第5話 外出
「あーもう、お終い!!」
「まだ、全部じゃない」
ムクの質問攻めは、ついにはテーブルやタンスにまで及び、ハクはお手上げ状態であった。
強制終了された質問大会に、ムクは兎のぬいぐるみを凝視する。
「可愛い…」
ポツリ、と呟き、言葉を噛み締める。
ハクは、紅茶を追加しながら、質問に答えていた喉を潤す。
兎のぬいぐるみを抱いたまま、ムクは椅子に座り直した。
「今のお前、『可愛い』な」
「む……。わからない」
ぬいぐるみを持ったムクは、どこにでもいる子供の様に愛らしく、吸血鬼には見えなかった。
ハクは、頬杖を突きながらその姿を眺め、単語を追加する。
「女の子は、『可愛い』って言われたら、『嬉しい』らしいぞ?」
「『嬉しい』……?」
新たな単語に、ムクは僅かに仰け反り、ハクの眼を見る。
兎のぬいぐるみを抱く腕に力を込め、単語の意味と、それによる感情の変化を追っていく。
「俺は『かっこいい』って言われた方が『嬉しい』な!」
口角を上げ笑うハクを見て、ムクは1度ぬいぐるみに視線を落とす。
ムクは顔を上げ、紅茶を口に含んだハクに、覚えたての単語を言い放った。
「かっこいいかっこいいかっこいいかっこいいかっこ……」
「ぐっ!? ストップ、ストップ!!」
思わず吹き出しそうになったハクは、寸でのところで堪え、ムクを止めにかかる。
首を捻るムクに、困ったような表情をしたハクが説明していく。
「言われりゃいいってもんじゃねぇんだよ。その人が、本当にそう思った時に言ってくれるのが『嬉しい』んだ」
「難しい」
ムクは、ぬいぐるみを強く抱きしめた。
小さい子供に手を焼いているこのような感覚に、ハクは眼を細めた。
今までの会話を思い出しながら、ハクは1つ、思い当たる事柄を見つけた。
「そういや、『難しい』はわかるんだな」
「『難しい』は、なんとなく、覚えてる」
「覚えてる?」
「私、元人間だから」
告げられた真実に、ハクは大きく眼を見開く。
吸血鬼は、持ち合わせる2本の牙で人間に噛み付くことで仲間を増やしていく。
噛み付かずに殺せば仲間になることはなく、吸血鬼は攻撃方法を分ける必要がある。
「元、人間?」
「噛み跡、見せたでしょ」
ムクの首筋には確かに噛み跡があり、それが元人間であることの何よりの証拠であった。
ハクはすぐに現実を飲み込み、理解する。
「まぁ、そういう話は割とあったからな……」
自分がいた世界の知識を使い、ムクと話を合わせていく。
ハクは、ムクに向き直り、ニヤリ、と口角を上げた。
「つまり、感情を取り戻す可能性は十分にある、と!」
「かも、しれない」
ガッツポーズをとるハクを止めることなく、ムクは曖昧に肯定する。
喜びに浸るハクを眺めながら、ムクはポツリ、と言葉を漏らした。
「『かっこいい』って、どういう感情……?」
「あ? まだ教えてなかったか」
椅子に座り直し、ハクは腕を組んで考える。
答えが出るまでの間、ムクはクッキーをつまみながら、紅茶を追加で淹れていく。
「あー、あれだ。なんか、こう、相手が輝いて見えるって感じ」
「輝いて見える?」
沸き始めたお湯から眼を逸らすことなく、ムクは考え込む。
実体験を積んでいないムクにとって、感情とはいくら説明されても理解しがたいものであった。
冷静に紅茶を淹れながら、別の事を考えているムクを見て、ハクは対策を考案する。
「なぁ、今日の夕飯は?」
「え? 森で、魚か魔物を捕るよ?」
「よっし、決まりだ!」
淹れたばかりの紅茶を飲むことはなく、ハクはムクの手を引く。
驚きのあまり、ぬいぐるみを床に落としたムクは、ハクを仰ぎ見る。
「ハク?」
「感情ってのは、体験してみないとわからねぇだろ! 出かけるぞ!」
満面の笑みを見せるハクに、ムクは素直に従うことにした。
新しいマントを着て、ムクは家の戸締りをする。
魚を釣る為の道具や魔物を捕る為の道具を持ち、二人は家の外へ出た。
「やっぱ、良い場所だよなぁ」
ハクは、家の周りを歩き、小川を覗いたり、花を1輪摘んだりと自由に動きまわる。
後から外に出たムクは、ハクに近づきながらその様子を眺めた。
「私の、お気に入り?」
ムクは首を捻りながら、ハクにそう告げる。
曖昧に自慢するムクを見て、ハクは手に持つ小さな花を差し出した。
「どうぞ、お嬢さん」
「……?」
ムクは差し出されたそれを見て、動きを止めた。
ハクは、ムクの髪にその花を挿す。
「あぁ、可愛い」
「……」
花を飾ったムクの頭を優しく撫で、ハクは笑う。
ムクはハクの眼を見つめた後、顔を隠すようにフードを深く被った。
「案内よろしくな」
「はぐれないでね」
ムクはハクに視線を合わせないまま歩き出す。
照れているともとれる行動に、ハクは微笑み、小走りでムクを追った。