第17話 ムクとウンディーネ
「……! 誰か来る」
ウンディーネは、泉からそっと頭をのぞかせ、森へ眼を凝らした。
泉の妖精が騒ぎだし、森が静かに口を開ける。
ウンディーネは、聞き覚えのある足音に、体を泉の外へ出す。
「あれは、」
「おーい、ウンディーネ!」
「……ウンディーネ」
「ムク様、ハク様!」
手を振りながら歩いてくるハクと、何やら籠を持っているムクの姿を捉え、ウンディーネは笑顔を咲かせた。
ハクとムクは、互いに持っている籠をウンディーネに見せる様に掲げる。
「飯、一緒に食おうぜ」
「まぁ……!」
ハクの提案に、ウンディーネは口元を両手で覆い、髪をふわり、と広げて見せた。
ウンディーネの反応を見て、ハクはムクを見下ろす。
相変わらず無表情のままの少女は、嬉しそうに準備をする友人を眺めていた。
ハクは、ムクの頭を撫でながら、ムクの持っている籠を受け取る。
「重かったろ?」
「ううん」
「そっか」
ムクはフードを脱ぎ、魔法を発動させ、木製のテーブルと椅子2つを作り出す。
ウンディーネは魔法で水製の椅子を作り、テーブルの前に置いた。
「フフフ。ムク様から夕食を誘っていただいたのは初めてですね」
「うん」
椅子に腰かけたウンディーネは、嬉々としてムクに笑いかける。
(俺が言わなくても、ムクが言い出したことだって分かるんだな)
表情の無いムクと表情豊かなウンディーネのやり取りは、どこか奇妙にも思えた。
ハクは、ムクとウンディーネのつながりの強さに感心し、黙って夕食を広げ始めた。
「あら、サケですか?」
「うん」
「俺が獲った」
「まぁ!」
ムクは夕食用に昨日獲ったばかりのサケを全て使い、ステーキやスープなど数品を作り上げた。
簡易なテーブルの上に広げられた料理は、外で食べるには豪華すぎるほどだった。
「食事なんて、何時ぶりでしょう」
「ウンディーネは食事は必要ないのか」
「えぇ。精霊ですから」
目の前の料理に眼を輝かせながら、ウンディーネは答える。
吸血鬼とは異なり、精霊は魔力を糧に動く為、食事はほとんど必要なく、長い場合は1000年食事をしなくても生きていける。
ウンディーネの場合、泉に縛られてから食事をとっていないかった為、実に久方ぶりの食事となる。
「これ、採ってきてくださったのですか?」
「うん」
「私の為に?」
「……」
「フフフ」
ウンディーネは、採りたての葡萄をつまみ、心の底から嬉しそうに笑う。
ムクはウンディーネの問いに答えず、眼を逸らした。
「何?」
「葡萄は、私の大好物なんです」
「あぁ……」
ハクもまた口角を上げ、向かいに座るムクを見る。
2人に温かい眼で見つめられ、ムクは居心地の悪そうにスカートをつまむ。
耐え切れなくなったムクは、何処からともなく紅茶の入ったティーポットを取り出し、3人分のティーカップに紅茶を注いでいく。
「はい」
「ありがとう」
ムクは、全員にティーカップを配り、2人の視線を感じないように俯いた。
ハクとウンディーネは眼を見合わせ、ムクから視線を外す。
「さて、いただきましょうか」
「おう」
3人は手を合わせ、食料に祈りをささげる。
精霊の導きと共に、感謝を告げる。
「いただきます」
祈り終えた3人は、同時に食事を始めた。
ハクはスープに、ムクはステーキに、ウンディーネは紅茶に手を付ける。
静かに、それでいて楽しそうに食事は進んでいく。
食事が終わるころには、日が沈み、月が浮かんでいた。
ハクのいた世界と大して変わらない星空は、街の光が無い分、眩しい程に煌めいていた。
「ごちそうさまでした」
「大変おいしかったですよ」
「そう」
3人は、デザートに葡萄を楽しみながら、雑談に移っていく。
葡萄を採るまでに大蛇にあった事、海を見た事、昨日サケを獲ったときの事。
どの話をしても、ウンディーネは楽しそうに笑う。
次第に話のネタが無くなったハクは、自分がこの世界に来た日の話を打ち明けた。
「俺の周辺が光り出して、眩しくて眼を瞑ったことは覚えてる。その後、気が付いたらこの森にいて」
「他に、何か覚えていませんか?」
「うーん……」
ウンディーネの問いに、ハクは腕を組んで考え込む。
ムクは口を挟まず、紅茶を飲みながら、耳だけはしっかりとハクの話に傾けていた。
「あ、1つ」
「なんでしょう?」
「俺と、一緒にいた奴がいる」
「……」
ハクの言葉に、ムクとウンディーネは肩を震わせた。
ムクは紅茶を飲む手を止め、真っ直ぐにハクを見据える。
「どのような、お方ですか?」
「……嫌な奴だよ。小賢しいというか、いつもカーストのトップにいる。それでいて、能力も十分あるのに、どうにも気に食わない」
ムクとウンディーネの反応には気付かずに、ハクは紅茶を口に含みながら、共にいた人物を思い浮かべる。
ハクの眉間には皺が寄り、声色も徐々に険しくなっていく。
「全て、自分が正義みたいに」
無意識に、ハクは自分の拳を強く握った。
ハクの変化に、ムクとウンディーネは目配せをする。
「失敗、という事でしょうか」
「私は、ハク以外見ていない。ウンディーネも感知してない。なら、問題ない」
「そう、でしょうか……」
ハクには聞こえぬ様、アイコンタクトで会話をする2人の表情は曇る。
3人の間には、不穏な空気が流れ始める。
「ハク様は、元の世界に帰りたいとは、思わないのですか?」
「……別に、そこまで執着があるわけじゃねぇし。それに」
「それに?」
ハクは、葡萄を1粒手に取りながら、チラリ、とムクに視線を送る。
その視線に、ウンディーネは何かを察し、それ以上の干渉を止めた。
「ムク様は、幸せ者でございますね」
「何?」
「いいえ、なんでもございません」
ウンディーネは、ムクに向けて微笑んでみせる。
その微笑みが、寂しさを覗かせていたことは、誰の眼からも明らかであった。
影を落とすウンディーネの表情は、切なく、苦しかった。
「ウンディーネ」
「申し訳ありません。久しぶりの事で、上手く笑えないのでしょう」
ムクはウンディーネに言葉をかけようと名前を呼ぶが、ウンディーネに上手く躱される。
そこで、ムクは手を伸ばし、ウンディーネの頭を撫でた。
「……!」
「よしよし」
ムクの行動に、ウンディーネは眼を見開き驚愕する。
ムクの瞳を覗き込んだウンディーネは、唇を噛むことで顔が歪むのを堪えた。
「……昨日の今日だというのに、貴女は本当に変わられた」
「うん」
「主に仕える者として、大変、嬉しく思います」
ウンディーネは、再び微笑んでみせる。
その表情は、涙を堪えているように見えた。
切なさと苦しさと、羨ましさと嬉しさと。
さまざまな感情が混じった微笑みは、ムクには眩しく映る。
ウンディーネはムクの手に自分の手を重ね、優しく包み込むように握る。
その指先からは、ウンディーネの繊細な優しさが感じられた。
「ハク様」
「おう」
「ありがとうございます」
「……おう」
ムクの手を握ったまま、ウンディーネはハクへと感謝を述べる。
ムクにとってウンディーネは、恩人であり、友人であり、親友であり、従者。
ウンディーネにとってムクは、友人であり、親友であり、娘であり、主。
奇妙な2人の関係は、それ故に誰よりもつながりが深かった。
「申し訳ありません、少々取り乱してしまいました」
ウンディーネは姿勢を正し、椅子に座り直す。
1つ、咳ばらいをした後、ウンディーネはハクに向き直り、優しく微笑む。
「まだ、聞きたいことがあるのでしょう?」
「あぁ」
話題を戻すように、ウンディーネはハクへ言葉をかける。
ハクは頷き、躊躇うことなく聞くべき事柄を口にした。
「この世界の状況について、説明してほしい」
「えぇ。いいでしょう」
ウンディーネはムクに視線を送った後、すんなりと了承した。
ムクは3人のティーカップに紅茶を注ぎ直す。
ムクの手が止まると、ウンディーネは背筋を伸ばし、ハクの瞳を見つめた。
「お話します。この世界の、世界情勢を」




