第62話 酒呑童子の憧憬
今回も酒呑童子視点になります。
前回に比べ、長めになっています。
「それが、シャルルムック様でした」
酒呑童子は、窓の桟に寄り掛かり、ハクへ向け微笑む。
体重を起こし、ティーポットを手に取った酒呑童子は、自分のカップに紅茶を継ぎ足した。
まだ温かさの残る液体に、酒呑童子は眼を細めた。
「シャルルムック様は、ずっと笑っていました。嬉しさを全身で表すように、ずっと」
紅茶を一口で飲み込み、酒呑童子は溜め息を吐く。
寝息をたてるムクに微笑みかけ、再度酒呑童子は紡ぎ始める。
「それから、シャルルムック様に手を引かれ、あちきも、あの方と共に遊んだのです」
あの方と少女は、楽しそうに笑うのです。
会えたことが、何よりも嬉しいとでも言うように。
ふと、少女と眼が合いました。
あちきの肩はビクリ、と震え、眼を逸らそうか迷っていると、少女は迷いもなく近づいてきます。
「あなたは?」
「え、あ、えと……」
「……鬼の子なのね!」
「……え?」
戸惑うあちきに、少女は更に子を近づけてきたのです。
そして、あちきの角を見て、眼を輝かせました。
「凄い、すごい! ねぇ、***! 本当に連れてきてくれた!」
「うん、約束だからね」
「ありがとう!」
少女は、何も怖がりませんでした。
あちきの角を見ても、爪を見ても、牙を見ても。
不思議でした。
あちきは、少女から眼が離せませんでした。
勿論、逸らそうと思えば逸らせたのです。
でも、あちきは、少女を見ていたいと思っていたのです。
「あなた、お名前は?」
「■■と、申します」
「素敵! 髪飾りと同じ名前なのね!」
「え、えぇ……」
輝いていました。
少女の全てが、輝いていました。
エメラルドの様に輝く少女の瞳に、引きこまれていました。
白く透き通る肌も、何にも染まらない漆黒の髪も。
対照的でありながら、互いを引き立てあう少女の姿に。
少女があの方と並ぶと、2人はより一層輝きます。
確かに、2人は兄妹の様にも見えました。
「魔王様、この、方は?」
「ん? そうだなぁ、……花、かな」
「花、ですか」
あの方は、あちきの質問にしっかりと答えてはくださいませんでした。
あちきは、はぐらかされたのだと思いました。
事実、あの方は誤魔化したのでしょう。
それでも、幼かったあちきにも、あの方にとってこの少女が『特別』であったことは理解できたのです。
「愛でていないと、枯れてしまうような、そんな一輪の花。酒呑童子にとっての君みたいにね」
「御父上にとっての、私……?」
くすり、と笑うあの方に、あちきは首を捻りました。
御父上と言葉を交わすのは、厳しく躾られる時の身。
あの方と少女の様に、笑いあうような関係ではなかったからです。
「私はね、シャルルムック。シャルルムック」
「シャルル、ムック様……」
あちきは、自然と少女を敬称をつけて呼んでいました。
少女もまた、それを受け入れます。
きっと、他の当主の方々からも同じ扱いを受けていたからなのでしょう。
この時が、あちきが初めてシャルルムック様の名を呼んだ瞬間でした。
「あなたは何が得意なの?」
「えぇと、……あんさ」
「シャルルが遊びを教えてあげるといいよ」
顔を覗き込みながら、シャルルムック様はあちきに問いかけます。
あちきは、戸惑いました。
何故なら、あちきに得意とするものなど、なにもなかったからです。
ただ力が強いだけ。
不器用で、存在価値もない。
そんなあちきに、何ができるというのでしょう。
突然、あの方があちきの言葉を遮って微笑みました。
シャルルムック様とあちきは、揃ってあの方を観ました。
「えー、……わかった。■■、こっち!」
「え、わ!」
数秒、頬を膨らましたシャルルムック様は、すぐに表情を変えあちきの手を取ります。
引かれるがまま、あちきはシャルルムック様の後を追いました。
それから、あちきはずっと、シャルルムック様と遊んでしました。
花を摘んで王冠や指輪を作ったり。
小川に入り、水遊びをしたり。
小鳥を捕まえてみたり。
シャルルムック様と戯れた時間は、あちきの今までの記憶のどれよりも楽しく、愛おしかった。
「みて、翡翠だ」
「翡翠?」
ふと、シャルルムック様が小川の中から1つの石を拾い上げました。
それは、翡翠の欠片でした。
水に削られたのか、綺麗な球体をしており、シャルルムック様の瞳と同じ色をしていました。
「あなたにあげる」
「え、しかし……」
「いいの! もらって、くれる?」
「ッ!」
上目使いであちきの瞳を覗き込むシャルルムック様に、あちきの鼓動は跳ね上がります。
柔らかく小さな手で、あちきの不格好な手を握るシャルルムック様。
今まで経験したことの無い体験に、あちきはただ従う事しかできませんでした。
こくり、と頷いて見せると、シャルルムック様は顔を輝かせます。
それのなんと美しいことか。
あちきは、シャルルムック様を護りたいと、思えたのです。
「……よかった」
シャルルムック様と遊んでいる間、あの方は1人でお茶をしていました。
魔法で作り上げたのでしょう、質素な中センスの光るテーブルとイス。
野点傘のようなものまでありました。
あちきたちからは決して目を離さず。
傘の影で、ずっと微笑んでいました。
「***! 私たちもまぜて」
「もういいのかい?」
「休憩したいの」
「いいよ」
シャルルムック様があの方へ走り寄り、お茶会の参加を申し出ます。
あの方は微笑みながらシャルルムック様を撫で、イスへ誘いました。
「君もおいで」
「はい」
あの方は、あちきたちがお茶会に参加することを見越していました。
最初から、イスとティーカップは3つ用意されており、お茶菓子までありました。
「このクッキー好き」
「そうか、ミカエルも喜ぶよ」
きっと、シャルルムック様はこの頃から頭が冴えていたのでしょう。
クッキーを頬張りながら、シャルルムック様はあの方に愛でられます。
あちきは、きっと、羨ましかったのでしょうね。
御父上にも、あんな風に褒められたことなど、無かったのですから。
それから、あちきたちは他愛のない会話を交わし合いました。
どんなことを語っても、シャルルムック様は楽しそうに、話を聞いてくださいました。
あの方は、ずっと、微笑むを向けてくださいました。
他にも、シャルルムック様はあちきの髪を結ってくださったりしましたよ。
時間を忘れる、という感覚は、とても心が温まるものでした。
お茶を共に楽しむ友人がいて、それを見守るあの方がいる。
あちきの生きてきた時間の中で、一番、手放しがたいものでした。
「そろそろ帰らなくてはね」
空を見上げたあの方が、一言、あちきたちへ語り掛けました。
陽が傾き、黄昏時が近づいていたのです。
「……もう?」
「シャルルが村へ帰るには半刻かかるだろう? 遅くなっては怪しまれてしまうよ」
「……うん」
「僕が送ってあげられればいいんだけどね」
寂しそうに、シャルルムック様はあの方へ延長を願います。
ですが、あの方はそれをきっぱりと断ります。
頭を撫でられ慰められながら、シャルルムック様は渋々あの方に従いました。
「また、きてくれる?」
「え、あ。……勿論でございます」
「約束よ!」
シャルルムック様は嬉しそうに小指を差し出しました。
あちきは、シャルルムック様に契ります。
その間にテーブル等を片づけたあの方はあちきたちを出口へと連れて行きます。
「またね」
「気をつけるんだよ」
手を振りながら走り去るシャルルムック様の背中は、どうしてでしょう。
胸騒ぎが収まりませんでした。
「帰ろうか」
「はい」
シャルルムック様の姿が見えなくなった後、あの方はあちきに微笑みます。
あちきたちもまた、帰路につきました。
来る時同様、あの方とあちきとの間に、会話はありませんでした。
それでも、あの方の隣を歩いているというだけで、あちきは満たされたのです。
後で気付きましたが、道中で魔物がひれ伏していたのは、あの方の影響でした。
「おまたせ」
「おかえりなさいませ」
御父上と別れた場所で、また2人と合流しました。
それからもう一度ヨルムンガルドの背に乗り、ニヴルヘイムへ帰国します。
波にもまれる中、やはり、あちきの背を温かな手が支えていてくださいました。
「それではね。疲れているだろうから、ちゃんと休ませるように」
「承知しております」
ニヴルヘイムにつくと、城に入る前にあの方はあちきたちに別れを告げました。
恭しく頭を下げる御父上に、あちきの心臓はドキリ、と跳ねます。
(もう、おわかれ……?)
収まらない鼓動に、あちきは胸を押さえました。
マントを翻し、城へと歩き出すあの方の姿。
あちきは、必死でした。
「魔王様!!」
御父上に叩きこまれた礼儀も忘れ。
あちきは、ただ叫んでいました。
「あちきも、強くなって、頑張って、がんばって、強くなって、御父上に勝てるくらいに、強くなれば! あちきも、魔王様のそばにいられるように、なれますか……?」
驚いたように、あの方は振り返ってあちきを見つめていました。
御父上やヨルムンガルドもあちきの行動は予想外だったようで、眼を丸めてあちきを見ます。
大人3人に見つめられ、あちきの体は震えました。
涙が、出そうでした。
何も言ってはくれないあの方に、失態をしでかした自分自身に。
ですが、あちきは俯かず真っ直ぐにあの方を見つめました。
それだけは、しっかりと。
すると、魔王様はあちきに歩み寄り、視線を合わすようにしゃがんだのです。
「きっとね。……約束」
「陛下!」
「いいから。ね?」
優しく微笑み、あの方は、あちきに小指を差し出しました。
その行動に驚いたのは、やはりあちきだけではなく。
御父上が慌てて止めに入りましたが、あの方はそれを制止させます。
膝をつき、あちきを待つあの方に、あちきの瞳からはとうとう雫が溢れました。
「はい、はい……!」
「うん、可愛い子」
あの方は、自分の力を過信せず。
ただ、そこにいるだけで周囲を照らしていました。
決して、自分の配下から眼を離さず。
忌み子も、強者も、弱者も、人間も、分け隔てなく。
優しさだけでなく、しっかりと芯のある厳しさを持ち合わせる。
王として、理想を体現したような方でした。
「帰るよ」
「はい、魔王様」
「またね」
執政している姿は、見たことがありません。
あちきが見たのは、ただ子どもと遊ぶ優しい良心の側面。
あれが、あの方の全てではなかったことは理解しています。
それでも、あの姿が、あの方を現していたのです。
遠ざかるあの方の姿は、とても頼もしくて。
城の中に姿を消しても。
あちきは、あの方を見つめ続けました。
月のような、不思議な吸血鬼の姿を。
……結局、あちきは、あの方とも、シャルルムック様とも、約束を守れませんでした。
+++
「あの方が消滅したとの知らせを聞いたのは、その数日後です」
酒呑童子は、ハクを見つめ、話を締める。
ティーカップを両手で包み、溜め息を吐きながら。
「あちきは急いで、シャルルムック様の安否を確認しに行きました。でも、そこにいたのは、あちきの知るシャルルムック様ではなくて」
テーブルにティーカップを置きながら、酒呑童子は言葉を続ける。
ムクへと近づき、寝顔を見つめる。
昔の面影を重ねながら、酒呑童子は、寂しそうにハクへ言葉を紡いだ。
「美しかった黒髪は、何も映さぬ白髪に。あちきに下さった石と同じ翡翠の瞳は、血液のような赤い瞳に。絶えず浮かんでいた笑みなど、欠片もなく。……ただの抜け殻となったシャルルムック様が、そこにはいました」
眉間に皺を寄せるように笑う酒呑童子は、ムクの額に口づけを落とす。
頭を撫で、髪を弄ぶ。
身体を起こした酒呑童子の背は、どこか頼りなく見えた。
「なのに、今になってあちきの前に現れたのは、ハク様によって表情を取り戻しつつあるシャルルムック様。あちきがいくら話しかけようと手を焼こうと、眉1つ動かさなかったシャルルムック様が、貴方様の前ではいともたやすく表情を変える。……妬くな、という方が無理な話でございます」
振り返り、舌を出して笑って見せる酒呑童子。
悪気はない、とでも言いたげに悪戯っぽく微笑む酒呑童子は、普段の調子を取り戻していた。
「他にも同じような理由で貴方様のお命を狙う輩がおります。お気をつけくださいませ」
壁に立てかけてあった大剣を手に取り、酒呑童子はハクへ背を向ける。
その際、月明かりに照らされ、酒呑童子が身に着ける緑の宝石が、きらりと光った。
「待て」
扉へ歩み出した酒呑童子を、ハクが呼び止めた。
今まで黙ったままであったハクに、酒呑童子は振り返る。
ハクは口を開き、迷うように唇を震わせた後、酒呑童子の瞳を真っ直ぐ見つめ、声を繋いだ。
「あなた、お名前は?」
驚愕し、酒呑童子は眼を見開く。
酒呑童子の話を聞き、ムクの真似をしてみせたハク。
ハクの性格には合わず、普段の口調からはあまりにかけ離れた言い方。
恥ずかしそうに頬を染めるハクは、羞恥に耐える様に拳を握り、酒呑童子の瞳を見つめ続けた。
その言葉に行動に、酒呑童子は緩む口元を押さえようともせず。
「桔梗と、申します」
昔、ムクへ名乗った時と一言違わずハクへと名を告げ。
髪飾りを揺らして、桔梗は少女の様に微笑んだ。




