当も進化していた。
「しかしアリーナ様……このハンヴィーなる乗り物、今までの馬車とは段違いの乗り心地ですわね」
「路面の凹凸からくる振動を、サスペンションという装置で緩衝しているの。こういう“自動車”に乗ったのは私も一八〇年ぶりかな。因みに地球の先進国だと、軍や富裕層だけじゃなく平民も個人で自動車を所有出来るのよ」
「へ、平民が個人で……ですか!? 想像を絶する豊かさでございますね」
「ただ平民の場合は運転も自分でしなければならないし、専用の免許も必要になるけれど……その自動車にミレイア、リーリヤ、フランカ共々轢かれたのが前世の死因で、それに今こうして乗りながらこんな話をしているなんて皮肉ね……」
「アリーナ様……」
「……ごめん、気にしないで。それだけ一般に自動車が溢れている分、交通事故も少なくない世界だったから。今の私はあくまでも前を向いて、この世界の一員として生きていくだけよ」
「……このニンファ・ドリュフォロス、この身命尽き果てる時まで、終生アリーナ様にお仕えする事を改めて誓います」
「ありがとう、ニンファ。その言葉を改めて受け入れるわ」
アリーナは前世での経験から、いずれこの世界にも二一世紀初頭の地球に匹敵する文明を築いていく際の課題を痛感していた。豊かな社会に相応の代償が伴うのは百も承知だったが、この世界の善良な人々には前世の自分と同じ目に遭って欲しくないと思う。
それからもしばらく会話を続けている内に、アリーナとニンファを乗せたM1151ハンヴィーは五分足らずで巨大軍港の北側に到着する。
「――長官、間もなく鎮守府北門です」
「ええ。初日の案内をよろしく頼むね」
「はっ」
そうアリーナが運転手と短く言葉を交わすと、M1151ハンヴィーは鎮守府警備隊が厳重に警備する北門を、警備兵の敬礼に迎えられながら悠然と通過していくのだった。
◇◆◇◆◇
湾の西岸に出現したCFの本拠地「スキュラピスカ鎮守府」には広大な土地に現代的な施設と様々な機能が備わっていた。
まず鎮守府北部には地球において世界最大の海軍基地とされる、アメリカのノーフォーク海軍基地と同じく一四の桟橋を有する、四個打撃群分の艦艇が丸ごと停泊可能な巨大軍港が鎮座する。その陸側には小規模な娯楽街を兼ねた、主に基地勤務の将兵達が生活する居住区がある。
鎮守府中部にはニューポート・ニューズ造船所に匹敵する能力を持ち、あらゆる艦艇や兵器の生産・修理・整備・改修・オーバーホール等が可能なドック群と工廠群がひしめく。中近世的な港町とのギャップが凄まじい現代的な工廠エリアは、CFに自主的な兵站能力をもたらしていた。
そして鎮守府南部は「キャンプ・フルメン」と呼ばれる、CF海兵隊と航空隊の駐屯エリアとなっており、海兵隊員の居住区と訓練場、航空機搭乗員の居住区と飛行場施設が集中している。現状で海兵隊の訓練場は迫撃砲の射撃訓練が行える程度の広さだが、一方でかなり風変わりなのが航空隊の飛行場だった。
飛行場は一見海を埋め立てている様にも見えるが、その実は管制塔と多数の格納庫を備えた陸の駐機場と、何と海に浮かぶメガフロートにクロースパラレル方式で築かれた、二本の三五〇〇メートルの滑走路から成る造りになっていたのだ。駐機場とメガフロート滑走路は複数の桟橋で連結されている。
更に湾の出口に近い鎮守府南端には、人工衛星の打ち上げ用にデルタⅣやアトラスⅤといった大型ロケット用の発射台や、ソ連製のR‐36M大陸間弾道ミサイルを転用したドニエプルロケット用のサイロ、そして対艦・対空・巡航ミサイルや各種新兵器の試射場まで存在していたのである。
そんなあまりに広大なスキュラピスカ鎮守府の全容を、アリーナ達は時に森峰艦長達による案内も受けつつ、およそ三日三晩かけて把握していったのだった。
そして、森峰艦長達との初会合から五日後の早朝――――
「――――只今より霹靂の艦隊、第一・第二・第三・第四打撃群は全艦出航し、帝国並びにカリュブディア辺境伯領防衛の任務に就きます!!」
サフィールス家の館の広大な庭園に、サレイユスの前に整列し出航報告を行う四人を代表したアリーナの声が響き渡る。
「ではアリーナよ……我等が帝国とカリュブディアの未来、しかと君達四人に託させてもらうぞ」
「はい、お父様! マーレ・ノストルム!!」
「「「マーレ・ノストルム!!」」」
今、アリーナ、ミレイア、リーリヤ、フランカが身に纏っているのは、彼女達が「サービスドレス・ウィンター」と独自に命名したCFの女性用制服。
いわば地球各国海軍共通の黒い冬用軍服に準じた制服だが、四人の制服はウエストベルト付きの上着にやや短めのタイトスカートという専用デザインで、黒のストッキングやパンプスとも相まってよりスレンダーな印象の制服に仕上がっていた。同じく黒のネクタイは男性用と同一の物である。
制帽はアリーナとミレイアが女性用のハイバック帽、リーリヤだけが男性用と同形の官帽で、頭に大きな角があるフランカは制帽を被っていない。帽章は“観測時に強い雷電、雹、氷霰又は雪霰を伴う”を意味する国際天気記号を、国連旗の様なオリーブの枝葉で囲んだCFのエンブレムとなっている。
因みに本格的な式典用の「フルドレス・ウィンター」になると、サービスドレスの上着に飾緒とエポーレットが追加された華やかな仕様になる。だが今回はこのまま庭園からヘリコプターでそれぞれの艦まで移動し出航するので、特に着飾る必要もない事から通常のサービスドレスを着用していた。
そして階級章は、本来ならこの階級で艦上勤務など考えがたい所だが、アリーナが元帥、他の三人は大将となっていた。
「アリーナ……実に立派になって、母として誇らしいわ。ですがくれぐれも、無茶な戦い方だけは慎むのですよ」
「もちろんです、お母様。幾ら地球文明の最新鋭艦隊といえども、その力に高をくくり慢心するつもりはありません」
アリーナは他の三人が各々の家族へしばしの別れを告げている間に、母親のベラトリクス・デ・サフィールスと言葉を交わしていた。
「あなたを今日という日まで一八〇年もの間、サフィールス家を継ぐ一人娘として養ってきました。故に……あなたが必ずや生きて、このカリュブディアに帰ってくる事を信じています」
「はい、お母様。……それでは、もう時間ですので」
「ええ、分かっています。……行ってらっしゃい、私の一人娘よ」
ベラトリクスは両目に涙を溜めつつも、微笑みながら愛娘を送り出す。もうそれ以上、何かを言う必要もなかった。
そうして四人が各々の家族との語らいを終えた所で、最後にドリュフォロス提督がアリーナ達を激励する。
「……それでは四人共、期待しているぞ。どうか全力でムーリア皇国の脅威を退け、劣勢明らかな帝国を救う力となってくれ!」
「はっ。私達の肩に、多くの民の未来が懸かっているものと心得ます!」
「敵への一番槍はあたし達にお任せ下さい!」
「必ずや同志提督のご期待に応えましょう!」
「アタシ達を信じて、戦果をお待ち下さい!」
そう口々に激励に応える四人は、この上なく頼もしく感じられた。
いささかの曇りもない自信と決意、覚悟と使命感に満ちた闘志が滾っていた。
最も五割方は地球文明の超艦隊を従えたが故の闘志であろうが、それでも今の彼女達にならどんな運命でも託して良いとすら思えた。
「では……ドリュフォロス提督こそ、第二沿岸警務隊の部下達を頼みます」
「うむ、彼等は私が責任をもって預かろう。……さあ、行きたまえ!」
「はっ! 行って参ります!!」
そうしてアリーナがドリュフォロス提督に別れを告げると、四人は背後で既にメインローターを回し始めた各々の艦に属する四機のヘリ――SH‐60Kシーホーク、MH‐60Sナイトホーク、Ka‐27Mヘリックス、UH‐1Yヴェノムに乗り込み、やがて四伯爵とその一族が見守る中で庭園から轟音と共に離陸していく。
「う、うぉおおおおお……!」
「魔力も無しに何という風量だ……!」
辺りに猛烈なダウンウォッシュが吹き荒れ、まるで大気を叩く様なローター音が響き渡る。庭園のあらゆる草木が激しく揺れ動き、微かな砂埃が暴風に乗って宙を舞った。
「で、では父上……私達もアリーナ様のお供に参ります」
「分かった、き……気を付けて行ってくるのだぞ……!」
ヘリに続いてニンファも父親のドリュフォロス提督とそう言葉を交わすと、部下のソニア・セゲステース、イルマ・イリエンセス、ジータ・ゼフィルスと共に各々のワイバーンロードに騎乗する。
「さあ――ウィゲオ、飛び立ちなさい!」
ニンファのワイバーンロードであるウィゲオが、彼女を背に乗せて庭園から空中へと舞い上がる。それに続いてソニア、イルマ、ジータのワイバーンロードも順に飛び立ち、竜族の四人の武装メイド達はアリーナの乗るSH‐60Kを護衛しながら、共にCF総旗艦の八洲へと向かうのだった。