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第34話 抑止力

今回は、普段よりも少々長めです。

お付き合いいただけると幸いです。


「ダユ……?」


 ウンディーネは、自分の前に姿を現したその者に、大きく眼を見開いた。

 ダユは、ゆっくりとウンディーネに歩み寄る。

 震えを抑える様に体を抱き、後ずさりするウンディーネは、それでもしっかりと、目線だけはダユの方へ向いていた。


「ウンディーネ」

「……どうして」

「我の護衛だ」


 ハクは腕を組み、ウンディーネへはっきりと告げた。

 その内容に、ウンディーネは瞳を溢しそうな程大きく開く。

 手で口元を覆い、倒れそうになる身体を支える様に、半歩ずつ泉の中心へと近づいていく。


「……ハク様、ムク様」


 ――信じていたのに


 ウンディーネは、ハクとムクへそう訴える様に、静かに名を呼んだ。

 しかし、ハクとムクは、真っ直ぐとウンディーネを見つめる。

 この場で揺れているのは、ウンディーネただ1人であった。

 ダユは、ゆっくりとウンディーネに近づき、その手を伸ばした。


「ウンディーネ」

「来ないで!!」


 伸ばされたダユの手を払うように、ウンディーネは無意識に魔法を発動した。

 氷柱の様に鋭く纏め上げられた水滴が、ダユに向けて放たれる。

 ダユは、それを避けようともせず、真っ直ぐにウンディーネへ視線を送った。

 氷柱状の水滴は、ダユの頬を裂き、傷口から真っ赤な血液が流れ落ちる。


「もう、これ以上は……」


 無意識に放たれた魔法がダユを傷つけたことにすら、気付くことはなく。

 ウンディーネは、頭を抱える様に顔に手を添え、震える声で語り始めた。


「『ウンディーネ』は、元々魂を持たない存在。多種族と結婚することで、初めて魂を得ることができる存在。でも、でも……!!」


 震える手を押さえ、ウンディーネは涙を浮かべる。


「もう、魂が消えかけている」


 『ウンディーネ』は、本来、水辺に現れては微笑んでいるだけの精霊。

 魂を持たない彼女は、ただ、待つだけの存在だった。

 多種族と夫婦の契りを結ぶことで、彼女は魂を得る。

 自分の夫となる存在を、彼女は呼ぶことができず、ただ待つことしかできない。

 晴れて夫婦の契りを結んだとしても、彼女はまだルールに縛られていた。

 『夫に、水辺で罵倒されると、その場に縛られ魂を返上しなければならない』

 このルールは、彼女にとって一番の足枷であった。

 ダユに罵倒されたウンディーネは、泉に縛られ、徐々に魂を失っていく。

 魂を失うということは、存在の証明を失う事。

 すなわち、記憶も感情も、感触さえも、全て忘れ去るということであった。


「もう……、思い出せないことの方が、多いのです。ムク様との記憶も、貴方と、結ばれた、共に暮らした、幸せな記憶さえも!!」


 ウンディーネは大粒の涙を流し、ダユへと訴えた。

 ウンディーネは、ムクに語り掛けることが多かった。

 しかし、そのどれも、何と比べて変わったのか、確かに明言したことは無かった。

 ムクがウンディーネのそばにいたいと言い出したことはこれまで一度もなく、また、ウンディーネからムクへ寄り添ったのも、これまで一度もありはしなかった。

 いち早く、彼女の変化に気が付いたムクは、ウンディーネを見る瞳を細めた。

 ムクの瞳からは、ウンディーネの体が僅かに透けて見えた。

 哀しみと恐怖に震えるその声は、ダユの心へと直接語り掛ける。

 ウンディーネの悲痛な叫びに、ダユは僅かに顔を歪めた。


「それなのに……、貴方に言われた、あの言葉が……。私を貶した、あの言葉だけは、忘れられずに頭の中でいつまでも……」


 胸の痛みを抑える様に、ウンディーネは胸を押さえた。

 前かがみで、涙を泉へと落とす彼女は、吹けば折れるほどか細く、弱く見えた。


「だから、もう、もう……! 私を、苦しめないで!!」


 ウンディーネの口からは、多くの語句は出ず。

 普段の様に、説明上手な話し方ではなく。

 ただ、感情を吐き出すだけの喋り方。

 ムクは唇を噛み、ヨルムンガルドは眼を逸らす。

 ハクはただ見つめ、ダユは真っ直ぐ己の罪を受け止める。


「わかっています、わかって、います……。貴方が、私を守るために、私をこの場に縛ったことも。でも、それでも……。貴方との記憶くらい、一緒に護らせてくれても、よかったじゃない!! 私は、これを、この暖かさを、失いたくはない……」

「……っ」


 抑えきれない涙を隠すように、ウンディーネは両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちる。

 ウンディーネの叫びに、ダユは僅かに瞳を揺らし、拳を強く握った。

 ウンディーネは、一息、ゆっくりと吸い込んだ後、静かに立ち上がり、微笑んだ。


「……最後に、貴方を思い出した。貴方の声が聴きたかった。貴方を一目見たかった。貴方の瞳に見つめられたかった。貴方の腕に、抱かれたかった……」


 涙の跡が残り、また、1粒流れ落ちる。

 虚勢を張ったその微笑みは、4人の目に『異様』として映った。

 ウンディーネは、止められぬ涙を流したまま、先程とは打って変わって、自らダユへ近づいた。


「……抱きしめて、くれますか?」


 ダユの前に立ったウンディーネは、その腕を彼に向けて伸ばした。

 両手を広げ、微笑むウンディーネに、ダユは掌に爪を食い込ませ、衝動を抑え込む。


「今のお前に触れたところで、無駄に魂を燃やすだけだ」


 指と指の間から血を滴らせ、ダユはウンディーネの申し出を、はっきりと拒絶した。

 最初から分かっていたように、ウンディーネは寂しそうに笑い、潔く腕を下した。


「最後まで、願いを叶えてはくれないのですね」


 ウンディーネが、諦めたように呟いた、その時。


「勘違いはするなよ、ウンディーネ」


 ダユが、ウンディーネの言葉を遮る様に、言葉を放った。

 ハッ、と顔を上げたウンディーネは、自分の夫の、稀に見る真剣な表情に、息を飲んだ。


「最後ではないからだ。言っただろう、約束を守りに来た、と」


 ハクや8人の当主に語り掛ける時とは違った口調で、ダユは言葉を紡ぐ。

 真っ直ぐ、揺れることの無い瞳で、ウンディーネを貫きながら。


「お前を、そこから解放した時、俺はウンディーネを、嫌というほど抱きしめてやる。絶対に」


 ダユの声色に迷いは無く、ただ真摯に、ウンディーネの『魂』に呼びかけていた。

 そしてダユは『笑う』。

 ウンディーネに初めて出会い、初めて向けた時の笑顔と同じ表情を。

 すでにウンディーネにその記憶は無く。

 だが、彼女の『魂』がその笑顔に反応し、ウンディーネの瞳から透明な滴が零れた。


「あ、あぁ……」


 ウンディーネは頬を高揚させ、両手で口元を覆った。

 その瞳から零れ落ちるのは、先程までの冷たい水ではなく、温かく優しい涙であった。

 俯き、喘ぐように口を開いたウンディーネは、言葉を発する前に口を閉ざし、微笑みを浮かべ、顔を上げた。


「ダユ……!」


 その時。


「「「!!?」」」

「あ……」


 水面が大きく揺れた。

 何が起こるかを察したウンディーネの表情は、一瞬で絶望に塗り替えられる。

 それは、抑止力と言うべき力。

 ウンディーネの『魂』が救われることを是としない世界の秩序。

 ウンディーネを泉に縛りつけるその力が、波の形を取り、泉の縁に立つダユとムクへと襲い掛かった。


「ムク!!」


 ハクは、ムクの名を叫び、ダユへと命じる。

 瞬時にダユはムクの体を抱え、ハクのいる場所向けて後ろに跳んだ。

 波は、轟音を立てて地面を抉る。

 ムクとダユのいた場所は波に飲み込まれ、泉の形が変形していた。


「……ッ、ウンディーネ!!」

「ダユッ!!」


 ムクを地面に下ろしたダユは、すぐさまウンディーネへと視線を送る。

 ウンディーネもまた、ダユへと手を伸ばした。

 しかし、抑止力は更に力を増し、ウンディーネを飲み込もうとした。


「ウンディーネ!!!」


 ダユはウンディーネへと手を伸ばし走り寄る。

 だが、ダユが間に合うことは無く、ウンディーネは波の隙間に消えていく。

 全てを受け入れたように、諦めたウンディーネは、最後に、ダユに向けて優しく微笑んだ。

 ダユが顔を歪ませ、絶望が頭を過ぎった時、1つの声がダユに向けた嫌味を奏でた。


「やはり、1人では何も救い出せないような、貧弱な子兎でしたか」


 ハク、ムク、ダユは、声のした方へと振り返る。

 そこには、涼しい顔でメガネの位置を正す、ヨルムンガルドがいた。


「「「……」」」


 3人は、発すべき言葉が見つからず、ただヨルムンガルドを眺めていた。

 その視線に気が付いたヨルムンガルドは、ハクに向けて説明をする。


「心配には及びません。これこそが、今回、私が抜擢された理由なのですから」


 ヨルムンガルドは、言葉足らずな説明をしながら、泉を指さした。

 素直にヨルムンガルドの指示した方へ視線を送ったダユは、眼を見開いた。


「……え?」


 泉には、五体満足で立つウンディーネの姿があった。

 唖然として立つウンディーネに、ダユは言葉を失う。

 2人の様子を見て、ヨルムンガルドは、当然とでも言いたげに鼻で笑った。


「全ての結界を行き来でき、また破ることもできる。なら、自分で結界を張ることも、容易にこなせるとは思いませんか?」


 ヨルムンガルドの持つ能力は、大半が結界に関わるものであった。

 だが、本来ヨルムンガルドの持つ能力は、結界の行き来ただ1つ。

 物を破るのと1から作り上げるのとでは、根本から異なった所業である。

 故に、今ヨルムンガルドが使って見せた能力は、彼自身の長年の努力によるものであった。

 結界を破ってはその造りを真似、自らの計算で作り上げる。

 その繰り返しにより、ヨルムンガルドは新たな能力を身に着けた。

 これこそ、ヨルムンガルドが当主にまで上り詰めるまでに至った証拠の一部であった。


「これくらいであれば、いくらでもこなして見せましょう」


 ヨルムンガルドは、ダユを一瞥し、新たな結界を張っていく。

 ハク、ムク、ダユを覆う結界。

 泉含む周辺の森を囲う結界。

 無詠唱で放たれる魔法の数々には、眼を見張るものがあった。


「抑止力が、余りにも大人気ない対応をするせいで外野が増えてしまいました」


 ハクに背を向けたヨルムンガルドは、ポツリ、と呟く。

 泉の外から、人間の声が響いていた。

 エーデレスト王国所属、王国騎士団。

 魔獣の森を見回っていた騎士団が、先程の抑止力の攻撃で泉の存在に気付いてしまった。

 ウンディーネの結界はすでにヨルムンガルドが破っており、新たに張り直す魔力も残っていない。

 幸い、騎士団はまだ遠く、時間はあった。

 そこで、ヨルムンガルドが代わりに結界を張り直し、邪魔をいれさせぬ様、身体を張る。


「私がウンディーネの精神の安全確保と彼らの相手を引き受けます。ですからどうか魔王様方はどうか、何の心配もせず、彼女を救ってください」

「1人で、か?」

「ご安心ください。私の属性は水。なら、ウンディーネがいるこの(フィールド)に、私の敵はいませんよ」


 ヨルムンガルドは、自分を一瞥するハクに対し、不敵な笑みを見せた。


「どうしても、という場合はこれを使います。ただ1つ、注意事項さえ守っていただけるなら、私は待つだけで済みますから」


 ヨルムンガルドは、自分の手に握られた黒いルークの駒を眺める。

 それを見て、ハクは何も言わず、真っ直ぐ泉へと近づいていく。

 ムクもまたそれに続き、ウンディーネを瞳に映した。


「早く行きなさい、この愚兎が」

「……蛇って、やっぱ面倒だな」

「皮肉しか言えないのかこの子兎は。素直に、……いえ、早く彼女の元へ」

「……必ず」


 ダユとヨルムンガルドは、2言、静かに投げ合い、別れた。

 捻くれた事しか言わぬダユに、ヨルムンガルドは僅かに微笑んだ。


「ウンディーネの『魂』は、どこ?」

「俺の知識が正しければ、だが、ヨルムンガルドが我達に張った結界からも分かる様に、答えは1つだろ」


 ムクは、静かにハクへ問う。

 ハクもまた、泉を見下ろしながら、静かに答えた。

 2人に追いついたダユも、主に倣うように泉へ視線を落とす。


「この中だ」


 それは、抑止力が渦巻く水の塊。

 今の泉は、ただの脅威でしかなく、飛び込むことはもっての外。

 ただ、命を投げ出すだけの行為に等しかった。

 だが、3人は結界を身に纏っている。

 ヨルムンガルドの結界は、抑止力から身を守る意味を持っていた。


「ムクも行くか?」

「うん」


 確認する様に、ハクはムクに向けて問う。

 間髪入れず、ムクはハクに答える。

 ハクは、僅かに微笑み、マントを翻した。


「すべきことは2つ。ウンディーネの『魂』の奪還、及び泉へと繋ぎ止める力からの解放」


 2人と認識を共通すべく、ハクは言葉を発する。

 ダユは、ウンディーネを横目で見、すぐに泉へと視線を戻した。

 ムクはハクの袖を掴み、深呼吸をする。

 泉は波を立てて荒れ狂い、ハク達に牙を向けた。

 ハクは泉を見つめ、辛抱強く機会を待った。

 すると、僅かに波の穏やかな空間が現れた。

 すかさず、ハクは叫ぶ。


「行くぞ!!」


 ハクの声を合図に、3人は地から足を離した。

 暗く、黒く、禍々しく恐ろしい泉の底へ、3人は落ちていく。

 底で待つ、怪物の存在も知らずに。





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