第69話 魔王城の賑やかな1日 参
ヨルムンガルドを病院送りにした後、数時間の鍛錬を終えたハクは、ムクと共に城内を歩き回っていた。
「そこが、食料庫。で、こっちが武具庫につながってる」
「ふむ」
手始めに1階を見回りつつ、間取りを把握していく。
魔王城内は広く、細かく見回るなら2時間強の時間を要する。
「2階に食堂と、大広間」
「3階以上に個室だな」
「うん」
浴場を通り過ぎた2人は二階への階段を上りつつ、辺りを見回す。
城内ではヒュドラが従えるメイドたちが、忙しなく動き回っていた。
ヒュドラ直属と言えど、種族はバラバラで、龍種に限定するものではない。
丈の長いメイド服を身に纏い、裾を踏まぬ様器用に歩く。
「執務室もある、けど」
「一応見るか」
「こっち」
執務室へ繋がる廊下を歩きながら、ハクはムクを見下ろした。
(あの時以来、見ていない)
隣を歩くフランス人形のようなムクに、泣き顔と、たった一度だけみせた笑顔を重ねる。
何度も見た泣き顔と違い、処刑台の上で、一度だけ微笑んで見せた表情を、ハクは密かに望む。
(泣かせるようなことは、していないはずだが)
ムクが涙を溢す理由を、ハクはしっかりと理解していない。
何枚もの扉を通り過ぎながら、ハクは静かにムクへ手を伸ばした。
「ハク?」
「……」
自分の髪に触れるハクの手に、ムクは首を傾げる。
(届くのは、いつも髪だけで……)
ハクの浮かべた表情に、ムクは肩を震わせた。
すぐに手を下ろし顔を背けたハクに、ムクは寂しそうに目を伏せる。
「ここか」
「うん」
いくつもの同じような扉の中から一枚を選び出す。
ハクが扉を開けると、数多の書籍が出迎えた。
「……これ、全部」
「先代の、私物」
図書館だ、と言われても不思議はないほど、巨大な空間に所せましと本が並ぶ。
本棚に入りきらなかった書籍は床に積まれ、最奥にある机の上には数枚の書類が置かれていた。
「先代は、……ここにいた、のかな」
木製の質素な机に指を這わせ、ムクはポツリと呟く。
メイドたちの掃除が行き届いているのか、執務室には埃1つない。
転がったままの万年筆に眼を落とし、ムクは眼を細めた。
「***の、」
鉄紺に、金色の装飾が這う。
万年筆を持ち上げたムクに、1つの影が差した。
「?」
ムクが振り返ると、視線の先にハクが立っていた。
ハクは机に両手を突き、ムクを捕獲する。
逃げ場を失ったムクは、真っ直ぐにハクの顔を見つめる。
「ハク?」
ハクは、ムクの頬に手を添え、唇に指を当てる。
静かに顔を近づけるハクに、ムクは首を捻る。
逃げも怯えも照れもしないムクに、ハクは眼を細める。
「襲うぞ」
「襲う?」
反対方向に頭を傾けるムクを見て、ハクは大きく溜め息を吐いた。
ムクの瞳を見つめ、ハクは少女を押し倒す。
机の上に横になったムクは、黙ってハクの瞳を見返した。
「……待つから」
「うん」
(早く、気付け)
ムクの頭を撫でながら、ハクは自分に言い聞かせる様に言葉を溢した。
案内を続けてもらおうとハクが体を起こし、ムクから離れようとした時。
「……好き」
「!?」
ムクの口から出たその言葉に、ハクは大きく眼を見開いた。
瞳の奥に期待を隠せず、ハクはムクに顔を近づけた。
「ムク、お前」
「好きって、執着、ってことじゃ、ない、よね?」
「は」
しかし、続いた言葉に、ハクは止まった。
全身が固まり、ハクは呼吸すら上手くできなかった。
「そばにいたはず、なのに、また、離れていく感覚が、胸が、痛いの。先代の時と、同じ」
「……、」
『先代』
その言葉に、ハクは顔を顰めていく。
拳を強く握り、唇を噛む。
苛立ちすら上手く隠せないハクに、ムクは言葉を紡ぎ続けた。
「貴方の心に、わたしは、いるの?」
「貴様、ッ」
それは、純粋な問い。
今朝、ウンディーネとの対話の時点で、ムクに答えは出ている。
ただ、確認したかっただけの、純粋な問い。
それが、ハクにどれだけの打撃を与えるかすら、知らずに。
ハクがムクに対してその言葉を使ったのは、初めてだった。
「……シャルルムック」
「な、に?」
強く握り過ぎた拳から血が伝う。
雰囲気が変わったハクに、ムクは怯える様に聞き返した。
自覚が無いムクに、ハクの苛立ちは加速する。
ハクは、手袋を外し、血に濡れた己の指を、ムクの小さな口に突っ込んだ。
「!? ハ、ッ!」
「……ッ、ハァ。クッア!」
舌を絡め捕り、血を塗りつける。
次にハクは、ムクの白く細い首に眼を付ける。
牙を剥き、簡単に折れそうなムクの首に、噛み付こうとした。
「ッ!? ハ、クぅ!」
口を塞がれながら、ムクは必死にハクの名を叫んだ。
その声に、ハクの肩がピクリ、と揺れた。
牙が肌に食い込む前、間一髪のところでハクは動きを止める。
「ムク……」
「ハク」
呼吸を荒げ、ハクは眉間に皺を寄せる。
苦しそうに呻くハクに、ムクはただ、名を呼び続けた。
「ハク」
「……」
「ハク、……ごめんなさい」
「ッ、ぁ」
ハッ、とハクはムクの顔を見た。
無表情のまま、ただ謝罪をするムクに、ハクは顔を歪める。
「ごめん、なさい」
再び漏れたその言葉に、ハクは眼を開く。
ムクの顔の横、机を拳で叩き、ハクは呻く。
「何が悪いのかすら、分かっていない癖に、謝るな……!!」
「ハ、ク?」
ムクに寄り掛かる様に体を倒すハクに、ムクは戸惑う。
行き場の無い怒りに、ハクの心は荒れる。
そばにあるムクの首を撫で、ハクはムクを睨む。
徐に、ハクは、ムクの細い首に吸い付いた。
「んっ」
牙は立てず、ただ唇で触れるだけ。
唇で撫で、舌で舐める。
首を這う微かな感覚に、ムクは震えた。
「誰にも、触れさせるな。先代の記憶にさえ、絶対に」
「う、ん」
「絶対だ」
身体を起こしたハクは、ムクの瞳を睨む。
混乱し、怯え始めたムクは、眼を細めハクを見返した。
起き上がらないムクをそのままで、ハクはマントを翻す。
踵を返し、ハクは執務室を後にした。
ムクだけが残った執務室には、ただ扉を閉める音が響いた。
「ハク……」
隣に置かれたハクの手袋を眺め、ムクは自分の首に手を添える。
身体を起こし、机に座るムクは、じっと、扉を見つめていた。
***
「……ハァ」
(また、やってしまった……)
執務室を出たハクは、大きく溜め息を吐きながら廊下を歩く。
頭を押さえ、自責の念に駆られる。
「待つと、何度も言っているのにな」
血の跡が付いたままの右手に、ハクは眼を落とす。
ムクの舌の感触がまだ残る指先に、顔を顰めた。
「ハァ……」
「何溜息ついてんだ」
再び大きく溜め息を吐いたハクに、男の言葉が投げかけられた。
ハクが声のした方へ振り向くと、そこには、食料を抱えるレヴァナントの姿があった。
「よう」
「……何をしている」
「何って、食事」
屋台で売っているような料理を両腕に抱え、ついでに棒を咥えるレヴァナントに、ハクは呆れたように肩の力を抜いた。
頬を膨らませ、料理を頬張るレヴァナントは、ハクへと歩み寄ってくる。
「朝食抜きではなかったのか」
「もう昼近いから時効だろ。それに朝食とは言われたけど、『城外で食料を調達してはいけない』なんて言われてねぇしな」
次々に完食していくレヴァンナントは、悪びれもなく言い放つ。
ホットドッグを飲むように平らげた死霊種当主は、指に着いたソースを舐め取りながら眼を細めた。
「それに、俺が消えようがくたばろうが、アイツらには関係ねぇだろうからな」
「どういう意味だ」
「まんまだよ。死霊種は、人が死んだ数だけ代わりがいる。他の種族と違って、誰かが当主にしがみ付いてなきゃいけねぇわけでもねぇンだよ」
ポテトを頬張りながら、レヴァナントは肩を竦めた。
死霊種は、どの種族よりも世代交代が激しい。
『12代目』という数字が、なによりも詭弁に物語っている。
山ほどあった食料を平らげたレヴァナントは、物足りなさそうにゴミを片づける。
「昨日のアレは、どういうつもりだったんだ」
「ん? だって、あれが一番早いだろ」
ハクは目の前にいる男を睨みながら問いかけた。
マントの影に隠れる銃の存在を意識しながら。
両手が空いたレヴァナントは、身体を伸ばしながら真っ直ぐハクを見据えた。
「先代様の力を、目の当たりにするのは、あれぐらいしか方法が無いからな」
「……」
「気付いてんだろ?」
元から細い眼を更に細めて、レヴァナントはハクを捉える。
ハクもまたレヴァナントを見返し、眉間に皺を寄せた。
「だからと言って、他にもやり方があったはずだが」
「んー、まぁ荒治療だとは思ったが、先代様にも頑張ってもらわなきゃならねぇ」
「頑張る?」
「……あの方の最後を知ってんのは、先代様だけだからな」
窓の外を眺める様に視線を動かしたレヴァナントの言葉に、ハクの肩が動く。
問い詰めようとハクが一歩踏み出した時、小さな爆発音が、2人の耳に届いた。
「なんだ!?」
レヴァナントは驚いたように声を上げ、ハクは厨房の方へ視線を投げる。
2人は顔を見合わせ、厨房へ急いだ。
***
「ハク、どこ……?」
1人取り残されたムクは、ハクに手袋を届けようと廊下を走る。
メイドに聞いても知らないと首を振られ、ムクは自分の脚で探すしかなかった。
「ハク……」
僅かに血が滲んだハクの手袋を握りしめ、ムクは辺りを見回す。
魔物の1匹もいない廊下に、ムクの心に寂しさが滲みだす。
(これ、は、なんの感情、なんだろう……)
胸を締め付ける茨に、ムクは目を伏せる。
頭を振り、ハク探しを続けようとムクが顔を上げた時。
「え……?」
視界に入ったそれに、ムクは声を漏らした。
あくまで、ハクはムクを傷付けることができません。
幸せにしたい。
レヴァナントは細目であって、糸目ではありません。




