第42話 ヴォジャノーイ
「ヴォ、ジャ、ノーイ!!!!」
「うわぁぁあああぁぁぁぁあああああ」
ルサールカが、夫の名を叫びながら、1人の男に飛びついた。
それと同時に、誰かの断末魔が響く。
逃げ遅れたその男は、助けを求める様に手を伸ばし、力尽きた。
「ハハハ! やっぱりだ!」
「あんまり笑わないでやってください」
フェンリルは腹を抱え、男を指さし大声で笑い転げる。
そんな兄の姿に、ヨルムンガルドは溜め息を吐いて止めに入る。
ハク達は、ウンディーネを救い出したことで人間界での用事を果たし、――ついでにルサールカを拾い――、ニヴルヘイムへと帰ってきていた。
「どこに行ってたの! もう逃がさないからね! ヴォジャノーイ」
「勘弁してくれ……」
ルサールカは、語尾にハートマークが覗くような、甘い話し方をする。
絞り出すように、下敷きになった男が声を漏らす。
ヨルムンガルドの命を受け、人型に変化し、ハク達一行を迎えに表に出た男。
それがヴォジャノーイ。
本来は帰るの姿をしている精霊だが、変化を得意とする。
ダユの幻術とは異なり、体そのものを変えてしまう。
ヨルムンガルドは、ルサールカが一番喜ぶ姿をヴォジャノーイに指摘した。
「ルサールカ」
「何よ、もう。折角の再会なのに」
「そろそろ、離して、もらえませんか……」
止め時だと判断したヨルムンガルドは、ルサールカの名を呼ぶ。
しかし、ルサールカはヴォジャノーイを離そうとせず。
ヴォジャノーイは、半ば諦めたようにルサールカから逃れようとする。
「コイツ、何したんだ」
目の前で繰り広げられる光景に、ハクは眼を細める。
呆れたように、脱力したように尋ねるハクに、答えるのはレヴァナント。
「簡単に言うと、女たらしですよ。人間だろうと精霊だろうと関係なく誘い込む性格でして」
「極刑でいいんじゃないか?」
簡潔に、レヴァナントはヴォジャノーイの説明をする。
それを聞き、ハクはバッサリと吐き捨てる。
ヴォジャノーイとは、水の中に人間を引きずり込み、それを使役する存在。
また、嵐の夜は人を手助けし、豊漁をもたらす。
月相に合わせて老い若返り、満月の夜に力を高める。
そう言い伝えられるヴォジャノーイの正体は、ただの女たらし。
人を引きずり込むのは、誑かし、一夜限りの関係を築いている為。
最悪な正体に、ハクはヴォジャノーイを見下ろす。
「あれだ。あまりに女遊びが激しいから、ルサールカに怒られるのを恐れて、ムスペルヘイムに逃げ込んだってことですよ」
「なら、ルサールカは、気付いて……?」
「ない、よ?」
ふと、頭に浮かんだ疑問を、ハクは口にする。
横から、疑問に答える様にムクが口を開いた。
ムクの言葉に、ハクは盛大に顔を顰める。
ルサールカは、ヴォジャノーイの浮気に気付いておらず、それによりヴォジャノーイをあれだけ溺愛しているのであった。
ヴォジャノーイは、ルサールカに対する罪悪感が募るばかり。
それでも浮気を止めないのは、もはや性分としか言いようがなかった。
「……あれくらい、愛情表現してくれていいんだぜ?」
「そんなこと、しませんよ。……皆様の、前では」
後ろから、ハク達3人とルサールカ達4人を眺めながら、ポツリ、とダユは願望を漏らした。
照れたように、ウンディーネはダユの願望を否定する。
だが、羞恥を押し殺しながら、必死にダユに答えようと、最後に一言付け加えた。
それだけでも満足したように、ダユは小さく笑う。
泉から解放したウンディーネは、サラマンダ―との交渉の為、また住居をニヴルヘイムに移すために連れてきていた。
ダユはしっかりとウンディーネの手を握り、離そうとしない。
自分の手を力強く握るダユの大きな掌に、ウンディーネの鼓動は高鳴り、体温は上がる。
ムクの方を眺めながら、それでもウンディーネは、気が気ではなかった。
「1度、城へ移動しましょう」
「これは?」
「縛ってでも連れていけ」
「まぁ! 運命の赤い糸? 素敵ね、ヴォジャノーイ!」
「いやぁああぁぁああああ」
ヨルムンガルドは、その場にいる全員へと声をかけた。
フェンリルは抱き合う2人を指さし、ヨルムンガルドは簡単に切り捨てる。
その言葉に、ヴォジャノーイは2度目の断末魔をムスペルヘイムに響かせた。
ヴォジャノーイは釣り上げられた魚の様に、身体を跳ねさせる。
その行為を抵抗と受け取った当主達は、何処からともなく縄を取り出し、ヴォジャノーイの体を縛り上げていく。
「え、何処触って……!? あ、やめ、あー!!」
ルサールカを引きはがし、逃げることのできぬ様、また運びやすいように適当に縛る。
生気を失った顔は、もはや諦めしかなかった。
「勘弁して……」
「暴れなきゃいいんだよ」
言葉を漏らすヴォジャノーイに、レヴァナントは唾を吐く。
涙を流して哀しみを表現するヴォジャノーイに顔を近づけ、フェンリルは問うた。
「ぶっちゃけさぁ、ルサールカのことどう思ってるの?」
「へ?」
可愛い顔をして、フェンリルは一番肝心なところに躊躇なく踏み込んでいく。
ルサールカの前であろうと関係なく。
フェンリルを誰も止めようとはせず、ヴォジャノーイは変な声を上げた。
「女遊び激しいし、ルサールカからは逃げるし。いい加減、はっきり言ったら? 『お前には興味ないから』ってさ。だいたい、良いとこないじゃん。泉の中に引きこもるだけの精霊でしょ? じゃあいいじゃんか。ね?」
笑顔で、一息でフェンリルは言い切る。
フェンリルの言葉に、ヴォジャノーイは呆気にとられ、そして噛み付く様に自分の心中を曝け出した。
「何言ってんだよ! ルサールカはすっごい綺麗なの! 髪は綺麗でさらっさらだし、いい匂いするし、愛嬌あるし、家事上手だし! いいお嫁さんなの! 一番いいの! 愛してるから!!」
最後、感情をハッキリと言い切った後、ヴォジャノーイは1つの視線に固まった。
しまった、というように、ヴォジャノーイはゆっくりルサールカを見た。
眼を瞑り、抱き付かれる反動に警戒する。
だが、何時まで経ってもルサールカはヴォジャノーイに触れてこなかった。
「……?」
恐る恐る眼を開いたヴォジャノーイは、ビクリ、と肩を震わせた。
ルサールカは、静かに、泣いていた。
眼を開き、ヴォジャノーイを見つめたまま。
「お、おい?」
不安になったヴォジャノーイは、ルサールカに声をかける。
すると、途端に表情を崩し、ルサールカは声を上げて泣き出した。
「泣かしたー」
「ちょっと黙っててください」
フェンリルが思った感想をそのまま口に出し、ヨルムンガルドが退場させる。
空気を読んだレヴァナントがヴォジャノーイの縄を解く。
ルサールカに近づき、躊躇うように手を伸ばしたヴォジャノーイは、耳に届いた声に動きを止めた。
「よかった、よかった……。ちゃんと、愛して、もらえてた……」
両手で顔を覆ったルサールカから漏れてきたその言葉。
ヴォジャノーイは、眼を見開き、驚愕する。
「やっぱり、知ってたんじゃないか?」
「かも、しれない」
ハクとムクは、その様子を遠目で見守る。
ヴォジャノーイに過剰に反応することで隠していたルサールカの不安と哀しみ。
夫の口から出た『愛してる』が引き金となり、ルサールカの涙が溢れ出した。
今まで逃げ回っていたことを恥じたヴォジャノーイは、そっとルサールカを抱きしめる。
「ごめん」
「本当? 本当なの?」
「うん。本当」
綺麗な髪を撫で、ルサールカを落ち着かせていく。
次第に泣き止んだルサールカは、微笑みを浮かべ、ヴォジャノーイの胸に頬を寄せた。
事の顛末に、当主陣は溜め息を吐き、ハクはムクを見下ろす。
「ま、こういう夫婦なんですよ」
「迷惑もいいとこだな」
肩を竦めるレヴァナントに、ハクは眼を細める。
ハクは、ムクを見下ろし、ダユとウンディーネへ視線を送り、ルサールカとヴォジャノーイに視線を戻す。
「魔族は、面倒な恋愛しかできないのか?」
「特殊な事例しかない空間で、判断しないでください。……違いますから。多分」
ハクは、魔族の将来を案じる様に、首を捻る。
その言葉に、ヨルムンガルドは顔を背けながら反論した。
ヨルムンガルドも断言できない事案に、ハクは溜め息を吐く。
「城には戻らない。すぐに出発する」
「ですが、休息も必要では?」
「俺は必要ない。休みたい者は置いていく。それに、あれをどうやって城に連れて行くんだ」
ハクはルサールカ達に視線を送り、ヨルムンガルドを納得させる。
ルサールカとの仲が解決したとはいえ、ヴォジャノーイは逃げる気がなくなったわけではなかった。
1度逃がしたものを捕らえるのは難しい。
そう判断したハクに賛同する様に、当主達は城へ戻ることを断念した。
「では、今回の護衛ですが……」
「なんだか騒がしいと思って表に出たら、なんだか丁度いいタイミングだったようですね」
ヨルムンガルドがムスペルヘイムへ行くにあたって、案内兼護衛役の当主の名を呼ぼうとした時。
1人の女性の声が響いた。
何か大きなものを引きずっているようで、氷が削れる音が不快に鳴る。
声のした方へ顔を向け、その正体を見破る。
「酒呑童子」
「お久しぶりですわね、魔王様」
引きずっていた大剣を持ち直し、地面に突き刺す。
酒呑童子は、肩にかかった髪を払うように、首に触れる仕草をする。
大剣に寄り掛かる様にして立つ酒呑童子は、妖艶に嗤って見せた。
『サラマンダ―』と書くべきところを『イフリート』と記述していたことを、訂正してお詫びします。
読者の皆様の五回と混乱を招いてしまい、大変申し訳ございませんでした。




