第35話 魂の管理人
「ムク」
「いるよ」
ハクは、真っ暗な水の中で、ムクの名を呼ぶ。
結界により、水中でも呼吸をすることが可能であり、また、声を発することもできた。
自分の名を呼ぶ声に反応し、ムクはハクへ向けて手を伸ばした。
手さぐりに、互いに求め合い、ハクは触れたムクの手を引き寄せた。
「ムクか?」
「うん」
自分の腕の中にいる存在を確認する様に、ハクはもう一度ムクの名を呼ぶ。
ムクは素直に答え、ハクの手を握った。
3人は、ゆっくりと泉の底めがけて落ちていく。
かなりの深さがある様で、一向に地面の気配が伝わってこなかった。
「ダユ」
「ここに」
主に答える声は、ハクの右側から聞こえた。
ダユもまたハクから遠のいているわけではなく、3人は泉に飛び込んだときと同じ位置にいた。
ムクは、ハクに抱えられたまま両手を重ね、魔法を発動する。
「ウィル・オー・ウィプスの名の下に。光無き暗黒に、安らかな光あれ」
詠唱を唱え、ムクは掌に息を吹き込んだ。
すると、ムクの手から、淡く、力強い火の玉が発生する。
ふわり、とムクから離れたその火の玉は、泉の中を照らしていく。
「わざわざ詠唱したのか」
「詠唱有った方が、持続時間が、長いの」
ようやく視認できたムクの顔を覗き込みながら、ハクは尋ねた。
ムクは、水を漂う火の玉を見つめながら、簡潔に答える。
それ以上、言葉を重ねることは無く、ムクの顔を眺めること数分。
水の流れが僅かに変わり、足元に砂の感覚があった。
「ここが泉の底です」
先に底へ足を付けたダユが、ハクとムクを導く。
泉の底は頑丈な岩で造られており、冷たく、静寂に包まれていた。
地上と比べれば、穏やかな水の流れに、ハクは眼を細める。
「『魂』は、どこだ」
辺りを見回すが、広い泉を見通せるほどの光は無く。
ただ、何もない空間だけが視認できた。
「広いな」
「歩き回るのが、一番手っ取り早いかと」
ダユは、自分達の背後にそびえ立つ崖に触れながら、ハクへ提案する。
常識的に考えれば、底まで数分以上かかる泉など存在するはずがなく。
何者かによって作られたその空間で、無闇に魔法を使うのは、自殺行為に他ならなかった。
「壁伝いに、か」
「いこ」
ハクもまた崖を見上げ眼を細めた時、ムクがハクの袖を引っ張った。
ムクの顔は真剣そのもので、その瞳からは焦燥が覗いていた。
自分を急かすムクを見下ろし、ハクはその小さな手をとった。
「くれぐれも、はぐれるなよ」
「うん」
ウンディーネの『魂』に残された時間はもう長くは無い。
事態は一刻を争っていた。
ムクの焦燥を悟ったハクは、ダユを引き連れ歩き出す。
水に漂い、自分達についてくる火の玉を頼りにしながら、3人は辺りを観察し始めた。
地形に沿って、歩きやすさが変わる泉の底は、一向に表情を変えない。
暗い泉の底は、歩いた距離さえも分からず、今いる場所の見分けがつかない。
徐々に、3人の体力は削られ、苛立ちが募り始める。
時間の経過は感じることができず、一周したであろうと思い始めた、その時。
ダユが消えた。
「主!」
「なんだ」
壁に寄り掛かるようにして歩いていたダユが、突然バランスを崩し、その場に倒れ込む。
すぐさま、ハクを呼び止め、振り向かせた。
ハクとムクは、ダユに呼ばれ、その場所に近づいた。
ムクが移動すれば火の玉もまた位置を変え、辺りを照らし出す。
ダユが立つその場所を、再度照らし出し、異変を浮かび上がらせた。
「洞窟……?」
ムクが、その異変を言葉にし、口から発する。
そこにあったのは、意図的に作られた洞窟。
大人2人分の入り口は、更に奥までつながっており、光の無いその穴は、周辺に擬態して見落としやすくなっていた。
「どうします?」
「入るしかないだろ」
ダユが確認する様にハクへ問いかける。
ハクは、迷うことなくそれに応え、ムクの手をひいたまま洞窟へと足を踏み入れた。
決断の速い主に従い、ダユもまたそれに続く。
「ムク、火の玉を大きくはできないか。洞窟全体を照らせるように」
「わかった」
今、火の玉は3人の周辺しか照らしておらず、洞窟探索には不都合であった。
そこで、ハクはムクに指示を出し、光源を巨大化させる。
「ウィル・オー・ウィプスの名の下に。光無き暗黒に、祝福の光あれ」
詠唱を唱え、魔法を発動させたムクは、火の玉へ息を吹きかける。
すると、小ぶりであった火の玉は、風船のように膨らみ、高く昇って行った。
洞窟内の天井にぶつかると、巨大化した火の玉は、光を放つ。
「……っ」
強烈な光と共に、洞窟内が照らし出される。
徐々に光に眼を慣らし、ハクは眼を開けた。
「これは、」
「壺……?」
そこにあったのは、壁に沿って並べられた大量の壺。
大小様々な壺は、全てひっくり返され、口を塞がれていた。
目の前に広がる異様な光景に、ハクは顔を顰める。
「なんだこれは」
多種多様な壺は、1つだけ、ガラスでできた物があり、中には淡い光を放つ物体が淹れられていた。
ハクはその壺に近寄り、首を捻る。
ムクの出した火の玉とは異なり、か細く光るその物体は、何故か不快感を誘発させた。
「……全部、違う」
ハクが壺の意味を導き出せないでいると、ポツリ、とムクが言葉を漏らした。
振り返ると、ムクが悲しそうに顔を歪め、壺を睨んでいた。
「ムク」
「こっち」
堪らずハクはムクの名を呼ぶ。
しかし、ムクはハクの声には反応せず、ただ自分の勘に従って足を踏み出した。
洞窟の奥へと向けられたムクの足は次第に加速し、ハクを置き去りにする。
ムクの変化に呆気にとられるハクにダユが近づき、耳打ちをした。
「主、この壺は、水死、もしくは誘い込まれた人間の魂を封印するためのものです」
「魂を、封印?」
「あのガラスの壺、見つめると不快感に苛まれたでしょう。それは、あの魂の感情が流れ込んできたからです」
ダユは、ガラスの壺を指しながらハクに説明する。
自分の感じた不快感に、ハクは僅かに眉を顰め、ダユの言葉を飲み込んだ。
「なら、ウンディーネのは」
「ムク様の、向かった先でしょう」
態度は主への忠誠を誓ったまま、ダユの声色は荒れる。
ダユは、この壺の持ち主に向けた嫌悪を隠そうともせず、ハクへと言葉を返していく。
ムクの走った方向へ眼を向け、ハクはダユへ命じた。
「……いくぞ」
ハクの声に応じ、ダユもまた走り出す。
2人がムクに追いついた時、ムクは1つの壺の前で立ち竦んでいた。
3人の前には、他とは異なり、正しく置かれた壺が1つ。
その口から、新橋色の光がゆっくりと天に昇っていた。
「これ」
「ウンディーネの……!」
シンプルな形のその壺から漏れ出す光に、3人は直感で理解した。
ウンディーネの『魂』は、壺から漏れ出し、消えかかっている。
新橋色の光こそ、ウンディーネの『魂』の一部であった。
咄嗟に、ダユは壺へと駆け寄り、手を伸ばした。
「これを、持ち帰れば!」
壺は軽く、中身は3分の1にまで減っていた。
ダユは、壺を持ち上げ、洞窟の外へ持ち出そうとする。
壺を抱え、走り出そうとした、その時。
ダユの肩を、何かが掴んだ。
「私の友達を持ち去ろうとするのはだぁれ……?」
ダユの耳元で、気味の悪い声が響く。
途端、3人の背筋が凍り、肩が震えた
反射的に、ハクはムクを庇うように立ち、ダユは主のいる場所まで跳んだ。
ウンディーネの『魂』が入った壺は、ダユの腕を抜け、元の位置に戻っていた。
「何者だ!」
ダユは牙を剥き、正体不明の声の主に向け叫んだ。
それは、ゆっくりと動き、ギラリ、と瞳を光らせる。
長く垂れた髪はウンディーネの瞳と同じ金色。
身に着けた衣服もまたウンディーネと似通っているが、纏うオーラは打って変わって邪悪なものであった。
「誰……? 私は、私よ?」
それは、顔を上げ、3人を見つめた。
それの見た目は美しい少女のようであった。
白く透き通るような肌に、金の瞳。
だが、3人の本能が騒ぐ。
3人は、この相手は危険だ、と直感で感じていた。
「ルサールカ……」
3人の中で、ムクがそれの名を呼ぶ。
ムクに名を呼ばれたことで、それは3人へ微笑んで見せた。
ルサールカ。
若くして死んだ花嫁や水に関わって死んだ女性の集合体。
精霊というよりは幽霊に近く、人を惑わし水の中へと引きずり込む。
引きずり込まれた人間は行方不明となり、この場所に魂を保管されていた。
「その魂をこちらに渡せ。元の持ち主へ返そう」
ハクが、ルサールカに対し、ウンディーネの『魂』を明け渡すことを命じた。
しかしルサールカは、ただ、嗤っていた。
「あら、それはできない話ね。ウンディーネの『魂』は、天に返さなきゃいけないんだもの。そうでなくても、ここにある魂は私の物。絶対に渡せない」
ルサールカは、ウンディーネの『魂』の入った壺を撫で、不敵に嗤って見せる。
ウンディーネに直接触れているようにも見えるルサールカの行動に、ムクとダユは顔を顰めた。
「どうしてもって言うなら……」
ウンディーネの壺から離れ、ルサールカは3人を眺める。
ハク、ムク、ダユの順にゆっくりと吟味したルサールカは、にやり、と口角を上げ、1人を指さした。
「貴方の魂を、頂戴?」
ルサールカは、ムクを指さし、笑った。




