第52話 鬼人
「主……?」
ハクの口から出たそれに、ダユは呆気にとられた。
その不意を突き、酒呑童子はダユの鳩尾に踵を入れ、後方へ吹き飛ばした。
「ゥッ!? カハッ!!」
「あんたはんは黙っときや」
突然の激痛に、ダユは胃液を吐き出しながら地面に転がった。
自分の手によって跳ぶダユを一瞥し、酒呑童子はハクへ歩み寄る。
「腹括ったん? えらい早いなぁ」
刃に舌を這わせ、眼を光らせる。
妖しく嗤いながら、酒呑童子はハクを見下ろした。
「そんで? 何がお好みなん? 頭潰そか? 内臓引きずりだそか? 溶岩もあるさかい。どろどろに溶かしてしまおか?」
心底楽しそうに、酒呑童子は言葉を並べる。
それはまさに、鬼そのもの。
人を殺すことにこそ娯楽を感じる。
手馴れているのだろうその雰囲気に、ハクは躊躇うことなく声を返した。
「素早く、それでいて確実に即死する方法を」
血を溢れさせながら、ハクは答える。
確かに、ハクの身体の再生は進んでいる。
だが、まだ致命傷の息を脱してはいなかった。
触手の攻撃を直に受けたことで、全身の骨は折れ、手足は潰れていた。
砕けた骨は内臓に刺さり、重症化する。
長らく喋ることができるようになったのも、ムクが傍にいないからであり、喀血が収まったわけではない。
ハクは、自分の再生能力に限界を感じていた。
「それなら、身体裂くがよろし。首引き抜こか? 胴体引き千切ろか?」
「速いのなら、好きにしろ」
「痛みは勘定に入らへんちゅうことやね」
呆れたように、酒呑童子は息を吐き出した。
ハクは、1か月間、ムクを見続けてきた。
ムクが、どのタイミングで、どれくらいの速さで、どう再生するのかを、見てきた。
故に、何をすれば再生能力の限界を引き出せるかを、本能で理解していた。
何をすれば、足りない能力値を埋めることができるのかを。
発言を取り消す様子も、一切の抵抗も見せないハクに、酒呑童子は首を傾げる。
「それにしても、あんたはん、ほんまに元人間?」
思考の奥底を見定める様に、眼を細め。
静かに眼を閉じたまま動かないハクに、酒呑童子は冷たく告げる。
「普通の御人は、そない簡単に自害を選択できないえ?」
それは、単純な興味でもあった。
微塵も反応を見せないハクの胴体に刃を這わせながら、酒呑童子は言葉を放つ。
たとえ不死だ理解していても、それでも初回は抵抗があることが通常。
にもかかわらず、ハクは抵抗どころか進んで命を捨てる。
その異常さに、酒呑童子は興味を持った。
彼女の疑問は、ただ一言で返される。
「ムクは死んだ。それだけだ」
ポツリ、とハクは言葉を発した。
小さく、だが確固たる意志を含めて。
ハクの答えに、酒呑童子は呆けた。
そして堪らず、腹を抱えて大声で笑った。
(ほんにこの人は、ただそれだけで――)
涙が浮かぶ程笑い転げ、酒呑童子は再びハクを見下ろし。
過去最大級に口元を釣り上げた。
「ほんま、奇妙な御仁やねぇ」
先程とは違う歓喜の表情に、ハクは肩を竦める。
クツクツ、と笑い続ける酒呑童子は、さらに疑問を重ねる。
「あちきが裏切る確率の方が高いゆうに」
「お前が見たいのは、裏切られたと感じ絶望した我の顔であって、自ら死を望んだ我の顔では無かろう」
「お見通し、ちゅうわけね」
溜息を吐く様に、諦めたように息を吐く酒呑童子は、ハクを真似て肩を竦める。
咳払いを1つした後、酒呑童子は表情を変え、異なる嗤いを浮かべた。
柄を強く握り直し、改めて酒呑童子は宣言する。
「えぇよ。その依頼、確かに聞き届けたわ」
律儀に言葉にする酒呑童子に、ハクは沈黙で答える。
瞳を閉じたハクに、大剣を構え直す酒呑童子。
彼女が魔王の命を奪おうとしたその時、再度横槍が入った。
後方へ飛ばしたダユから再び異物が投げられる。
だが今度は、酒呑童子はそれを弾くことなく片手で受け止めた。
「いつから酔ってる?」
「いつからやろね?」
座り込んだまま、今にも襲い掛かろうとするダユに、酒呑童子は嗤いかける。
睨む兎に、笑う鬼。
一触即発とも思える空気の中、2人は短く言葉を交わした。
「あ」
「えぇよ」
それは、言葉とも言えぬ程短い単語。
酒呑童子は、ダユの話を最後まで聞くことなく承諾した。
その解を受け、ダユは刃を治める。
落ち着いたダユの様子を見て、酒呑童子は己の掌に握られた物を見た。
彼女の手の中にあったのは、一粒の魔宝石。
ダユがウンディーネに使ったものよりも上質なそれに、酒呑童子は眼を細める。
驚きも動揺もなく、ただの事実としてそれを受け止める。
(可能、か)
その事実に喜びを感じる自分の存在を認識しながら。
酒呑童子はハクへ向き直り、今度こそ命を奪う。
手の中に魔宝石を治めたまま、酒呑童子は大剣を振り上げる。
その空間に、一切の音は無く。
ただ、2人だけが存在していた。
「ハク……?」
酒呑童子は、大きくかざした大剣を、振り下ろした。
キレのいい音と共に、大量の血液が宙へ飛び散る。
返り血を浴びた酒呑童子は妖しく揺れ、朱に染まる。
ハクの身体を分断した酒呑童子は手を止めず、己の右手をハクの胸へ突き刺した。
ぐちゅ。
にちゃ。
ぐちゃ。
びちゃ。
ぶちゅ。
ねちゃ。
耳障りの悪い音が辺りに響く。
ハクの心臓を捉えた酒呑童子は、手に握った魔宝石を粉砕し、その粉をそれに塗り込んだ。
直接心臓を掴み、魔宝石の粉を馴染ませる。
手早く作業を済ませ、腕を引き抜く。
舌なめずりをするその姿は、正に『鬼』。
全身を赤に濡れ、手を汚すその姿こそが『酒呑童子』。
不覚にも、その姿にダユは見惚れる。
朱に染まるその姿こそが、酒呑童子が最も美しい瞬間。
この時、ダユは初めて酒呑童子の事を『美しい』と感じた。
「さぁて、ここからが正念場やね」
ハクの遺体を転がした酒呑童子は、再び大剣に手をかける。
血を払うように剣を振り、髪を揺らして見せる。
「眠り姫決めこんどる主にかわって、この場をしのがなあかんしなぁ」
振り返らずに、酒呑童子はダユへ語り掛ける。
ダユの瞳に映る酒呑童子は、どこか清々しかった。
ムスペルヘイムへ入る前の不信感は払拭され、信用にたるその背中。
暴走を制御できるようになった彼女に、昔の面影を重ねながらダユは立ち上がった。
「手伝うてくれるやろ?」
「当然だ」
「東国の維持、みせたるわ」
背中を合わせ、2人は得物を携える。
同郷の2人が、長らくぶりに手を組んだ。
血染めの鬼と、幻影の兎。
2人に追いつけるものは、何処にもいない。
2匹の獣は眼に炎を灯し、妖しく嗤った。
――死の間際、彼の名を呼んだ子は誰?




