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第19話 ムク


「ムク様、ハク様!!」


 泉へと戻ってきた2人の姿を捉えたウンディーネは、堪らず声を上げた。

 ハクとムクは手を繋ぎ、震える足をゆっくりと動かしていた。


「ご無事ですか!?」

「うん」

「おう」

「あぁ……」


 2人の無事を確認したウンディーネは、顔を両手で覆い泣き崩れる。


「よかった、本当に、よかった……」


 嗚咽を漏らすウンディーネの肩に、ムクはそっと手を乗せた。

 ムクの慌て振りとウンディーネの取り乱し方を見て、ハクは首を傾げた。


「そんなにやばい奴だったのか?」

「そうですよ! ご無事であることが奇跡であるくらいに!」

「ま、まぁ、なんとなく感じてはいたが……」


 勢いよく顔を上げたウンディーネに、ハクは苦笑する。

 禍々しいオーラを放ち、不気味に体毛を揺らしていた赤い眼の動物は、この世界初心者のハクの眼から見ても尋常ではない程に恐ろしかった。


「ハク様が遭遇したのは、ブラックドッグという妖精です。女神ヘカテーに従属する妖精で、死の先触れとも言われています。人が触れれば、たちまち命を落としてしまう。そのようなものに、遭遇してしまうなんて……」


 落ち着きを取り戻したウンディーネは、ハクが遭遇した動物について説明していく。

 嘆く様に告げるウンディーネに、ムクは彼女の頬をつねった。


「な、何を!?」

「ハクは、死なないから」

「それは、まだそうかもしれませんが……」

「死なないから」

「痛い!」


 自分の言葉に賛同しないウンディーネに、ムクは彼女の頬を更に強くつねった。

 仲の良さが窺えるやり取りに、ハクは溜め息を吐く。

 遅れてやってきた恐怖に、ハクは痛い程肩が凝っていることに気づき、溜まらず顔を歪めた。


「いっ……」

「どうしました? 噛まれでもしましたか?」


 肩に手を置き、思わず声を漏らしたハクに、すかさずウンディーネが介抱していく。


「いや、そのブラックドッグ? は襲ってこなかったから大丈夫だ」

「襲ってこなかった……?」

「あぁ。ただ睨んでたというか……」


 肩に異常が無いか見ながら聞いたハクの言葉に、ムクとウンディーネは顔を見合わせる。

 ブラックドッグは、本来狩猟の為に飼われている犬。

 そんな犬が、目の前の獲物に手を出すことなく退散したというのは、はっきり言って異常だった。


「そんなことが、ありえるのでしょうか」


 頬に手を当て、頭を悩ませるウンディーネ。

 ムクは、少し考えた後、ハクの言葉を思い出した。


「……ハク、男って、誰?」

「俺とブラックドッグの間に立ってた人。黒い髪を1つにまとめてて、紅い眼が光ってた、と思う」

「……え?」


 ハクが淡々と答えた内容に、ウンディーネは大きく眼を見開き、絶句する。

 口元に手を当て、ハクは詳細を思い出そうと頭を回転させるが、他に有力な情報は出てこなかった。


「暗くてよく見えなかったけど、多分あれはイケメンだな」

「ハク」

「え? 何?」


 ふざけ混じりで答えるハクを、ムクは冷たく戒める。

 ウンディーネは呆然とし、自分の左手を隠すように手を握る。


「そんな……」

「ウンディーネ?」


 震えているようにも見えるウンディーネの姿に、ハクはその細い肩へ手を伸ばした。

 すると、ウンディーネはビクリ、と肩を震わせ、ハクの手が自分に触れる前に立ち上がる。


「とりあえず、今日のところはお帰りになられるのがよろしいでしょう」

「うん」


 ウンディーネは取り繕うように、普段と同じ微笑みを浮かべる。

 ムクもまた追及することなくウンディーネに同意し、持ってきた食器を籠の中へ仕舞い始めた。


「帰るのか?」

「うん」


 状況を全て理解できてはいないハクも、ムクに続いて片づけをする。

 余計な詮索をしてこないハクに、ウンディーネは安堵する様に肩の力を抜いた。


「では、また明日。お待ちしております」

「うん」

「おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ」


 ウンディーネは、2人へ向けて深くお辞儀をする。

 ハクとムクは、ウンディーネに手を振ってから、家への帰路についた。


「なんか、まずかったか?」

「うん」


 泉が見えなくなると、ハクはムクへ質問を投げかけた。

 ムクはハクを見上げぬまま即答し、空いている手でハクと手を繋いだ。


「そうか」


 ハクは、黙ってムクの手を握り返し、森の中を進む。

 2人の間に沈黙が訪れ、ムクはウンディーネとの会話を思い出す。


 ――後悔は?


 ムクは俯き、ウンディーネの問いの意味を深く考える。

 後悔とは、隠しごとについてか、その結果か。

 ムクの予想では、どのタイミングでハクが気付こうと、悲惨な末路を辿ることは無いはずだった。


「……後悔、は」

「ん? 何か言ったか?」


 ポツリ、と呟いたムクの声を聴き、ハクはムクに聞き返す。


「何も」

「そうか」


 ハクは、深く踏み込もうとしないことが多かった。

 自分が踏み込まれることが嫌いだからしないのか。

 ムクには理由がわからなかったが、それでもハクのこういう部分が心地よかった。

 隠し事をしようと、不快に思うことなく受け入れてくれる。

 ムクにとって、それは残酷でもあるが、ムクにはそれでよかった。


(お互いが踏み込み過ぎなければ、切り捨てるときに困らない)


 ハクの存在は、ムクの中で少しずつ大きくなっていく。

 まだその事に気付いていないムクは、どのタイミングで切り捨てるべきかを考える。

 切り捨てるべきは、ハクではなく、ムクの方であった。


(ハクが気付いた時に、切り捨てられるのが丁度いい)


 自分が切り捨てられるべきタイミングを見極めながら、そうなる様に仕向けていく。

 その企みが、端から失敗に終わっていることも気づかずに。

 ムクは、自分の左の薬指にはめられた指輪に眼をやる。

 ムクが適当な草花で作った小さな指輪。

 いつ枯れてしまうとも分からないその指輪が、ムクには何故か手放すことができなかった。

 ハクに内緒で、ムクは指輪にそっと魔法をかける。

 指輪が永遠に枯れぬ様、小さな魔法を指輪にかける。


(こんなこと、意味もないのに)


 ムクはまた、考え込む。

 今度は、昼間告げられたハクの言葉を思い出して。


 ――今は伝わってなくてもいいよ。ゆっくり、2人で感情を取り戻して、それから理解してくれれば、それでいいよ


 ハクがムクへ指輪を贈った時に、同時に送った言葉。


(ハクは、何を伝えたかったんだろ)


 考え込むうちに着いた蔦のカーテンをくぐって。

 家を瞳に映しながら、ムクは理解できない感情に頭を悩ませる。


「ハク」

「ん?」

「私の事、『好き』?」

「ひぇ!?」


 ムクは、徐にハクを見上げ、手を強く握る。

 ムクの言葉に戸惑い、素っ頓狂な声を上げたハクは、顔を高揚させ視線を泳がせる。

 答えを待つように、足を止め、自分を見上げるムクに、ハクはにやける口元を押さえながら、咳払いを1つし、ムクの眼を見た。


「……好きだよ」

「本当?」

「じゃなかったら、あんなことしないだろ」


 照れたように視線をムクから外したハクは、ムクに気付かれない声で呟く。

 ムクは、ハクの『好き』が何であるのか考える。

 愛玩か、愛情か。

 自分に対して向けられている感情の種類を考える。

 しかし、自分の中で膨らむ疑問は、ムク1人では到底解決できるものではなかった。


「ハク」

「何?」

「明日、魔法の特訓、しよ」

「まじ!?」


 ハクは眼を輝かせ、ムクの顔を覗き込む。

 予想以上の反応に、ムクは僅かに無表情のまま驚きを見せ、顔を逸らす。


(結論を出すのは、もう少し、先でいいか)


 ハクの笑顔は酷く甘く、目がつぶれるほど眩しい。

 ムクは自分の中で結論を出すことを諦め、先延ばしにする。

 浮かれるハクと、1つの疑問を解決させたムクは、キャンバスの待つ我が家の扉に手をかけた。





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