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プロローグ

 とある異世界、イルミア諸島南東沖合――曇天の下の洋上で、海戦が繰り広げられていた。


 一方は、地球でいう古代ギリシャ・ローマ時代の三段櫂船や五段櫂船と、中近世ヨーロッパの大航海時代に用いられたガレオン船を融合させた様な、いわば外洋航行にも適した三段櫂船や五段櫂船といった独特な姿の軍船から成る六〇隻余りの艦隊。瞳が描かれた船首の喫水線部に装備された鋭利な衝角と、両舷や船首にも設けられた多数の砲門から覗く備砲が、如何にも戦闘的なデザインを醸し出している。


 もう一方は、漆黒の船体、うっすらと白煙を吐く煙突、そして帆を畳んでいるにもかかわらず悠々と航行する、前者より大型の軍船から成る一〇〇隻以上の大艦隊。その姿は地球における産業革命後の一九世紀に存在した汽走戦列艦そのものであり、両舷にずらりと並んだ砲門からは前者のそれよりも洗練されたデザインの砲が覗く。


 そんな両軍が正面から交戦し続ければ、どの様な結果になるか――海戦の勝敗の行方は既に少しずつ見え始めていた。




◇◆◇◆◇




「くそ……! あの黒船共めッ!!」


「狼狽えるな! とにかく撃ち返せ! 反撃だ!!」


 こちらは前者側――アトランス帝国海軍帝都艦隊、第一戦隊と第二戦隊。


 彼等は「帝都艦隊」の名の通り、アトランス帝国の帝都マーレポリスから急派されてきた紛れもない精鋭艦隊である。帝都に程近いカリュブディア島から同じく急派されてきたカリュブディア辺境伯領艦隊が、イルミア諸島からカリュブディア島へと逃れる人々を乗せた脱出船団の護衛を務める一方、帝都艦隊は殿として倍近い敵艦隊を相手取り勇猛果敢に戦い続けていた。


 しかし既に少なくない友軍艦が、この戦場で相対するムーリア皇国艦隊からの攻撃を雨霰と受け、沈められるか戦闘力を奪われつつある。


 だが、それでも――カリュブディア艦隊と並ぶ、帝国海軍最精鋭の名に懸けて。


「うおおおおおおォォ!! まだまだァァ!!」


「いい加減、沈みやがれええええええェェ!!」


 様々な種族の未だ生ける水兵達は、怯む事なく果敢に砲を撃ち返す。散った戦友の骸が漂う水面を掻き分け、着弾の水柱が入り乱れる中でひたすら艦を驀進させる。


 そんな帝都艦隊の一隻、第一戦隊旗艦「ディエス」に――腰よりも長く伸ばしたプラチナブロンドの髪、澄み切ったアクアブルーの瞳、雪の様な色白の肌、引き締まった完璧過ぎる女性の体躯――外見年齢は一八~二〇歳位だろうか。


 敵味方が激しく砲火を交わし、狂気をぶつけ合う戦場には一見場違いなまでの、神秘的な美貌を湛えたエルフの女性が座乗していた。その身体にぴったりと纏う、所々に蒼い意匠を施した白銀に輝くドレス状の軽甲冑が、より一層彼女の美貌を引き立てている。


「皆、もう少し……もう少しだけ戦線を持たせて! もうすぐ東イルミア島を発った最後の船団が、大環礁の外へ離脱する頃よ!」


 彼女は第一戦隊指揮官、ラクテア・ウィア・アニマ。


 周囲からは立場の上下を問わず「ラクティ」と呼ばれている。


「はっ、ラクティ様!! ――総員、カリュブディア艦隊が未だ軍民の避難を頑張ってくれている! 我等も最後まで殿を務めるぞ! 歯を食い縛れッ!!」


 その傍らでディエスの乗員達に檄を飛ばす、ディエスの艦長を務める精悍な体つきのフォーンの青年、ケルウス・アエストゥスと共に、友軍艦との旗流信号のやり取りで旗下の第一戦隊を指揮していた。


「「「「「マーレ・ノストルム!!」」」」」


 ケルウスの檄にディエスの乗員達が、押し寄せる恐怖を振り払うかの様に唱和する。


「――――各艦の風使いと漕ぎ手は連携して、最大船速で敵艦隊の頭を押さえて! ここから先へ敵艦を一隻も行かせては駄目! 砲撃に徹する形で単縦陣を組んで、何とか丁字戦に持ち込んで!!」


「了解ッ!!」


 ラクティは時折、水飛沫と潮風にひらりと長髪をなびかせつつ、光り輝く三叉槍「ルミナンケア」を手に凛とした声音で全体指揮を執る。その美しくも勇ましい姿は、水兵達に武運長久を約束する美麗な戦女神を幻視させた。


 だが――見張りや信号員の水兵達から次々と上がって来る報告に、希望だとか戦女神の加護などといったものは、今や欠片も無い。


「艦隊前衛のマーメルス、集中砲火を浴びています!」


「ネルトゥス、メリッスス、大破炎上中!」


「イーサエウスより手旗信号、艦長以下士官全員戦死との事!」


「ポルキウス、ラティウス……共に轟沈! 最後に両艦より手旗信号“我等ガ自由ノ帝国ニ栄光アレ”と……!」


 そうして止め処なく増え続ける友軍の犠牲に、ラクティの表情はより沈痛になっていく。現状で打てる手は全て打ったつもりであったが、敵艦隊の圧倒的な物量と火力を前にしては、最早それらも手詰まりとなりつつあった。


「駄目……どうやっても敵艦隊の火力と速度に押されている……っ!」


 しかし、そこで万策尽きる帝都艦隊ではない。


 第一戦隊だけでは敵を抑え切れない、ならば――――


「――――怯むなッ!! 未だ帆が健在な第二戦隊各艦は、我がノクテスに続け! 第一戦隊と共に敵の頭を全力で抑えよ! 我等も今後は無理に衝角突撃を試みず、砲撃戦に専念する! その上で我等一同、同胞を護る砲火の盾となれッ!!」


 ディエスの近傍を並走する第二戦隊旗艦「ノクテス」から、そう矢継ぎ早に指示を飛ばすのは――非常に長いポニーテールの銀髪、輝くルビーを思わせる紅く鋭い瞳、ラクティ同様の完璧な体躯ながらも色黒の肌――ラクティと変わらぬ外見年齢だが彼女とは対照的に、威風堂々たる戦士の風格を漂わせるダークエルフの女性だ。


 常闇を封じた様な漆黒の大鎌「テネブラルクス」を持ち、ラクティと同じくドレス状の軽甲冑を身に纏っている。所々に深紅の意匠を施した重厚な黒鉄色のそれらは、生粋の武人たる彼女の風格を見事に象徴していた。


 彼女は第二戦隊指揮官、ルーナ・ルブラ・ネビュラ。


「グラディウス、本艦を先頭に我等も単縦陣を組む! 最大船速で行けるな?」


 ルーナは傍らに侍るノクテスの艦長を務める人間の男、グラディウス・アーゲントゥムに問うた。


「へい、ルーナ様! お任せあれッス!!」


 そう威勢よくグラディウスは応えると、ドスの利いた声で彼もまた周囲に檄を飛ばす。


「――聞いたな、お前等? ムーリアのクソ船共を一隻も通すんじゃねえぞッ! 漕ぎ手は例え腕がもげてでも全力で漕ぎまくれ! 風使いは出し惜しみしたら後でぶちのめす! 俺達帝都艦隊の全力、性根の腐った奴等に叩き付けてやれッッ!!」


「「「「「マーレ・ノストルムッッ!!」」」」」


 グラディウスは無精髭に少々粗野な言動が目立つ男だが、そんないささか海賊然とした彼の命令に誰もが文句一つ言わず従う様は、彼が一艦を預かる艦長として十分信頼されている証左であった。


 その後、見事なまでの連携を見せる第一戦隊・第二戦隊は、それぞれが迅速な艦隊運動で一列の単縦陣を形成し敵前の広範囲に展開。ムーリア艦隊との同航戦に持ち込む形で実質的に敵の足止めに成功する。



 だがそれは――埒が明かない戦況に痺れを切らした敵の凶撃が、遂に帝都艦隊に牙をむく事態を招くのだった。



「あ、あれは……!? ラクティ様ッ! 本艦の左後方八時の方向、距離五キリオより……ちょ、超大型の黒船が接近中――――ッッ!!」


 それはまるで、漆黒の巨鯨を思わせる規格外の巨艦。


「あの黒船……! まさか……っ!?」


「轟焔のフラメルの、特一等戦列艦ザラマンドーラ……ッ!?」


 ラクティとルーナは己の不運を呪った。


 彼女達の背後に現れた巨艦は、メートルに相当する異世界の単位にして、全長二二〇メーティオ、全幅二五メーティオ――両舷の巨大な外輪で海面を掻き、五本の煙突から熱気と白煙を吐きながら驀進してくるその姿は、地球の一八五九年にイギリスで竣工した一九世紀最大級の蒸気船「グレート・イースタン」によく似ている。


 ムーリア皇国海軍史上最大最強の超巨大戦列艦、レヴィケルスス級特一等魔力汽走戦列艦の二番艦「ザラマンドーラ」の姿がそこにはあった。


「八時方向より近付く敵巨大艦、右舷側の砲門を全て開放! た、多数の魔法陣を展開! こ、攻撃……来ますッ!!」


 大型の望遠鏡でザラマンドーラを見張るディエスの乗員が叫ぶ様に報告した。魔力で発生させた炎を熱源とする魔力蒸気機関で動くザラマンドーラは、その巨体に似合わない速度で帝都艦隊との距離をじりじりと詰めてくる。


「いけない! 総員、備えてっ!!」


 そしてザラマンドーラが帝都艦隊から四キリオの距離まで迫った時――ザラマンドーラは右舷の魔法陣が光る多数の砲門から、大量の火球を帝都艦隊に向けて連射してきた。戦列後方の梯団とその周囲に次々と火球が着弾し、何隻かの友軍艦がたちまち炎に包まれてしまう。


「ぐはぁあぁあぁあぁあぁあッッ!!」


 何発もの火球が立て続けに直撃した艦では、甲板の水兵達が絶叫と共に生きながら焼かれていく。自らの役割を放棄して海に飛び込む全身火達磨の水兵もいる。


「そんな!? あれだけの火球を、四キリオも先から……!!」


「何て火力だ……! とても我々の砲では、反撃しようがない……!!」


 ラクティとルーナは予想外の事態――こちらの射程外から一方的に叩き込まれる火球の嵐を前に、ただただ狼狽し、対処出来ないでいた。


「私達エルフやダークエルフ……それか魔族が最低十人は必要な魔力を、どうしてムーリア軍の黒船が…………っ!?」


「まさか……奴等に味方している魔族でもいるのか…………ッ!?」


 それは敵艦の魔力蒸気機関のカラクリなど知る由も無い二人にとって、この場で幾ら考えた所で決して答えなど出る筈も無い疑問だった。しかし驚愕に支配された二人が疑問の袋小路から抜け出す事は無い。


 そうこうしている内に、連射された火球が次々と友軍艦を焼き払い、第一戦隊と第二戦隊の被害は凄まじい勢いで増えていく。


「戦列最後尾の梯団、全滅ッ!!」


「燃えている友軍艦が、進路を塞いでいます!!」


「我、帆を全焼、帆走不能! 指示を請うッ!!」


「だ、弾薬庫にだけは誘爆させるな……!!」


「こっちにも火の玉が――ぎゃああああああああッッ!!」


「来るなぁ、来るなぁ――うぐああああああああッッ!!」


「熱い、死にたくない――助けてくれええええええええええええッッッ!!」


「俺達は、こんな所で――ちっくしょおおおおおおおおおおおおッッッ!!」



 ――――何という事なの。



 帝都艦隊に容赦なく叩き付けられる、無数とも思える圧倒的な火球の乱れ撃ち。それらの前に、先程までの士気旺盛な雄叫びはもう無かった。一糸乱れず整っていた筈の陣形も既に崩壊している。



 ただあるのは、絶望そのものの戦況報告。


 生きながら業火に炙られ死に逝く者達の、断末魔の絶叫。


 そんな戦友達の惨い最期を目にした者達の、怨嗟の慟哭。


 生きたい。


 生き延びたい。


 生きて故郷(くに)に帰りたい――――!!



 そんな水兵達の想いを無慈悲に焼き尽くしていくザラマンドーラは、まさに生への足掻きを嘲笑う死そのものの御使いであると感じられた。


「ディエス梯団所属、エウリュムス轟沈!!」


 遂にザラマンドーラの凶撃が、ディエスの直衛梯団にも手を伸ばしてきた。味方が惨たらしく一方的に蹂躙されていく光景に、目の瞳孔は定まらず身体は小刻みに戦慄き、黒い絶望に呑まれかけていたラクティを、先の報告が却って正気に戻した。


「くっ……ここは私が対処します!!」


 ラクティは自身の得物であるルミナンケアを掲げると、責めてディエス梯団だけでも護るべく光属性の精霊魔法の詠唱を始める。だが、今の彼女が苛まれている恐怖や絶望といった感情は、光の精霊の力を借りて行使する魔法には負の力として作用しかねない。



 だから――全身の細胞が叫ぶ恐怖を、ぐっと堪えて。


 多くの戦友を喪っても尚、必死に生き延びようともがいている部下達を想って。


 そして自身の心の奥底に、冷たい闇に代わり暖かな光が満ちていく様を想って――――!!



『光の精霊よ――我等に生命(いのち)の力を与え、光の亀甲を以って滅びの魔力より我等を護り給え! ルクス・テストゥド!!』


 現れた輝く魔法陣の中心に立つラクティの全身が光を纏う。ラクティが激しく発光するルミナンケアの穂先を真上に向けると、彼女とディエスを中心に亀の甲羅模様の光輝く半球状の領域が出現し、ディエスのみならず梯団全体を速やかに覆っていく。


 そして遂にディエスを狙った火球の連射が放たれたのと同時に、光の領域がディエス梯団を完全に覆い尽くし火球を全て弾き返す。ディエスは間一髪で業火から護られた。


 ノクテスのルーナもまた、同様の決断に至っていた。


『闇の精霊よ――我等、常闇と共に歩む者。滅びの魔力を呑む常闇の守護を我等に与え給え! テネブラエ・デーフェンシオー!!』


 紫色に鈍く光る魔法陣の中心に立つルーナの全身を妖気が覆う。ルーナが大鎌テネブラルクスをノクテスの甲板に突き立てると、ノクテスを中心に闇の力場が同心円状に広がっていき、瞬く間にノクテス梯団全体をすっぽりと囲む。


 それ以降、ノクテス梯団を狙った火球達は全て闇の力場に吸い込まれてしまい、光の領域か闇の力場の内側に入った味方は等しく火球の連射から護られた。


 その後もラクティとルーナが身を挺して守護魔術を展開し続けていると――やがて東の方角、イルミア諸島を囲む大環礁の外側と思われる位置から、魔法で作り出された一発の信号弾が打ち上げられるのが見えた。脱出船団の離脱完了を示す合図だ。


「ラクティ様……信号弾が上がった様です」


「ええ、ケルウス……私達の役目はここまでね。残存する第一戦隊全艦に伝達、直ちに礁湖から全速で離脱します! 敵巨大艦からの攻撃が止むまでは、決して本艦の周囲から離れさせないで!」


「はっ! ――残存艦に撤退信号、角笛鳴らせ! 本艦も東へ向け面舵一杯、急げ!」


「マーレ・ノストルム! 面舵いっぱーい!」


 ラクティはカリュブディア艦隊からの信号弾を確認するや、すぐさま第一戦隊の残存艦に撤退命令を出した。ケルウスの指示で撤退の旗流信号を掲げ、角笛の音色を辺りに響かせるディエスは、残存艦と共に全長六五メーティオの船体を東に向け、イルミア諸島の礁湖から離脱する進路を取る。


「ここまでか……我等も撤退だ、グラディウス」


「ちくしょう……了解ッ!」


 第二戦隊も第一戦隊に続き撤退信号を掲げ、角笛を吹き鳴らしながら全速力で撤退していく。それからもザラマンドーラは執拗に火球を乱射してきたものの、距離が五キリオ以上離れた途端に火球攻撃はぴたりと止んだ。


 恐らくは帝都艦隊が殿に過ぎない事を承知だったのか、如何せん五キリオ程度が火球攻撃の最大射程だったのか、或いは一時的な魔力の枯渇か――いずれにせよ、それが帝都艦隊にとって不幸中の幸いであった。


 そうして帝都艦隊が命からがらイルミア諸島からの離脱を果たし、ラクティとルーナがようやく守護魔術を解除出来る状況になった頃、残存艦の数を数えていたディエスの水兵が力なくラクティに報告する。


「……本艦に続く友軍艦は僅かにして……いずれも、被害甚大の模様です……」


「――――っ!! ああ……そんな…………っ!!」


 ラクティは、今度こそ黒い絶望に呑まれた者の発する声を上げた。


 戦闘前には第一戦隊と第二戦隊を合わせて六〇隻余りだった帝都艦隊は、今やそれぞれの旗艦であるディエスとノクテスを含めて僅か一〇隻になっており、辛うじて生き残った残存艦はいずれも傷だらけという表現が相応しい。それに対してムーリア艦隊の喪失艦は僅か五隻に満たなかった。


 こちらは最終的に艦隊の六分の五が喪われ、沈没艦に乗っていた水兵達は助ける事も叶わず――まさに壊滅的としか言い様のない大損害であり、敵側の圧勝である事を疑う者など誰もいなかった。


「どうして……? どうして、こんな事に…………!?」


「くっ……! 今日散った貴様達の事は、決して忘れない…………!!」


 そんな見るも惨憺たる残存艦隊の頭上に、先程からの暗い曇天の空から雷鳴と共に豪雨がどっと降り注ぐ。悲痛――という表現ですら陳腐に思えてくる位に、すっかり生気を失い、暗く沈み切った表情のラクティ、ケルウス、ルーナ、グラディウス、そして残存艦に乗る水兵達の身体を、止め処なく雨粒が滴り落ちていく。


 撤退戦の殿を務めた代償として、余りにも多くを喪ってしまった。なれるものなら、俺が、私が、あいつ等の身代わりになってやりたい。


 しかし、そんな状態であってもやるべき事を終えずして手を休める程、帝都艦隊を率いるラクティ達は伊達ではない。


「…………ケルウス。この雷雨が止み次第、直ちに帝都へワイバーンを。全てを包み隠さず、ありのままをユリウス殿下に報告して」


「……承知しました」


 アトランス海軍の艦隊旗艦には必ず一騎ないし二騎のワイバーンが積まれている。その役割は上空からの索敵や偵察の他に陸戦での早馬と同じだった。


 そうして全ての事後指示を一通り出し終えたラクティとルーナは、それぞれの自艦でようやく物思いに耽る暇を手にする。


「……………………」


「……………………」


 今回の撤退戦では一気に押し寄せてきた敵艦隊の多さから、本来ならば帝都の護りに就くべき帝都艦隊の半数にあたる戦力を急遽、精鋭の殿として急派する事をアトランス側は余儀なくされていた。


 しかしそれでもムーリア軍の制圧速度からして、今後の奪還戦――既に奪還戦を行える戦況とも思えないが――の要となり得るイルミア辺境伯軍の残存部隊はともかく、それよりも人数が遥かに多いイルミアの民達に関しては、全員を脱出させられる可能性が低い事も作戦前に聞かされていた。


 そんなラクティとルーナの脳裏には、今や敵地と化した島々に取り残されたであろう一部の民達を待ち受ける修羅の運命――例え生き延びて虜囚の身となっても、過激な「人族至上主義」を掲げるムーリア皇国が「劣等種族」として差別する、獣人を始めとした亜人達は老人を除いて、男は奴隷か、女は敵兵達の……いや、それ以上は敢えて言うまい――が、次から次へとよぎり続ける。


 だが、今の一行にそんな民達を救う術など何も無い事は――残酷にも、火を見るよりも明らか過ぎた。


 そんなやるせなさから堪らず溢れ出す、自身の瞳から滂沱と流れる涙と共に、豪雨が二人の身体を濡らし続けた。


「――――いつの日か、絶対に……私達は、必ずイルミア諸島を取り戻すっ!!」


「――――斃れた者達の無念……然るべき報復の日を、待っているが良いッ!!」


 ラクティとルーナはディエスとノクテスの甲板から、付近で轟いた巨大な稲光と雷鳴と同時に、尚も溢れ続ける涙を呑んでそう叫ぶ。斯くして、二人が率いる残存艦隊は雷雨の降り注ぐ昏い海の中、一路アトランス帝国本土へと帰路に就くのだった。


 フルミオン歴三〇一八年四月一四日――――アトランス帝国イルミア辺境伯領イルミア諸島は、ムーリア皇国軍の手によって陥落・占領された。




◇◆◇◆◇




 イルミア諸島で壮絶な撤退戦が行われていたのと同じ頃。


 帝都マーレポリスからそう遠くない北西の沖合にある、人口の大半を魔人・鬼人・夢魔・吸血鬼といった魔族が占める帝国の離島、カリュブディア辺境伯領カリュブディア島。


 東西約一〇〇キリオ、南北約二〇〇キリオ、海峡を挟んだ帝国本土との最短距離約一五〇キリオの、地球の地中海に浮かぶサルデーニャ島と似た島の南端。天然の良港として機能する大きな入り江に築かれた港町、カリュブディア辺境伯領の主都スキュラピスカの軍港に、帝国式の軍船から成る小規模な艦隊が帰投していた。


 そんな島全体と同様に住民の多くが魔族であり、魔族の一族によって支配される町とは思えない程――晴れ渡った青空からはさんさんと陽光が降り注ぎ、カモメの鳴き声がのどかに響く風光明媚な港町に、小艦隊の旗艦から一人の若々しい令嬢が降り立つ。


「はぁ……まさか私が成年を迎える夜に、緊急の四貴族会議だなんて」


 腰の辺りまである長く流麗な黒髪、美しい蒼海を思わせる澄んだ碧眼(へきがん)、きりっと凛々しさを湛えつつも可憐な顔立ち――豊か過ぎず控えめ過ぎないスレンダーな体躯と相まって、その容姿だけを一見すれば美麗だがありふれた人間の娘にも見える。


 しかしその碧眼は人間離れしたシャープな瞳であり、加えて強大な力を秘める者だけが持つ超然とした雰囲気が、彼女が決して人間などではなく、高貴な身分に属する魔族の娘である事を物語っていた。


 そんな清楚さと威厳とを併せ持った女魔人は、穏やかな潮風に濡れ羽色の長髪をなびかせながら、陽光で煌めくスキュラピスカの市街地へと視線を移す。


「……いや。それを言えば、あの子達も同じだったわね」


 彼女の名は、アリーナ・デ・サフィールス。


 カリュブディア島を支配する魔族の四大貴族の代表、カリュブディア辺境伯位サフィールス辺境伯家の当主サレイユス・デ・サフィールスと、その夫人ベラトリクス・デ・サフィールスの間に生まれた一人令嬢。


 そして帝国の法における魔族の成人年齢の一八〇歳を待たずして、カリュブディア辺境伯艦隊第二沿岸警務隊の指揮官に任ぜられた、カリュブディア艦隊においては知る人ぞ知る若き女傑。


 アリーナが桟橋から眼前に広がるスキュラピスカの街並みと、その最奥に建つ自宅――サフィールス家の館をいささか物憂げに眺めていると、桟橋の向こうから四人のメイドがやって来た。アリーナ専属の武装メイド達である。


「お帰りなさいませ、アリーナ様♪ 遅れ馳せながらお迎えに参りました」


 武装メイド隊の隊長――エメラルドグリーンの長髪と鋭い碧眼、身体に頭部の角を始めとした竜の特徴を持つ竜族のメイド、ニンファ・ドリュフォロスがアリーナの前に進み出て、恭しくスカートの裾を摘みつつ頭を垂れた。


「「「お帰りなさいませ、アリーナ様」」」


 ニンファのメイドとしての上品な所作に、同じく竜族である三人のメイドが続く。


「いつもありがとう、ニンファ。……ところで、ミレイア、リーリヤ、フランカ達は、もう全員館に?」


「いいえ。ですが遅くとも夕刻までには、スマラグダス家、アメテュストゥス家、そしてルーフス家の皆様方がご到着なさる予定でございます。今回は大勢の方々をお迎えする為の準備に、少々手間取りました事をお詫び致します」


「それなら仕方が無いわね。とにかく私達も早く館に戻って、すぐに晩餐の支度をしましょう」


「かしこまりました」


 その後、一同は桟橋の前まで来ていたサフィールス家の馬車に乗り、日の傾きつつあるスキュラピスカの街中を経て館へと戻っていく。


 このカリュブディア島においては一見何気ない日の今宵こそ、魔族でありながら科学文明世界で開発された艦艇や兵器を駆り、帝国と七つ海を終末の危機から救う事になる四人の女提督達――――


 ――――アリーナ達の長い航海と戦いの日々、その全ての始まりの夜となるのであった。

アトランス艦隊と交戦したムーリア艦隊の「ザラマンドーラ」ですが、この艦はグレート・イースタンそのものではなく単に姿が似ているに過ぎない為、全長を始めオリジナルのグレート・イースタンとは細部が異なっている設定です。

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