第16話 果実
「今日は、果物を取りに行く」
「ぴきゅぅ……」
「お前のせいじゃないと思うぞ」
マントを羽織り、籠を掲げて見せるムクに、キャンバスは悲しそうに鳴き声を上げた。
ハクはキャンバスを抱き上げ、頭を撫でながら慰めていく。
「ぴきゅ」
「じゃ、お留守番な」
「ぴきゅぅ!?」
ハクはキャンバスをベッドの上に置き、ムクから籠を受け取る。
再び置き去りにされる事実に、キャンバスは抗議の鳴き声を上げ、ハクに飛びついた。
「ダメ。お留守番」
「ぴきゅぅ! ぴきゅぅ!!」
「そんなこと言って、また罠にかかったらどうするんだ?」
「ぴ!?」
ハクとムクの両方から止められ、キャンバスは渋々留守番を受け入れる。
ベッドの上に戻り、体を丸めるキャンバスに、ハクは溜め息を吐いた。
「じゃ、行ってくるわ」
「いってきます」
「……ぴきゅ」
挨拶を投げかける2人に、キャンバスは振り返ることなく小さく挨拶を返す。
安心したように笑い、ハクは扉を閉めた。
2人は午前中と同じように森へ出かけ、泉とは反対方向にある果実の生る木へと向けて歩き始めた。
「キャンバス、ちゃんと留守番してっかな」
「多分」
時折振り返り、ハクはキャンバスを思い出す。
ムクは心配する素振りすら見せず、大事そうに籠を抱えていた。
しばらく歩いた2人は、家周辺の鬱蒼とした森とは異なり、明るく、温かい林へと出ていた。
「同じ森でも、全然雰囲気違うな」
ハクは辺りを見回し、ムクに声をかける。
ハクは、自分の歩いている道が、何かを引きずった後だと気付くことは無く。
ムクもまた、前だけを見ていた。
「うん。この辺には、果実を守る主が……」
「キシェェエエェエ!!!」
「……え?」
ムクが説明しようと口を開いた時、怪物の鳴き声が森中に響いた。
その声は、2人の背後から鳴り響き、大きな影を落とす。
恐る恐る振り返ったハクは、目の前にある大きな鱗に、その巨躯に、眼を見開く。
「……え?」
「シェエェエェエエ……」
白と緑の混ざった鱗。
口からチラリ、と覗く、赤く細長い舌。
ギラリ、と光るのは黄色の瞳。
2人を、果実の守護者である大蛇が、見下ろしていた。
「……ムクさん?」
「この人が、この辺を治める主」
「先に言ってえぇえ!!??」
「シュゥウウウゥウゥ……」
大蛇は、ゆっくりと首を動かし、その大きな口を2人に近づける。
ハクは動けずその場に固まり、ムクは大蛇に近づいた。
「……久しぶり」
ムクは、籠を抱えたまま静かに大蛇に話しかける。
大蛇は、ムクに一礼した後、ハクへと視線を移し、口を開いた。
「なるほど。貴方様と一緒でしたか。道理で見つからない訳だ」
「うん」
大蛇は、落ち着いた声でムクに言葉を返していく。
ムクと大蛇は言葉を交わし始め、互いの近況を報告し合う。
「それで、今日はそのようなお召し物を。大変似合っておられます」
「ありがとう」
「なんと……!! 勿体無きお言葉……」
ウンディーネの時と同じように、大蛇はムクに跪く。
ムクを主と仰ぎ、丁寧に言葉を重ねる。
そんな2人の会話を聞き、ハクは混乱する頭を押さえながら声を漏らした。
「蛇が、喋ってる……」
「おや、まだこちらの世界に慣れてはおりませんか」
大蛇を指さしながら、ハクは感想を溢した。
実際、ハクがこの世界に来てから、動物が喋っている場面を見るのは、これが初めてであった。
大蛇は、ゆっくりと首をハクの方へ動かす。
「ご挨拶がまだでしたね。私は……」
「取り敢えず、……逃げるぞ!!」
「「え」」
自己紹介をしようとした大蛇の言葉を遮り、ハクはムクの手を引き走り出す。
ムクと大蛇は呆気にとられ、ハクを止めることも忘れてしまう。
走りながら、ムクは1度後ろを振り返り、大蛇を見る。
大蛇は2人を追いかけることもせず、振り返ったムクに対し、一礼した。
「やれやれ。これは、色々と大変になりそうですね。ハァ……、仕事が増える……」
見えなくなった2人を思い返し、大蛇は大きく溜め息を吐く。
大蛇は来た道を引き返し、2人とは反対方向へ消えていった。
「ハク、ハク!」
「何!?」
「大丈夫、だよ!」
一方、2人はまだ走り続けていた。
ムクは一生懸命ハクを引き留めようとするが、走っているせいで上手く言葉が伝わらない。
「何、って、うわ!?」
「ハク!」
1度、振り返ろうとしたハクは、足元にあった石に躓き、斜面を転げ落ちていく。
手を繋いだままのムクもまた引っ張られ、2人一緒に落ちていった。
「ム、ク!」
ハクは、ムクを抱き寄せ、精一杯受け身を取る。
2人が転げ落ちた先は、2人が立っていた場所から4メートル程下にある平地。
その先は崖になっており、2人は間一髪のところで踏みとどまった。
「いてて……」
「ん……」
ハクは痛む体を慎重に起こし、自分の上に乗るムクに眼を向けた。
必死にハクにしがみつくムクの姿は、小さく、か弱かった。
「大丈夫か?」
「うん」
ハクの上から退き、ムクは1つ頷いて見せる。
着ているドレスの汚れを気にするように、ムクは自分の体を見下ろす。
ハクもまた、改変された自分の制服へ眼を落とし、砂を払おうとした。
「……汚れて、ない」
「流石は女神様が作っただけはあるな」
2人の着ているドレスとタキシードには汚れ1つなく、純白のままであった。
ハクは、自分達から少し離れた場所に落ちていた籠を拾い上げ、周囲を見渡す。
すると、ハクは目の前に広がる景色に眼を見開き驚愕した。
「海……?」
「そうだよ」
ムクは、ハクの隣に立ち、崖の先に広がる海へ眼をやる。
天色の海は、ハクの知る海と同じ表情を見せ、穏やかにそこに存在した。
「この国は、海に接している分、他の国よりも資源が豊富。……言わなかった?」
「言わなかった」
「そう」
ハクの瞳に、海の光が反射し、淡く光を放つ。
眼を奪われたように固まるハクの隣を離れ、ムクは平地の奥へと進んでいく。
平地の奥の方には、木が数本生えており、その木には大粒の果実が沢山実っていた。
「ハク」
ムクは、未だに動かないハクを呼び、果実の生る木を指さす。
葡萄に似たその果実は、太陽の光を浴びて輝いていた。
「あれは?」
「葡萄」
「葡萄でいいんだ」
ムクは葡萄を1房手に取り、優しくもぎ取る。
ハクもムクの手つきを真似て葡萄を収穫し、丁寧に籠の中に入れていく。
5房程収穫し、2人はキャンバスの待つ家へ戻ることにした。
「さっきの道を通るのか……」
「大丈夫」
眼を細め、渋るハクの手を握り、ムクは説得する。
幼い少女が自分を説得している図に、ハクは自然と笑いが込み上げた。
「なんで笑うの?」
「いや、なんでもねぇよ」
多少緊張の解れたハクは、籠を持つ手と反対の手でムクの頭を撫でる。
フードの上から撫でられ、ハクの決心がついたと判断したムクは黙って歩き出す。
2人は来た道を辿る様に歩き、大蛇と遭遇した場所へと出る。
「いない、か」
「ね?」
大蛇はすでに姿を消しており、ハクの心配は無駄に終わる。
安堵し、肩の力を抜くハクを見上げ、ムクは首を傾ける。
可愛らしい仕草に、ハクは微笑み、繋いだ手に力を込める。
「そうだな」
2人は、夕食の話をしながら家へと帰る。
ハクは、隣を歩くムクを見下ろし、ふと、ウンディーネを思い出す。
「ウンディーネって、泉から出れないんだよな」
「? うん」
「そうか……」
ムクのドレスから連想する様に思い浮かんだウンディーネの顔は、優しい微笑みしかなかった。
「ずっと笑ってたけど、寂しくねぇのかな」
「……っ」
「ムク?」
何気なく溢されたハクの言葉に、ムクは思わず立ち止まる。
振り返り、ハクはムクを見て首を捻る。
ムクは、フードを被っているせいで顔が見えにくいが、俯いているため、余計に表情が窺えなかった。
「……ハク」
「ん?」
ムクは顔を上げ、ハクの瞳を覗き込む。
無表情のまま、ドレスのスカートを握り、ムクは我が儘を言った。
「今日、ウンディーネと晩ご飯、食べたい」
「お」
「ダメ?」
ハクは、一瞬言葉を詰まらせる。
ムクは、ハクの言葉を待ちきれず、上目使いで答えを求める。
女の子らしい仕草を見せるムクに、ハクは思わず微笑んで答える。
「いいよ」
「……! うん」
答えを得、再度俯いたムクの足音は、普段よりも高めの音を奏でていた。
2人は、泉に住む友人の喜ぶ顔を想像し、足早に家へと戻っていった。




