第13話 ウンディーネと
「まだ結婚できる年じゃねぇんだけど……」
「あら? いいじゃないですか細かいことは」
「精霊のくせに……」
顔を覆い、元の世界で行使されている法律を気にしだしたハクは、ウンディーネに不安を否定された。
ムクは、自分の手に握られたブーケに眼を落とし、疑問を口にする。
「なんで、枯れてるの……?」
ブーケは、枯れた白バラでできている。
普通、ブーケとは新鮮な花を用いることが一般的であり、枯れた花を使用することはほとんどない。
この世界での一般常識を覆す目の前のブーケに、ムクは首を捻る。
「あら。それは、……秘密です」
「なんだよ」
「フフフ。なんでしょうね」
頬に手を当て、ウンディーネは誤魔化すように笑う。
口を割らない、と宣言しているかのような態度に、ハクは追及を諦めた。
「さあさ、もうお昼時ですよ。泉の妖精を使わしますので、帰り道で人間に遭遇することはありません」
「あぁ、もうそんな時間か……」
「帰る」
「えぇ、そうなさってください」
ウンディーネは、泉から小さな妖精を呼び寄せ、森の入口へと飛ばす。
空を見上げ、眼を細めるハクは、自分の袖を引っ張るムクに、幸せそうに微笑む。
「帰るか」
「うん」
「お気をつけて」
2人は、手を繋ぎ森へと歩み始めた。
ウンディーネは深く頭を下げ、2人を送り出す。
森へ足を踏み入れたハクは、ふと、足を止め振り返る。
「ウンディーネ」
「はい」
ウンディーネは顔を上げ、ハクの眼を見つめる。
ハクもウンディーネの眼を見返し、笑った。
「ありがとう」
「……! いいえ。ムク様を、よろしくお願いします」
「あぁ」
挨拶を済ませ、ハクは再び足を進めた。
今度は頭を下げず、ウンディーネは真っ直ぐ、2人の背中を見送った。
数分、泉周辺の空気は止まっていた。
泉から人の気配が消え、静寂が戻る。
風は自由に遊び、森は雑談を始める。
しかし、ウンディーネはその場から動くことなく振り返り、大木の影へ眼をやる。
「……いるのでしょう」
ウンディーネは、誰へ向けるでもなく声を上げた。
先程までとは違い、鋭く、冷たい声で見えぬ人を呼ぶ。
森は雑談を始めていたが、どこか他人行儀で、特に大木周辺の木々は、一言も話すことなく静まり返っていた。
「バレてた、か」
途端、森は口を閉ざす。
泉周辺に男の声が響き渡り、妖しい空気が流れ込む。
「ムク様とハク様から匂いがしましたので」
ウンディーネは、動じることなく言葉を返し、見えない男を真っ直ぐに見返す。
「そう睨むなよ」
「それは、無理な相談というものです」
2人の間には緊張が走り、不穏な空気が漂う。
ウンディーネは姿勢を正し、泉の妖精を自分の周りへ呼び寄せる。
「出てきなさい。ダユ」
「そいつは、無理な話だ」
触れれば痛みが走るほど、周辺の空気が張りつめた。
ウンディーネの真似をするように、ダユと呼ばれた男は声を発する。
「ダユ」
「ウンディーネ」
ゆらり、と大木の影で気配が揺れる。
ウンディーネは厳しい声でダユの名を呼ぶ。
ダユは愛しそうにウンディーネの名を呼ぶ。
ダユの声に、ウンディーネは唇を噛み、拳に力を込める。
「今更、何の用ですか」
「何、新しい主人を紹介しようと思ってな」
「……! まさか、あの2人になにかしたのですか!?」
ダユの言葉に、ビクリ、とウンディーネは肩を震わせた。
慌ててウンディーネは問い詰める様に声を上げる。
「勘違いだ。あの2人に助けられたから、俺は忠誠を誓うんだ」
「貴方が忠誠を誓うなど、到底あり得ない話です。何か企みがあるのでしょう」
「酷いなぁ」
クツクツ、と笑い声を上げ、ダユは嘆く。
ウンディーネは警戒を強め、臨戦態勢に入る。
「落ち着けよ。何かしようって訳じゃねぇんだから」
ダユの言葉を受けても、ウンディーネが臨戦態勢を解くことは無く、むしろより濃く魔力を練っていく。
ダユは楽しそうに嗤いながら、ウンディーネへ視線を投げた。
「俺よりも、ハク様を疑った方がいいんじゃねぇの?」
「っ!!」
先程の慈しむような声とは反対に、底冷えする声で放たれたダユの言葉に、ウンディーネは再度肩を震わせた。
自分の肩を抱き、ウンディーネはダユのいる方向から視線を逸らす。
「ハク様、は、警戒すべき相手では、ありませんから……」
「そうか? あいつに隠してるだけで、本当のこと知ったらどうなるかは分からねぇだろ?」
「それは……!!」
「現実を見ろ、ウンディーネ。そんなだから、今の状態にまで堕ちたんだろ」
ウンディーネの急所を突く様に、ダユは現実を突き付けていく。
ウンディーネはよろめき、顔を歪める。
臨戦態勢を解き、狼狽えるウンディーネは、怯える少女のように頼りなかった。
「俺は、そこからお前を助けたいんだ。ウンディーネ」
「……っ! この状態は、貴方のせいでしょう」
「そうだな」
ウンディーネは自分の足元へ眼を落とした。
ハクとムクには錯角を駆使し隠し通した秘密が、そこにはあった。
見た目は水そのもの。
それでも、鋼鉄よりも固く頑丈な鎖が、ウンディーネの両足に絡みついていた。
鎖は泉の底へ繋がっており、ウンディーネは泉から離れることができない身であった。
「それでも、俺らは夫婦だ」
「違います」
「違わない」
魔力を練り続けることができず、泉の妖精はウンディーネの周りを離れる。
ダユは、残酷な現実をウンディーネに突きつけ続け、脅していく。
「今はあの2人が俺の主人だ。あの2人なら……」
「そんなの、ただの、貴方の願望であって……」
「そうだ。俺の、唯一の願望だ」
「……っ!」
ウンディーネは顔を顰める。
ダユは、迷いなく言葉を言い切った。
ウンディーネだけが知るダユの本性。
それとあまりにもかけ離れた言葉に、ウンディーネは惑わされていく。
「そんな、の……。信じられるわけ……」
「信じなくてもいい。それでも、俺はお前を救って見せる。その後に、信じてくれたなら……」
「ダユ……」
ウンディーネの瞳には、動揺が色濃く映っていた。
身体は震え、足に食い込む鎖が痛む。
手を伸ばしたくても届かないダユに、ウンディーネは歯噛みする。
「それなら、何故、私の前に現れてはくれないのですか……」
「俺に姿を現す資格など、無い」
「分かっているくせに!! なんで! 今更……!!」
「……すまない」
涙で濡れた声で、ウンディーネは叫ぶ。
前かがみになり、顔を両手で覆い、ウンディーネは嘆く。
後悔と、絶望と、願望であふれ出した涙を止めることはできず。
ウンディーネの涙は、泉に1粒ずつ注がれ、溜まっていく。
「貴方に、会いたい……」
ウンディーネは、ポツリ、と言ってはならない願望を溢す。
願望を溢すたびに締め付ける鎖の痛みも気にせず、ウンディーネは願う。
「貴方に、会いたい!!」
「…ッ」
叫ばれた願望は、ダユの胸を貫く。
足に食い込む鎖は音を立てて軋む。
ウンディーネの叫びに、ダユは1人静かに拳を握り、唇を噛む。
ダユの唇から溢れた赤い血は、振り返りたい衝動を押し殺す。
「ダメだ」
「……そう、ですよね」
「……あぁ」
「分かっています。私達、夫婦、は……」
「ウンディーネ……!!」
とうとう願望は抑えきれぬほどに溢れ返る。
ダユがウンディーネの前に姿を現そうとした瞬間、泉が揺れた。
「あ……」
「チッ」
穏やかな泉は音を立て、大きく波打ち始める。
ウンディーネを引き戻そうと鎖は動き始め、彼女の足を容赦なく締め付ける。
「邪魔しやがって」
「ダユ」
「あ?」
苛立ちを隠すことなく、ダユは顔を歪めた。
両足に与えられる痛みにより、冷静さを取り戻したウンディーネは、静かにダユへ語りかける。
「1つ。貴方が、もし、ムク様と関係を持つようなことがあれば、私は貴方を殺さねばなりません」
「分かっている」
「お忘れなく」
姿勢を正し、凛とした声で告げるウンディーネの瞳には、憂いが現れていた。
ダユの声もまた冷たく、世界を呪うような恐ろしさがあった。
「ウンディーネ」
「……はい」
「お前を、愛している」
ダユは、一言、ウンディーネへ本心を告げた。
その言葉を最後に、ダユの気配は消え、泉は平穏を取り戻した。
ウンディーネは、ダユのいた大木へ視線を向け、眼を細めた。
「……うそつき」
そのまま、ウンディーネは泉の中へ沈んでいった。




