第75話 魔王城の賑やかな1日 玖
ハクとすれ違った直後のムクの話になります。
時間軸としては、参になります。
「ハク、ハク、ハク……!」
ムクは、廊下を走る。
片方だけの、皮手袋を大事そうに握りしめて。
執務室を後にしたハクの背中を、ただ、思い浮かべながら。
「ど、こ……!?」
ムクの頬は、赤く火照る。
上気した肌に、ムクは眉を顰めた。
(熱い、……ッ、邪魔!!)
首を振って、ムクは熱を払おうとする。
這うように、ずっと張り付いて取れぬ熱を。
肩に。
頬に。
唇に。
首に。
張り付いて、取れないそれを。
ムクは、涙目で感じていた。
「どう、して、とれない、の……!」
特に酷く、感覚の強い首に、ハクの吐息を感じて。
ムクは、顔を歪めた。
いなければ、隣にいない程に強くなる、ハクの存在に。
(あの時、みたいに……!)
脳裏に浮かぶ2人の姿に。
ムクは、眼を潤ませた。
(いっそ、噛んでくれれば、なにか、違った……?)
痛みすら感じ始めたそれに、ムクはふと思う。
立ち止まり、そっと首に手を当てた。
「ハク……」
(また、だ)
ハクを思うたび、何かが痛む。
痛みの在り処を探し、ムクは自分の身体を摩る。
そして、たどり着いた場所に、手袋を握った手を添えた。
(どうして、ハクがいないと、ここが、痛むの……?)
胸を痛めつける何かに、ムクは僅かに眼を細めた。
その時、ムクは波を感じ取る。
「ハク、どこ……?」
ムクはまた、走り出した。
押し寄せる波から逃げる様にして。
ただ廊下を走るだけでなく、ムクは他者を使う。
丁度、近くにいたメイドに、ムクは手短に問いかけた。
「ハク、は?」
「ムク様? あ、申し訳ございません」
「そう」
「ムク様!?」
有意義な答えを得られなかったムクは、また走り出した。
制止するメイドを無視し、ただひたすらに。
ムクの後ろで、そっと、メイドが消えた。
「ハク……」
僅かに血が滲んだハクの手袋を握りしめ、ムクは辺りを見回す。
無意識に、ムクはハクの部屋の前に来てしまっていた。
城の端、魔物が寄り付きにくい場所。
ハクの方がムクに会いに来るため、ムクからハクの部屋に来ることはほとんどなかった。
魔物の1匹もいない廊下に、ムクの心に波が押し寄せる。
(これ、は、なんの感情、なんだろう……)
胸を締め付ける茨に、ムクは目を伏せる。
頭を振り、ハク探しを続けようとムクが顔を上げた時。
「え……?」
視界に入ったそれに、ムクは声を漏らした。
反射的に振り向いた先にいたものに、ムクは僅かに眼を見開いた。
「マンドラゴラ……?」
「キェ?」
自分よりも小さく、おおよそハクの掌程のマンドラゴラ。
通常の緑とは異なり、天色の葉を持つマンドラゴラ。
目の前にいる植物に、ムクは首を傾げた。
「どう、して?」
「キェエ」
近寄ってくるマンドラゴラに、ムクは困惑する。
マンドラゴラは、逃げようともせず、その上、
「叫ばない、の?」
「キェ」
「そう……」
まるで返事をするように、1つ唸るだけだった。
マンドラゴラは、ムクをじっ見つめると、ハクの部屋の方へ歩き出した。
「キェ」
「え……?」
拳1個分開いている扉の隙間に体を滑り込ませ、マンドラゴラは部屋の中へ入っていった。
ムクは、マンドラゴラの行動に驚愕しつつ、迷わず後を追った。
そこには。
「キェ! キェエ!」
「キ~エ!」
「キェキェエ!」
「キェッ!」
ハクのベットで飛び跳ねる3匹のマンドラゴラと、ベットに近づく1匹のマンドラゴラがいた。
5匹とも形こそ同じだが、見た目が違い、どれも天然の姿をしていなかった。
楽しそうに遊ぶマンドラゴラに、ムクの眼尻が下がる。
「……面白い?」
「キェエ!」
「そう」
ムクは扉を閉め、ドアノブの位置を確認する。
ドアノブの高さは、およそマンドラゴラ5・5個。
(5匹か、6匹、いたの……?)
足りないマンドラゴラに、ムクは首を傾げつつ、そっとベッドへ歩み寄った。
ベッドに腰掛けたムクは、足元の1匹を手に乗せ、引き上げる。
「キェ」
手を伸ばしムクの手を迎えるマンドラゴラには、マスコット的な愛らしさがあった。
仲間と合流し、遊び始めたマンドラゴラを、ムクはただ見つめていた。
そんなムクの方へ、1匹、転がるものがいた。
「キェ?」
「え……」
「キー」
最初に会ったものとは違い、赤色をしたマンドラゴラは、ムクのスカートを引っ張る。
倒れろ、というように、一生懸命引っ張り続けるそれに釣られ、他の3匹もムクを掴む。
「キェ!」
「キー……」
「キェエ」
鳴き声を上げながら、マンドラゴラ達はムクを引っ張る。
さながら、ムクの方がカブ役のようだった。
「……」
一生懸命に自分を引っ張るマンドラゴラに、ムクは僅かに眼を細め。
引かれるがまま、引力に身を任せた。
「キェエ!?」
「キー!」
「キェエエ!」
「キェキェ!」
突然倒れたムクに、マンドラゴラ達は悲鳴を上げる。
押しつぶされ、何とかムクの体の下から這い出そうとバタつく。
「キェエ……」
なんとかムクの下から抜け出したマンドラゴラは、ムクを囲むように転がる。
横になったムクは、ハクの枕に顔を埋め、手袋を握った。
(ハクの、匂い……)
一応使ってはいるのか、枕からは微かにハクの香りが感じられた。
人間には到底感じ取れない程、微かなものだった。
「ハク……、どこ……?」
少女は、微睡んだ。
永遠に醒めぬ悪夢を、彷徨った。
今度は、暗闇。
何も見えない、だが自分だけは照らされ続ける暗闇の世界。
ムクは、懸命に走り続けた。
何かに怯え、逃げ惑うように。
何かを探し、求め縋る様に。
自分だけが照らされているため、何かには自分の場所が簡単に分かってしまう。
自分だけが照らされているため、何かは決して、見えることが無い。
ムクの頬に、水が伝う。
それが汗なのか、それとも涙なのかも、判別できぬ。
ムクはただ、懸命に走り続けた。
右も左も分からず、行先も知らない。
本当に逃げているのかも、求めているのかもわからない。
ただ、そこには鳥肌が立つほどの嫌悪感が転がっていた。
声も枯れた。
眼も大分見えなくなった。
耳は、もはや使えないだろう。
手足の感覚すら、危うくなって。
何故、今もまだ自分が走れているのか、見当もつかず。
あぁ、私、は……?
――ク
ビクリ、とムクの体が揺れる。
地震が起きた様に、地面が揺れ、崩れ始める。
慌てて、がむしゃらに、ムクは走る。
瞳に浮かぶ涙すら、認識できない程必死に。
――きろ、ク
鳥肌は拭えない。
背負い込んだ重さは、消えることもない。
足場すら、まともではない。
――、ク
聞こえた、気がした。
ムクの耳に、何かが届いた気がした。
それは、とても、大切な。
「ムク」
大切な、何かだった気がしたのだ。
悪夢って、エンドレスで走ること、多いですよね。
天色は、綺麗な青です。
気になる方は是非調べてみてください。




