第70話 魔王城の賑やかな1日 肆
「おや、魔王様」
「……何を、している」
「何、と申されましても。昼食に蒲焼きでも拵えようかと思いまして」
「そう、か」
「ハク様! た、たすけてください!」
まな板の上で暴れるヨルムンガルドと、包丁を構えるヒュドラ。
ハクは、ヨルムンガルドに静かに同情する。
レヴァナントは、ヨルムンガルドを指さし腹を抱えて笑っていた。
「最高」
「うるさい」
親指を立てるレヴァナントに、ヨルムンガルドは視線を尖らせる。
だが光る包丁にすぐに命乞いを再開した。
「何故、そうなっている」
「いえ、シャルルムック様に危険が及んだとお聞きいたしましたので」
「ですから、私のせいでは」
「貴方が見ていながら、どうしてそのようなことになるのでしょうね」
問答を繰り返す2人に、ハクは頭を押さえる。
笑い転げるレヴァナントを置いて、ハクはヒュドラを止めに入る。
「離してやれ」
「は」
頭を押さえるハクは、ヒュドラに命じた。
元々離すつもりだったのか、ヒュドラは大人しく従った。
「ありがとうございます……」
人型へと形を変えたヨルムンガルドはハクの隣へと移動する。
包丁をまな板に置いたヒュドラは3人へ振り返り、ハクの右手に眼をやった。
「魔王様、その右手はいかがしたのですか?」
左右非対称なハクの手に、ヒュドラは問いかける。
ヨルムンガルドとレヴァナントには血の跡も見え、ハクの答えを待っていた。
本来ならば、吸血種特有の治癒能力で直すことができる。
しかし、魔力神経が切れている今のハクでは、それすらままならなかった。
「鍛錬で少しな。今からサキューの元へ行くところだ」
「そうでしたか。あまり無理はなさらぬ様、お気を付けください」
「あぁ」
隠すように拳を握りながら、ハクは答える。
返されたハクの答えに、ヒュドラは納得する様に頷く。
「サキューんとこなら俺も行く」
「何の用が?」
「魔力切れしそうだから薬もらうんだよ」
舌を出すレヴァナントは、ハクと共に厨房を後にしようとした。
ヨルムンガルドもまた執務に戻ろうとすると、包丁を握り直したヒュドラに止められる。
「して、ヨルムンガルド」
「はい」
「ハク様は今、鍛錬で、とおっしゃいましたよね?」
「「あ」」
しまった、とハクとヨルムンガルドは声を漏らした。
ハクは顔を背け、ヨルムンガルドはハクを見続け、レヴァナントは声を殺して笑う。
「ヒュドラ、」
「やはり、蒲焼きがよろしいかと思いますが」
弁解しようと名を呼ぶヨルムンガルド。
しかしヒュドラは聞こうとせず、まな板の上で食材を切る真似をした時。
何故か包丁が柄元から折れ、刃がヨルムンガルドに向かって飛び出した。
「如何、なさいますか?」
「「「……」」」
折れた包丁は、ヨルムンガルドの先程とは反対側の頬を掠り壁に突き刺さる。
レヴァナントも動きを止め、場は沈黙で満たされる。
頬を伝う血液の感触を感じながら、ヨルムンガルドは瞳から光を失った。
「ヨルムンガルド。お前もサキューのところへ行くぞ」
「そうだな、急患だな。めっちゃ急患だな」
慌てて、ハクとレヴァナントはヨルムンガルドを捕獲する。
それぞれ肩を持ち、2人はレヴァナントをサキューの元へ連行する。
「ハク様? レヴァナント? ちょ、え?」
「では、ヒュドラ。昼食、期待している」
「いってらっしゃいませ」
ハクはヒュドラへ一言残し、医務室へ直行する。
一礼したヒュドラは、折れた包丁の柄を見下ろした。
「はて、このような折れ方をする者ではないと思いますが。まあ、いいでしょう」
壁に刺さった刃を回収し、ヒュドラは作業に戻った。
***
「何故、1日に何度もサキューの治療を受けねばならぬのですか……」
2人に連行されながら、ヨルムンガルドは廊下を歩く。
出血する頬にハンカチをあて、ヨルムンガルドは大きく溜め息を吐いた。
「いいじゃねぇかよ、通い妻」
「誰が通い妻だ」
大きな声で笑いながらレヴァナントはヨルムンガルドの背を叩く。
鬱陶しそうに顔を顰め、ヨルムンガルドはレヴァナントの手を払った。
「ハク様、ムク様とご一緒ではないのですか?」
レヴァナントから視線を外し、ヨルムンガルドは首を傾げる。
ハクの隣にいるはずのムクの姿が、そこには無い。
2人の視線から逃れる様に廊下を見つめるハクは、適当な言い訳を述べた。
「部屋で昼寝してる」
「そう、ですか」
深く追究しないヨルムンガルドは、口を閉ざす。
今度は、ハクから厨房から拝借したフランスパンを頬張るレヴァナントに、問いを投げかけた。
「貴様、生前はなんだったんだ」
「んー? 一国の王子様」
「「嘘だな」」
「少しは信じろよ……」
キメ顔で答えるレヴァナントに、ハクとヨルムンガルドは間髪入れず嘘と断じる。
微塵も信じてもらえず、レヴァナントは肩を落とす演技をした。
医務室にたどり着いた3人。
ハクが扉を開けると、そこには机に突っ伏すサキューがいた。
「ん? 急患かな?」
「そうだ」
「ヨル……? サキューちゃんに、会いたくなったのかな☆」
「違います」
3人の姿を捉えたサキューは嬉しそうに立ち上がる。
悪魔の微笑みを浮かべるサキューに、ヨルムンガルドは全力で首を振った。
「また怪我したの? 他の2人は何かな☆」
「怪我だ」
「魔力切れだ」
ウィンクするサキューに、2人は症状を伝える。
ハクは自分の右手を指し出し、サキューに見せる。
「これは回復魔法で大丈夫だね☆ レヴァナントのは、ちょっと待ってねぇ☆」
ハクの手を取ったサキューは、徐にその掌にキスをした。
傷口にサキューの唇が触れた途端、抉れた皮膚が治っていく。
魔力神経が切れている今、自身の治癒能力が使えないハクは、他者に頼るしかない。
ハクは、サキューの魔法に己の能力と同じものを感じた。
「じゃじゃーん☆ ミカエル印の魔力回復薬☆」
幾つかの瓶を取り出したサキューは、自慢げに薬を見せびらかす。
色とりどりの液体を眺める2人に、サキューは嬉しそうに笑う。
ハクは、サキューを見下ろし疑問を口にした。
「貴様は、レヴァナントに偏見が無いんだな」
「失礼な☆ サキューちゃんはお医者さんだよ☆ サキューちゃんは全ての患者を治すんだよ☆ 誰かだけは助からなくていいなんて、そんな事思う暇もないよ☆」
投げかけられた疑問に、サキューは頬を膨らました。
口調はそのままで返された答えに、ハクは静かに感心した。
「右端の、緑色の薬だよ☆」
「これか? んじゃいっちょ」
サキューは並べられた薬の中で1本の瓶を指さす。
示された瓶を持ち上げたレヴァナントは、一気に薬を飲み干して見せた。
「あ、待った!」
だがそんな彼をサキューは止めにかかる。
左端の小瓶を持ち上げながら、サキューはポツリと呟いた。
「それ、媚薬だ……」
静まり返った医務室に、薬を飲み込む音が響いた。
4人は冷や汗を流し、ハク達3人はレヴァナントから距離を取る。
小刻みに震え汗を溢れさせるレヴァナントを眺め、ハクはサキューを見下ろした。
「サキュー、お前サキュバスだろ」
「んー、でもぉ、今彼から精搾り取ると消滅するよ☆」
ポーズを決めながら、サキューは恐ろしいことを口にする。
頭を悩ます3人は、物陰に隠れレヴァナントを再起不能にしようと会議し始める。
自分の身体に異変が無いこと、むしろ力が漲ることに疑問を感じたレヴァナントは、3人の会議を止めにかかった。
「待て待て、俺は何ともないぞ」
「「「え?」」」
何の変化もない身体を見せつけるレヴァナントに、3人は首を捻る。
ミカエル印の薬は、超がつくほどの即効性。
1分以上たってもまだ効果が出ないことが、レヴァナントの飲んだ薬が『正解』であることを示していた。
「じゃあ、そっちの瓶が?」
4人は、サキューの持つもう1つの瓶に視線を落とす。
サキューは瓶を見つめた後、迷わずその薬を飲み込んだ。
「えいっ☆」
「「「!?」」」
止める暇もなく飲み干したサキューに、ハクとヨルムンガルドは光速でレヴァナントの傍に避難する。
風が巻き起こり、紙類が舞い踊る隙間に、3人は目を凝らす。
「……サキュー、さん?」
「あ~、ほんと☆ こっちが媚薬だぁ☆」
「「任せた」」
「えっ!?」
その隙間から見えたサキューの表情に、ハクとレヴァナントは、ヨルムンガルドを生贄に差し出した。
扉を開けて出ていこうとする2人に、ヨルムンガルドは必死に追いすがる。
「待って、待って!!」
「チャンスだぞ通い妻。ものにしちまえよ」
「誰が通い妻だ!! というか、今のサキューを相手にしたら死にますからね!?」
肩を叩いて親指を立てるレヴァナントに、ヨルムンガルドは容赦なく噛み付く。
問答を繰り広げる3人を、とろける表情で見つめていたサキューは、そっと手を伸ばしヨルムンガルドの裾を引っ張った。
「ねぇ、ヨルぅ……。昨日みたいにぃ、ね☆」
「ほら見ろご指名だ」
「ちょ、ま、待ってくださいハク様!!」
サキューの言葉に、ヨルムンガルドは青ざめる。
ハクとレヴァナントは隠れてガッツポーズをし、医務室の外へ避難した。
藁にもすがる思いで伸ばされたヨルムンガルドの手を、ハクはそっと掴み。
「健闘を祈る」
医務室の中へと押し込めた。
札を張り、1匹の死霊に見張りを命じたレヴァナントは、ハクと共に医務室から離れる。
轟くヨルムンガルドの悲鳴を、2人は聞かないことにした。
70話、到達しました!
ヨルムンガルドの扱い、何とかしたいです。




