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第51話 2人


 ――これは、なんだったっけ


「ムク」


 ――すごく、安心する


「ムク」


 ――ふわふわして、それなのに、確かにそこにいる


「ムク」


 ――わたしを、包んでる


「ムク」


 ――これは、それは、この人は、わたしの***


「ハ、ク……」


 ゆっくりと、ムクは瞳を開ける。

 ぼやける視界で、自分を覆う人の姿を見る。

 匂いと、感触で、自分の居場所を探る。

 小さな手を伸ばし、ハクの頬へ触れる。

 その感触に、違和感を覚えながら。


「ムク」

「……ハク」


 俯いているハクの表情は、ムクにははっきりと認識することができなかった。

 もう片方の手も伸ばし、両手でハクの頬に触れる。

 髪をかき分け、ハクの表情をのぞき見る。

 その手を赤に染めながら。


「……ッ!? ハク!?」

「ムク……」


 ハクの顔に、ムクは悲鳴を上げた。

 血に濡れた魔王に、ムクは口元を押さえた。

 ハクを染める血は、全てハク自身の血。

 息絶え絶えになりながら、ハクはしっかりとムクを抱え飛んでいた。


「どうして……!?」


 吸血鬼の再生の力は、持ち合わせる心臓の数に比例する。

 ハクの持つ心臓は、ただ1つ。

 どう足掻こうとも、ムクには心臓の数も再生能力も足元に及ばない。

 すでに全快し終えたムクは、衣服含め一切の汚れがついていない。

 ハクに抱えられている今も。


「ねぇ、ハク、ハク!!」


 涙目で、ムクは訴える。

 だが、ハクは答えない。

 答えることが、できなかった。

 無垢なムクを、自分の血で染めることを嫌ったハクは、心臓の次に体外へ散らばった自身の血液を体内へ回収することだけに力を使った。

 それにより、ハクの体内は壊滅状態となった。

 血管は千切れ、内臓は破れる。

 それなのに、血液だけは体の中に仕舞われる。

 血管から飛び出た血液は、組織液と混じり合い、内臓の中へ入り込む。

 ハクが長く喋らないのは、逆流してくる血液を体外へ出さないよう堪える為。

 今口を開ければ、ムクに血を浴びせることになる。

 ハクは必死に、身体の修理を急がせた。


「ハク、ハク……!!」


 意識を保てなくなったハクは、次第に高度を下げていく。

 ムクもまた、羽を広げてハクを支えようとした時。

 ハクの腕が、ムクを離した。


「え……」


 ムクの体は解放され、泉へ向けて落ちていく。

 精一杯手を伸ばすが、ムクの手は宙を掴む。

 遠ざかるハクの元へ戻ろうと羽を広げる。

 だが、ハクは、ムクの目の前で触手に吹き飛ばされた。


「ハク!!!」


 時間は少し遡る。

 ダユは泉の中に沈んだウンディーネを抱き留め、水中へ潜る。

 気絶したままのウンディーネはどこまでも沈むかと思えた。

 精霊であるウンディーネは人と比べれば軽く、抱えたまま地上へ出るのは容易であった。

 だが、ダユは地上どころか、むしろ泉の底を目指した。


(目を覚まさぬまま地上に出るより、このまま……)


 瞼を落とすウンディーネに、ダユは眼を細める。

 ムスペルが暴れたおかげで、水質は悪く温度も高い。

 ウンディーネが縛りつけられていた泉に比べれば、むしろ害にすら成りえる。

 それでも、ダユは泉のそこで、息の続く限りウンディーネを抱きしめる。


「ウンディーネ……」


 眠るウンディーネの体は、段々と透けていく。

 体内の魔力欠乏により、生命を維持し損ねている証拠であった。

 眼を細め、その透き通る頬触れたダユは、優しくウンディーネの唇へ、口づけた。

 まだ感触があることに安堵し、ダユはポシェットから1つの石を手にする。

 取り出した魔宝石を口に含み、ダユは再度唇を重ねた。

 舌をねじ込み、絡め、ウンディーネへと魔力を渡す。

 魔宝石を飲み込んだウンディーネは、ゆっくりと、全身へ魔力を流していく。

 身体に色を取り戻した妻に、ダユはもう一度、人工呼吸の意を込めてキスをした。


「……ん、ダユ?」


 重い瞼を開いたウンディーネは、真っ先に愛し人の名を呼ぶ。

 それをしっかりと聞いたダユは唇を離し、強くウンディーネを抱きしめた。


「よかった……。すまん、手を、離して。傍から、離れて。すまん……」


 強く、優しく、固く。

 ダユの意思が伝わる両腕に、ウンディーネは微笑んだ。


「いいのです。こうして、また助けてくれたのですから。ありがとう、ダユ」

「ウンディーネ……!」


 抱きしめ返すウンディーネに、ダユは溢れる感情に顔を歪めた。

 子供をあやすように、ダユを慰めたウンディーネはすぐに体を離し、真剣な表情で言った。


「今は、戦いに集中しましょう。この続きは、また後で」

「あぁ」


 瞬時に気持ちを切り替えたダユは、ウンディーネの手を引き地上を目指す。

 人知れず、安堵で胸を撫で下ろしながら。


(訓練しておいて、よかった……)


 僅かに緩む口元を隠しながら、ダユは水面を見上げた。

 その時、水中に移り込んだ陰に、2人は大きく眼を見開くことになる。


「ムク様!?」


 大きく音を立てて泉へ飛び込んできたのは、ムク。

 羽を広げたまま、苦しそうに顔を歪ませるムクに、堪らずウンディーネは手を伸ばした。


「どうして……」

「っ、主!!」


 ムクを引き寄せ、抱きしめたウンディーネは混乱しながらダユを見つめる。

 空中から落ちてきた事に、ダユはすぐに正解を導きだす。

 ダユはムクをウンディーネにまかせ、己の主の元へ急いだ。


「ムク様! シャルルムック!!」


 ウンディーネは妖精の力を借り、ムクを地上へ引き上げる。

 肩を揺すり、意識を覚醒させようと試みるが、ムクは起きない。

 悪夢にうなされる様に、眉を顰めるムクに、ウンディーネは気を取られていた。


「姉貴!!!」


 ウンディーネの顔間近を、1本の槍が通り過ぎた。

 直後、隣で轟音が鳴る。

 ゆっくりと首を動かし、ウンディーネは自身の隣を見やる。

 そこには1本の触手と、大きな亀裂があった。


「無事か、姉貴」

「え、えぇ……。ありがとう、サラマンダー」

「別に」


 槍を手に、サラマンダーが傍に寄る。

 理解の追いつかぬまま、ウンディーネはサラマンダーに礼を言う。

 そっけない態度を取りながら、サラマンダーはムクへと視線を落とした。

 未だ目覚めぬ、ムクへと。


「あぁ、あぁあぁあぁ!!! ならぬのだ、ならぬのだ!!!! あの方以外が、魔王などと!!! 名乗ることさえ許されぬ!!! 絶対に、絶対に!!! ならぬのだ!!!!! 俺は(・・)嫌なのだ(・・・・)!!!!!!!!」


 触手を地面へ打ち付けながら、ムスペルは叫ぶ。

 まるで駄々を捏ねる様に、ムスペルは触手を動かす。

 憤慨する様に、蒸気を吹き出しながら、ムスペルは啼く。

 地面へ走った亀裂は更に深まり、地面を分断する。

 ムスペルの手によって、6人は2つに切り離された。


「主!!」


 泉から出たダユは、一目散にハクの元へと駆ける。

 砂埃に視界を遮られながら、ダユは主の元へ急いだ。

 ハクは、霞む視界で世界を見る。

 自分の胸に、冷たい感触を感じながら。


「起きてもうたん? なんや、つまらない」


 女の声に、ハクは視線を動かす。

 触手に吹き飛ばされたハクは、その先にいた酒呑童子に受け止められていた。

 襷と大剣を器用に使い、衝撃を吸収しつつ、身体で抱き留める。

 力だけに固執しない酒呑童子の手腕により、双方着地の衝撃はほぼ0に抑えられた。


「お前が、そうか……。すまない」


 意識が無いうちに身体の修復が進み、ハクは喀血を気にせず話せるようになっていた。

 だが、その言葉に酒呑童子は眼を光らせる。


「なんや思い違いしとるようやねぇ」


 ハクは元の世界で言うところの、関西の訛りに似た話し方をする酒呑童子に、違和感を覚える。

 胸元に突きつけた大剣を強く握りながら、酒呑童子はハクを睨みつけた。


「あちきの主人は、シャルルムック様。あちきはまだ、あんたはんの事、認めてないんよ」


 それは、ハクにとって初めての謀反とも言える行為。

 容易く骨を砕くであろう大剣に、ハクは怯みもしなかった。


(むしろ、なんであの時……)


 光を反射する刃を眺め、ハクは大広間での光景を思い浮かべる。

 そこには、何がいたか。


「ほな、さいなら」


 抵抗しないハクに、酒呑童子は眼を細め。

 大剣を、横へ薙いだ。


「あらぁ? 遅かったやないの?」

「主!!」


 飛んできた短刀を薙ぎ払い、その先にいる人物へ嗤いかける。

 ハクと酒呑童子を見つけたダユは、2人の立ち位置に、反射的に短刀を投げた。

 奇襲を躱され、嗤う酒呑童子に、更にダユは太刀で襲い掛かる。

 それを容易く受け止め、2人は鍔迫り合いにて睨み合う。


「主、今のうちに……!!」

「アッハハハ!! 逃げよう言いはるん?」

「ッ、お前……!」


 酒呑童子から眼を離さぬまま、ダユはハクへ叫ぶ。

 逃がすまい、と酒呑童子は大きく大剣を振るが、ダユはそれを軽く躱す。

 刀が交わる音が響く中、2人以外動く音は聞こえない。

 ハクは、何時まで経っても、その場から動かなかった。


「主……? どうし、」

「酒呑童子」


 疑問に思ったダユが恐る恐るハクへ声をかける。

 だがそれに反応が返されるとこはなく、言葉を遮る様に、ハクは鬼人の名を呼んだ。


「我を、殺せ」




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