第43話 昆虫種
「ムスペルヘイム行きにあたり、私は同行しかねますので、今回は酒呑童子が案内役を務めさせていただきます」
ヨルムンガルドは、酒呑童子を指しながらハクへと説明を聞かせていく。
大剣を携える酒呑童子は、ムクとウンディーネを交互に眺める。
まるで、ハクには興味が無いかのように。
「ヨルムンガルドでは、灼熱の国の中に長時間活動すると参ってしまいます。海獣種、ですからね」
酒呑童子は、ハクを一瞥し、微笑む。
嘲笑うかのようなその笑みに、ハクは僅かに眉を動かした。
「他の同行者は?」
ハクは辺りを見回し、同行者を募る。
ムクはハクの手を握り、自分の意思を伝えた。
無言で意思疎通し合う2人を後ろから眺め、ダユは1歩前に踏み出した。
「俺はもちろん、護衛役として」
「私も、自分の役目を果たさせていただきます」
同行の意思を表明し、ダユは一礼する。
ウンディーネもまた胸に手を当て、名乗りを上げる。
ムクはウンディーネへと手を伸ばし、ウンディーネはその小さな手を握る。
ダユはハクの横に立ち、酒呑童子を一目見る。
穏やかに笑うその鬼に、ダユは胸騒ぎとも取れる違和感を覚えた。
「あちきも混ぜてもらえますか? 女の子同士、仲良くしましょうよ」
「あ、えぇ……」
手を繋ぐムクとウンディーネに近づき、酒呑童子は2人の肩に手を添える。
その行動に、ウンディーネは少し顔を引き攣らせ、また普段通りに笑う。
酒呑童子とダユは、所謂幼馴染の関係にある。
そのことを気にかけているウンディーネにとって、酒呑童子は関わり難い存在であった。
「僕とレヴァナントは仕事があるから残るよー」
「そもそも、俺らはただ呼び出されただけだしな」
一部気まずい空気が流れる中、フェンリルが存在をアピールする様に大きく手を振る。
レヴァナントは、自分達の背後で掻き集めた魂を運ぶスケルトンの群れを眺めながら、大声で笑った。
「フェンリル、国力増強の件はどうなっている?」
釣られてスケルトンを眺めていたフェンリルに、ハクは言葉を投げかけた。
すぐさま反応したフェンリルは、返答に困る様に、顎に手を当て、唸り始めた。
「氷の上に、というか氷そのものを土に変えることは簡単なんだけど、その後がねぇ……。昆虫種がいれば、話は違うんだけど」
「昆虫種?」
首を捻るフェンリルは、絞る様に声を漏らす。
その中から、ハクは1つの言葉を拾った。
ハクの疑問を掬い上げる様に、横からヨルムンガルドが解説する。
「本来、我々の種族は8ではなく10。事情があり、あの場に集うことのできなかった種族が2つあります。その内の片方が昆虫種。最後は精霊種となります」
昆虫種。
その名の通り、昆虫の姿をした魔族。
10の種族の中、最多兵力を誇る。
多種なような容姿、能力を持ち合わせる種族で、全体の数は計り知れない。
その中には、食物を育てることに特化した魔物もいる。
フェンリルは、その魔物に手を借りることを提案しようとした。
「どんな事情だ」
「簡単な、単純なことですよ。当ててみてください?」
欠点が見当たらない種族に、ハクは首を捻る。
ヨルムンガルドへ尋ねようとしたハクを止め、酒呑童子は自己解決を促す。
ムクを後ろから抱きしめるように立つ酒呑童子を一瞥し、ハクは周囲を見渡す。
一面氷の国。
ハクは、この国にきてから、昆虫種を目撃したことが無かった。
人間界に滞在していた期間中では、2、3度程見かけたことはあった。
軍服を着ていても肌寒さを感じる気温の中で、ハクは顔を顰めた。
「……まさか、だぞ。あまりにもバカげている」
「そのまさかです。魔王様」
狼狽えるハクを、ヨルムンガルドが横から肯定する。
ハクの様子を眺めていたフェンリルが、満面の笑みで、答えを口にした。
「寒すぎて、この国にいられないから」
フェンリルの回答に、ハクは盛大に顔を引き攣らせた。
咄嗟に、ハクはヨルムンガルドを見、頭、腹、爪の先、と全身を順に眺めていく。
「なら、何故ヨルムンガルドは冬眠していない?」
「……ウミヘビ、なので」
「昆虫種だけが特殊なのです。彼らは氷の国に立ち入る権利を持ちません。ただ1人、当主のみがニヴルヘイムに立ち入ることができるのです」
ハクの口から出た言葉に、ヨルムンガルドは苦笑しメガネの位置を正す。
魔王の誤解を解く様に、酒呑童子が付け加えた。
依然として酒呑童子は微笑みを崩さない。
ハクに添えられた手が、まるで体を這う蛇のように、異質に見えるほど。
咳払いをしたハクは、再びヨルムンガルドに問う。
「その当主は?」
「ここには、来ません」
真っ直ぐに、ハクの眼を見返すヨルムンガルドは、そう断言する。
はっきりと言い切るヨルムンガルドに、ハクは僅かに眼を細める。
昆虫種の話題に入ってから、ムクがやけにハクの袖を引っ張る。
手を握っても落ち着く様子は無く、ハクの手をいつも以上に強く握り返す。
「……反魔王派、か」
「はい」
ハクは頭に浮かんだ単語を、そのまま口にする。
すると、ヨルムンガルドが間髪入れず、肯定する様に頷いた。
反魔王派。
魔王の下に就くを良しとせず、反旗を翻した者達。
「反魔王派の中でも、王道を行く方です。自由に暴れまわりたいが為に魔王様の下を離れた訳ではなく、ただ魔王様を認めることができなかったために寝返った方です。己が主と認めた暁には、その全力を魔王様の為だけに振るい続けることでしょう」
ヨルムンガルドが、昆虫種当主を庇うように、彼のものについて言葉を重ねる。
反魔王派は大きく分けて2つに分けることができる。
大多数、魔王を『主』と認めることができず、反旗を翻した魔物。
少数派、己が欲望に忠実に世界を蹂躙したい猛者。
昆虫種当主は、大多数の方に属していた。
必死に、彼を擁護するヨルムンガルドを、ハクは冷たく見下ろす。
「この件は、ムスペルヘイムから帰り次第、検討する」
「かしこまりました」
ハクはマントを翻し、ヨルムンガルドへ背を向けた。
ヨルムンガルドは主に対し、深く一礼する。
表情を無くしたハクに、ムクは心配そうに後を追いかける。
「嫉妬、かしらね」
「ハク様が?」
ハクの背を見つめ、酒呑童子が意地悪そうに口角を上げた。
酒呑童子の口から漏れた単語に、思わずウンディーネが声を上げた。
その反応に、クスリ、と笑った酒呑童子は、地面に突き刺した大剣を引き抜く。
「独占欲が強い、ってとこ。多分、シャルルムック様に対しても、相当なんでしょう。自分に真摯に応える忠実な部下が、誰かのために必死になるなんて、妬けるでしょ?」
「自分の……」
酒呑童子は、大剣を担ぎ直しながら、ウンディーネを見る。
その言葉に、ウンディーネは自然とルサールカへ視線を投げた。
未だヴォジャノーイにくっついて離れようとしないルサールカ。
だが、ウンディーネはいくらルサールカを見ようと、微笑ましい以外の感想は出てこなかった。
次に、ウンディーネはダユを見る。
ダユを見、酒呑童子を見る。
酒呑童子はすでにウンディーネの隣から移動し、ダユに話しかけていた。
親しげではないが、会話が止まることもない。
2人を眺めていると、ウンディーネに、僅かな痛みが走った。
ウンディーネは胸に手を添え、ダユを見つめる。
「嫉妬……。ハク様、も……?」
自分の胸を痛めつけるこの感情に、行き場は無く。
ウンディーネは、ハクに答えを見出そうとする。
しかし、振り返ることの無い、表情に嫉妬を出さないハクからは、何のヒントも得られない。
痛みに耐えかねたウンディーネは、そっと、ダユの袖を引っ張った。
すぐに振り返り、首を捻るダユに、胸の痛みは一層強まる。
「ウンディーネ?」
「……」
ダユが名を呼ぶだけで、ウンディーネの胸には変化がもたらされる。
(愛されていることなんて、分かっているのに……。あれだけ、してくれたのだから。ダユが、どこかへ行ってしまう事なんて、あるわけないのに……)
泉での愛の囁きを思い返しながら。
ウンディーネは、ダユに寄り掛かり、俯く。
妻の異変に気が付いたダユは、だが無理に踏み込もうとはせず、ただ優しく頭を撫でる。
その行動に、ウンディーネは頬を染め、体を預けた。
「ウンディーネ、ダユ」
「は、はぃ!?」
唐突に、ハクが振り向き、2人の名を呼んだ。
油断していたウンディーネは、身体を跳ねさせ、上ずった返事をする。
ウンディーネは恥ずかしさでダユの後ろに隠れるように立つ。
ハクは、僅かに首を捻った後、何事も無かったかの様に話を続ける。
「それと、酒呑童子。これで、全員だな」
「そうですよ」
酒呑童子は返事をする代わりに、ハクの隣に立つ。
遅れて、ダユもまたハクの元へとへと近づいていく。
しっかりと、ウンディーネの手を引きながら。
全員の準備が整ったことを確認してから、ハクは蝙蝠の羽を大きく広げた。
「留守は任せる」
「……ご武運を」
魔王の出立を悟った当主達は、表情を引き締め、1列に並ぶ。
深く、腰から体を折り、一礼する当主を眺め、ハクはムクに向き直る。
「来い」
「うん」
ハクはムクに手を差し出し、ムクは素直にその手を取った。
優しく、ハクはムクの体を抱き上げる。
ムクの腕を自分の首に回し、固定させた後、ハクは空を見上げた。
「行くぞ」
ハクは、その両足に力を込め、目いっぱい地面を蹴った。
同時に羽を動かし、風を掴む。
ハクとムクは、大きく空へ飛び立った。




