第44話 門番
「どっちだ」
「あっち」
ハクはムクを抱え空を飛ぶ。
ムクは、ムスペルヘイムの方角へ指をさしてハクを導く。
道案内はムクに任せ、ハクはただ羽を動かす事だけに意識を向けた。
「魔王様、飛べたんですね」
「ヨルムンガルドにも、練習しとけって言われてたからな」
一方、他3人は地面を俊足で走り抜ける。
ウンディーネはダユにしっかりと抱えられたまま。
酒呑童子は大剣の重さを物ともしない俊敏さを見せる。
3人はハクを見失わぬ様、酒呑童子は本人を、ダユは影を追う。
風となって走り抜けた後には、ただ氷の砂が舞う。
「ムク様がいますから、恐らく心配はいりませんよ」
「ウンディーネ。喋ると舌噛むぞ」
ダユに掴まったまま、ウンディーネはハクを仰ぎ見ながら、所感を述べる。
自分の腕の中で言葉を発する妻に、ダユは自分のなりの優しさを見せた。
「……はい」
ダユの優しさに、ウンディーネは頬を染める。
ウンディーネの体は、ほとんど揺れていなかった。
細心の注意を払いながら走ることで、ダユはウンディーネに一切の揺れを伝えていない。
それどころか、向かってくる氷の破片すら払いながら走っていた。
筋力、平衡感覚、その、異常な眼。
ダユの身体の全てを使ってなされるそれを、しっかりと理解しているウンディーネは、ダユに安心して
体を預ける。
「酒呑童子」
「なんです?」
「お前、主を信頼しているか?」
隣を走る酒呑童子を一瞥し、ダユは己の疑問を曝け出す。
その言葉に酒呑童子は、ピクリ、と肩を震わせる。
ウンディーネもまた反応し、ダユを見上げた。
「さぁ、どうでしょう?」
酒呑童子は、解を明言する代わりに、ニヤリ、と口角を上げた。
妖しく笑う酒呑童子は、当ててみろ、と言わんばかりにダユを挑発する。
答えを言わぬまま、酒呑童子は速度を上げた。
2人を置き去りにはしないにせよ、立場を明確にしない酒呑童子にダユは人知れず警戒を強めた。
「ダユ?」
「……」
ウンディーネの体が僅かに揺れる。
心配そうに、ウンディーネはダユの顔を覗き込み、真意を問うた。
だが、ダユは言葉を発することは無く、また見返しもしない。
気まずそうに、ウンディーネはダユから視線を外す。
救いを求める様に、ウンディーネは上空を飛ぶムクを見上げた。
「ムスペルヘイムに入る前に、門番に会う」
ハクにしがみつくムクは、的確な指示を出しながら声を放った。
ムクから出た単語に、ハクは腕の中の妻に視線を落とした。
「門番? エーデレスト王国のように壁にでも囲まれてるのか?」
「ううん。何もない平地。でも、門番がいるの」
風を切る音に遮られながら、2人は互いの声を探る。
『門番』と聞いて、ハクは最初にエーデレスト王国を思い浮かべた。
ハクがそれを直接見たのは一度きり。
ムクを救出するために村に赴いた時に一度きり。
国全体を囲うよにそびえ立つ大きな壁。
誰が見ても異質なそれは、上空からは見当たらない。
ハクの疑問を否定する様にムクは首を横に振る。
「壁は無い。門もない。でも、門番は、国境に立ってる」
永久凍土が絶え、干からびた地面が辺りに広がり始める。
ムクは真っ直ぐ、1つの方角に眼を向けた。
その方角は、空が焼けたように赤かった。
「門番の許可が下りれば、ムスペルヘイムでも、ある程度動ける様になる」
ムスペルヘイムは、灼熱の地。
本来、ムスペルヘイム内で生まれたものしかその地に根を張ることのできない炎の国。
初めてムスペルヘイムを訪れるハクと、特にウンディーネは門番によってもたらされる許可証が、何よりの必需品であった。
「そろそろ、つくよ」
ムクは地上を走る3人に合図を送り、1か所へ集中させる。
ある地点を指し、ハクを誘導しつつ、ムクは着地に備える。
3人を導き、ハクに示した場所。
そこには、何もないはずの平地に、1つ、炎が上っているのが見えた。
それがなんであるのか、ハクには分からない。
だが、全員、迷いなくそこへたどり着いた。
次第に高度を落とし、ゆっくりと着地するハク。
ムクを地上へおろし、自身の羽を仕舞う。
「大丈夫か?」
「うん」
乱れた髪を整えながら、ハクはムクに問う。
スカートの裾を引っ張りながら、ハクは頷いて見せた。
「主!」
「ムク様!」
遅れて到着したダユとウンディーネは、離れた場所から2人の名を呼ぶ。
酒呑童子は速度を落としながら、大剣に手をかけた。
「無事か」
「はい、大事ありません」
ハクのそばにたどり着いたダユは、ウンディーネを降ろし言葉を返す。
ウンディーネはすぐさまムクに駆け寄り、子どもの面倒を見る様に、頭髪の乱れを直してやる。
4人の様子を窺いつつ、大剣に手をかけた酒呑童子は、真っ直ぐその先を見つめた。
「お久しぶりでございますねぇ」
楽しそうに、嬉しそうに。
酒呑童子は、何かに、挨拶をした。
その言葉に、ハクは自分達の先にいる何かに、視線を投げた。
「あれが……」
ムクは、ムスペルヘイムに壁は存在しないと言った。
だが、『物質によりつくられた』壁ではないだけで、確かに外壁は存在した。
熱気。
干からびた大地に代わりは無い。
だが、ある一定の場所を基準に、空気が歪んでいた。
ムスペルヘイムの熱により、世界が歪んだように瞳に映る。
そこにあるのは、確かな熱気の外壁。
空気と、熱気。
その狭間に、1人の男が座っていた。
火を吹き、燃える大剣を抱え、男が静かに座っていた。
遠くから眺めても、はっきりと認識できるほどの頑丈な巨躯で。
「岩、か」
巨人は、傍から見て異常なほど黒い肌をしていた。
漆黒のその肌は溶岩が冷え固まってできた集合体を連想させる。
岩石の巨人は、剣から漏れる炎を体に浴びても、一部も溶けることの無い程に強固なものであった。
「あれが、スルト。ムスペルヘイムの、唯一の門番」
ムクはハクの隣に立ち、巨人についての説明を述べる。
スルト。
世界にニヴルヘイムとムスペルヘイムしかなかった時代から門番をしている巨人。
炎の剣を持つとされ、名に『黒い者』という意味を持つ。
5人は警戒する様に巨人を見つめる。
すると、巨人が音を立てて首を動かし、5人を見つめた。
「我が名はスルト。問おう、汝の炎はどこで燃ゆ」
顔を上げたスルトは、1言目に5人へ問う。
予想外の言葉に、酒呑童子は一度大剣から手を離し、ムクは眼を見開く。
しかし、ハクは迷うことなくムクの肩を抱いた。
その行動に、スルトは眼を細める。
「……その心は」
「俺の存在意義であり、意味であり、価値であり、命そのもの」
スルトは重ねて問う。
ハクは迷いなくそれに答える。
放たれた解に、スルトは轟音と共に立ち上がった。
「炎とは、命そのもの。生き物全てが燃やす炎なり。それさえ理解せずに我に挑む価値は無し」
地面に刺した剣を引き抜き、スルトは5人へ向けて構えた。
瞬間、ダユと酒呑童子が前へ飛び出し、自らの獲物に手をかけた。
炎を吹く大剣を振り回し、スルトは5人を睨み、吠えた。
「良かろう。ならば、この地に踏み込む資格がそなたらに在るや否や。我手ずから、見定めてくれる!」




