第4話 家
「それで、どこに向かってんだ?」
「私の家」
ハクは、ムクに連れられるままに森の中を歩いていた。
魔物の気配は消えることはないが、襲ってくることもない。
森の中へ入れば入るほど太陽の光は遮られ、暗く、湿った環境へと変わる。
先頭を歩くムクは、まだ乾き切っていない髪を引きずり、破れた衣服を抱えていた。
「なぁ、お前って、何歳なの?」
「えっと……」
ハクの問いに、ムクは立ち止まり、小さな指を折り始めた。
丁度右手の5本を全て折り終ったとき、ムクは振り返りハクへ告げる。
「512、歳?」
「……」
ムクの口から出た数字に、ハクはその小さな体を凝視する。
人間としてみるのなら、10代前半の女の子。
吸血鬼としてみるのなら、数1000歳と言われても不思議ではない。
「これは、意外と若いと見るべきなのか?」
持ち合わせる異世界の記憶と照らし合わせ、ハクは唸り声を上げる。
頭を抱えるハクを気にせず、再び歩き始めたムクは、カーテンの様に垂れ下がっている蔦をかき分け中へ入っていく。
「あ、おい、待てよ!」
振り返ることも、立ち止まることもしないムク。
慌ててムクを追いかけ、ハクもまた蔦をかき分け先へ進んだ。
「……!」
突然、差し込んだ光に、思わずハクは眼を瞑る。
先程までは聞こえなかった小鳥のさえずりが耳に届き、ハクはゆっくりと眼を開けた。
「は……?」
「ようこそ、我が家へ」
そこには、明るく、温かい空間が広がっていた。
崖に囲まれたその空間は、高い木が生えておらず、太陽光が遮られることが無いため穏やかな広場の様になっていた。
足元には草花が生え、小川まで流れている。
そして、入り口から見て1番奥。そこに、木製の1軒家が建っていた。
森の中だというのにしっかりとした造りで、ハクの世界で煙突と呼んでいるものまでついていた。
「……すげぇ」
「こっち」
呆然と立ちすくむハクに、ムクは声をかけながら、振り返ることなく家の中へ入っていく。
ムクを追いかけ、家の中へ足を踏み入れたハクは、そこでもまた驚愕することになる。
ムクのサイズより少し大きめに作られた家具は、すべて木製だが新品の様に輝いており、どれも美しい装飾が施されていた。
恐らく暖炉であろうものは煉瓦のような材料で作られており、何故かキッチンと呼ぶであろうものまであった。
「……すげぇ」
ハクは、堪らず同じ言葉を繰り返す。
当たり前の日常風景に、ムクはハクの様子を気にすることなく淡々と家事をし始めた。
「これ、全部お前が……?」
「私が、作ったよ?」
信じられない、と首を振るハクに、ムクは座ることを勧めた。
言われるがまま座った小ぶりなイスと呼ぶものも、見た目に反することなくしっかりとした造りで、ハクの体重を全体で支えていた。
ムクは、手始めに恐らくタンスと呼ぶものの中から服を取り出し、着替えを始めた。
「……!? ちょっ!?」
その様子を見て、ハクは慌てて眼を逸らす。
一度裸を見ている上での反応に、ムクは首を傾げ、手を止めることなく着替える。
「少しは恥らって……」
「恥らう?」
シンプルなワンピースに見えるものを着たムクは、ハクの口から出た言葉に反応する様にその言葉を繰り返す。
ムクの様子を見て、ハクは思い出したように納得した。
「あぁ、感情ないって言ってたもんな。なら、俺の前で着替えても……よくない!!」
ハクは自分で自分の考えを正していく。
堪らず声に出したそれに、ハクは表情を変えていく。
百面相のハクを見つめ、ムクは動きを止めた。
「ん?」
「恥らう、って何?」
着替えを終えたムクは、ハクへと視線を投げる。
教えを乞うようにムクは言葉を紡ぐ。
「教えるって、言ったもんな」
ハクは、自分の言葉に責任を持ち、説明するために頭を悩ませる。
なかなか答えを出さないハクを待つ間、ムクはキッチンでお湯を沸かし始めた。
「あ、あれだ。誰かに何かされるのが、とてつもなく嫌、みたいな?」
「嫌、って何?」
「あぁあああ~!!!」
新たに出現した言葉に、ムクは再度教えを乞う。
選択を誤った事に気が付いたハクは、頭を抱え机に突っ伏す。
答えを得られぬまま時間が経過し、お湯が沸いた。
そのお湯を使い、ムクは2人分の紅茶と呼んでいたものを淹れていく。
2つの白いティーカップに類似したものに紅茶を注ぎ、ムクはハクの前に1つ、自分の前に1つ静かに置き、自分もまたイスに腰を下ろす。
「あ、ありがとう」
「うん」
「感謝はわかるんだ……」
「感謝?」
再び墓穴を掘ったハクは、ムクの言葉を聞かなかったことにする。
ハクは、逃げる為に飲み込んだ紅茶の味に眼を見開いた。
「うっま!!」
「そう」
いつのまにかお茶菓子まで出されており、クッキーに似たその食べ物は、僅かに口の中の水分を吸収するため、紅茶と相性が良かった。
「なぁ、言葉の確認してもいいか?」
「いいよ」
ふと、思いついたようにハクはムクに声をかける。
2つ返事で頷いたムクに、ハクは1つ1つ物を指さして尋ねていく。
「これは?」
「クッキー」
「これは?」
「テーブル」
「これは?」
「イス」
「これは?」
「ティーカップ」
「これは?」
「紅茶」
「あれは?」
「煙突」
「これは?」
「暖炉」
「それは?」
「ワンピース」
「あれは?」
「タンス」
「あれは?」
「キッチン」
「単語も一緒、か……」
一通り聞き終えたハクは、自分の世界と言語が共通していることを再確認し、溜め息を吐く。
長い質問攻めをされたにもかかわらず、ムクは怒ることなく紅茶を飲む。
窓から差し込む光に照らされ、お茶を楽しむムクの姿は、とても優雅で、ハクが見てきた何よりも美しかった。
「……」
「何?」
ハクの視線に気づいたムクは、ティーカップをテーブルに置き首を捻る。
我に返ったハクは、気まずそうに、それでいて正直に告げる。
「お前が、あんまりにも綺麗でな」
「綺麗?」
ハクの言葉に、ムクは僅かに眼を大きく開く。
ムクの変化に気付くことなく、ハクは続ける。
「お前、美人だな。ムクみたいなのを、『美しい』って言うんだよ」
「『美しい』…?」
ハクの言葉を飲み込むように繰り返すムク
するとムクは、何か思い立ったかのように、突然立ち上がった。
「へぁ!?」
ムクの行動に驚いたハクは、堪らず素っ頓狂な声を上げた。
テーブルから離れたムクは、家中の物を引っ張り出し、ハクへ見せていく。
「これは?」
「え?」
「美しい?」
言葉の真意を確かめる様に、今度はムクがハクへ質問攻めをする。
宝石入れのような箱を見せつけるムクに、ハクは頭を悩ませ、答える。
「うーん、『綺麗』かなぁ」
「『綺麗』……」
顎に手を当てながら、ハクは言葉を振り絞る。
極力、的確で正確な単語をムクに教えられるように。
宝石入れを眺めたムクは、今度は兎を模したぬいぐるみを手に取る。
「これは?」
「『可愛い』」
「『可愛い』……?」
兎のぬいぐるみを眺め、ムクは首を捻る。
あれこれと持ち出すムクを眺め、ハクは面白がるように笑う。
「それが、『悩む』ってのと『学ぶ』ってやつだ」
「……? 難しい……」
ムクは宝石箱をスプーンの前に置き直し、兎のぬいぐるみをワンピースの上に置こうとして、再び抱きなおした。
ハクに言われた通りに物を分類していくムクの姿が、ハクには楽しそうに見えた。