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スター誕生 その10

 翌日の昼前。俺は司を伴って、莉緒の所属する事務所、『ダイスS』へ向かっていた。事務所の社長・岡本へ話を聞きに行くためである。


 社長には百白を通じてアポを取ってあるため、会うことに関しては問題ない。ただ、会ったところで本当のことを喋るとは思えない。「社長が何か隠している」という俺達の考えは、あくまで状況証拠から導いた憶測に過ぎず、はぐらかされればそこで終わりだ。


 俺が不安を抱える一方、司は自信たっぷりに「案ずるな」と言ってのけた。今日の司の恰好はやたらとチンピラ的というか、上下深い紫色のスーツに黒いシャツの組み合わせは、ほとんどヤクザだ。


「昨日の段階でプランは既に練ってある。翔太朗は私に合わせればいい」


「ひとつだけ聞かせてくれ」


「許そう」


「脅すのか?」


「いや、ハッタリをかますだけさ」とサックリ答えた女ヤクザは、オールバックに固めた前髪を撫でた。


『ダイスS』は都内港区にある大手芸能事務所である。人気アイドルから役者、歌手、芸人、さらには野球選手まで、バラエティーに富んだ人材が所属している。社長が現在の岡本に変わったのは2年前。いわゆる三代目のボンボンで、有能か無能かと言われれば無能だが、自分に都合がいいことばかり話すのにかけては天下一品とは、百白の談である。


 三階建てのコンクリート打ちっ放しのビル1階で受付を済ませ、やがて通された3階社長室に入ると、黒革のソファーに深々と腰掛ける岡本がいた。「これはこれは」と頭を軽く下げたものの、腰はソファーへ降ろしたままだったのは言うまでもない。


 ぞんざいな扱いに対抗するかのように、「どうも」と短く言って、テーブルを挟んで岡本と対面するところにあるソファーに腰掛けた司は、足を組んでふんぞり返るように岡本を見た。俺はその背後にそっと控え、側近感を出しつつも空気に徹する。


 火花散る両者。話を切り出したのは岡本だった。


「百白さんからのご紹介ということでお会いしておりますが、いったいどういったご用件でしょうか?」


「単刀直入に言いましょう。私共は田山莉緒を預かっております。そしてそれはつまり、彼女が〝あの日の夜〟に見たことも、全て知っているということ」


 強気なブラフをかけた司は懐からスマホを取り出し、そっとテーブルに置いた。いつ撮ったものなのかわからないが、その画面には莉緒がピースをする写真が写っている。


 前のめりになってそれを見た岡本は明らかに眉をひそめ、動揺を隠しきれない表情になりながらも、


「仰っている意味がよくわかりませんな」とあくまで白を切る。


「ですがしかし、弊社のタレントを不当に拘束しているというのなら――」


「そう答えるだろうとは思っておりました。ですが、しらばっくれるのはあまり得策ではないと思われますが? 無論、岡本さんがまだこの事務所の社長でいたいなら、という話ですが」


 暗に取引を持ち掛けられ、岡本の表情は明らかに安堵したものに変わった。口元には笑みまでこぼれている。わかりやすい男だ。


「……よろしい。何が目的でしょうか」


「目的だなんてそんな……。私共はただ、助けて欲しいというだけです。実は、実家の父が難しい手術をすることになりましてね。少なく見積もっても、これだけ必要でして」


 司はピースサインを作って自分の顔の横に並べる。岡本は小さく頷いて、「なるほどなるほど」と呟いた。その表情はあくまで笑ったままである。


「つまり、それだけ工面すれば、貴方達はあの日の一件を忘れる。それだけではなく、ウチの商品を返して頂ける、と」


「ええ、そのように」


「よろしい。取引成立だ」


 岡本は司へ手を伸ばし握手を求めたが、司はそれに一瞥くれると、不機嫌そうに席を立った。


「場所は比衣呂市。羽会田という地域の三丁目に大きな廃倉庫があります。今日の夜10時に、そこで」


 どこへ出しても恥ずかしくない、完璧なヤクザの女幹部であった。毎度思うが、この女の演技力はどこから出てくるのだろうか。そのことを一度、本人に直接訊ねたことがあるが、「父曰く、〝女は仮面をいくつも被っているものだ〟」だそうだ。まったく答えになっていない。





 空を見上げれば、どこまでも夜が広がっている。まばらな星と、見事な三日月。ゆっくりと道路へ視線を下ろせば、行き交うヘッドライトに明滅するブレーキランプ。時刻を確認すれば9時50分。夜もまだまだこれからのこの時間帯では、道路沿いに並ぶ一軒家をさらりと見ても、まだ灯りが点いているところがほとんどだ。


 市の中心部から少し離れたこの羽会田は、住宅街の中に工場やら倉庫やらが点々と並ぶ地域である。おかげで、夜になると人通りはほとんど無くなる。反面、事件が起きることは滅多になく、至って平和だ。

待ち合わせ場所である廃倉庫の屋上にひとり立つ俺は、一台の黒いワゴン車が近くに停まったことを確認し、割れた天窓から倉庫の中へと急いで戻った。すると1分と経たないうちに倉庫の扉が開き、6人の男達がぞろぞろと入ってきた。その中には、例の岡本の姿もある。


 俺は「時間通りだな」と岡本に言った。「誰ですか、あなたは」と返ってきたのは、倉庫が薄暗いためというのもあるが、俺がタマフクローの恰好をしているせいだろう。


「ただの代理だ。あの女から頼まれた。約束のものをさっさと渡すんだな」


「残念ながら、ここにはありません」


「持ってきてないのか? どういうつもりだ?」


「そちらこそ、どういうつもりですか? 弊社の商品を持ってくるという約束だったはずでは? ああ、わかっているので話さなくとも大丈夫ですよ。まだあの、愛宕さんという女性の家にいるのでしょう?」


 岡本はニヤついた表情で調子よく語り続ける。


「彼女のスマートフォンには、位置情報を常に送信するよう細工をしておりましてね。現在、彼女の元にはここにいる倍の数の人間を送っております。捕らえるのも時間の問題です」


 なるほど。道理で俺の家の場所がわかったはずだ。などとひとりで納得していると、岡本の手下らしき男達が俺を囲んだ。その手には金属バット、スタンガン、特殊警棒、マチェットナイフに折り畳み式ナイフと、お手軽な凶器がそれぞれ握られている。俺をここで始末する予定らしい。


「牧野栞にセクハラしてたことがバレるのがそんなに嫌か?」


「おやおや。どうやら、ヒーロー様が何も知らされず、あの生意気なガキにいいように扱われているらしい」


 なにがおかしいのか、岡本は喉の奥をくっくと鳴らして笑う。


「私はとあるクスリを嗜んでおりましてね。まあつまり、違法のものですよ。そして、牧野栞も私と同様のものを。定期的にふたりで楽しんでおりました。……しかし、あの夜は参りましたよ。いわゆる、オーバードースというヤツでしょう。クスリを使い過ぎた栞は意識を失い、かといって救急車も呼べず、そのまま帰らぬ人となった」


「……で、その一部始終を見てた莉緒を、アンタは消そうとしている」


「ああ、ようやく正解が出てきた」


 悪党というのは、どうしてこうもツメが甘いというか、ヘンなところで親切なのだろうか。自分の罪状をこうもあっけなく白状してくれるとは。万が一にも自分は負けないという自信への裏返しなのだろうが、理解はできても同感はできそうにない。


「彼女が事務所から突然逃げてしまったことを知り、まさかと思いましてね。監視カメラを調べてみれば案の定だ。大事な商品ではありますが、我が身の方が可愛くてですね。知られたからには消すしかない」


「よく教えてくれたな。じゃ、もう帰っていいか? 極悪人がここにいるって、警察に教えてきてやるから」


「ご冗談を。先ほどの告白は土産ですよ。間も無くこの世から消える方へ持たせる、冥土の土産というやつです」


 キザな台詞を吐いた岡本は、レストランでシェフを呼ぶ客の如くパンパンと手を叩いた。同時に、男達が四方から俺に襲い掛かる。


 前方から脳天目がけて振り下ろされる金属バット。背後から迫るのはマチェットナイフの刃。


 身を捻って避けながら、それぞれの顔面へ一撃。ふらついたところへ追撃を加えたその瞬間、残った男達が迫ってきた。


 青い火花が散るスタンガンが鼻先を掠める。上半身をのけぞらせて避け、戻すと同時に顔面目掛けて頭突きを返す。鼻血を吹き出しながら倒れたそいつが手放したスタンガンを空中で取り、警棒を繰り出してきた男の首筋に押し当てた。


 一分と経たないうちに自分以外の仲間が倒されたのを見て、残った男はナイフを放り投げて逃げ出していく。用心棒諸君に見放された岡本は情けなくその場に尻もちを突いたものの、弱々しくも俺を睨みつける。心意気だけは見事なもんだと思いつつ、俺は岡本へと歩み寄った。


「もう終わりか? そんなわけないよな。まだまだ手駒は大勢いて、外には戦車が控えてて、ヘリコプターからスナイパーがここを狙ってるんだろ?」


「うっ、動くなっ! 俺に手を出せば、アイツらが余計に苦しんで死ぬことになるぞっ!」


「そりゃ怖いな。そんなに脅さないでくれよ。ションベンちびりそうだ」


「ふざけるなっ! いいか? 脅しじゃないぞ! 俺が部下に電話をすれば――」


「だったら、早くすりゃいいだろ、その電話を。どうせ殺すつもりなんだろうが」


 そう言いながらゆっくりと歩みを進める俺を見た岡本は、その手に持っていたスマートフォンを耳に構え、慌てて電話をかけ始めた。数秒で電話は繋がったようで、岡本は「女を出せ!」と声を荒げたが、威勢が良かったのは初めだけで、奴の顔は見る見るうちに色を失っていく。


「どうした? 顔が青いな。腹でも下したか? それとも、幽霊が電話に出たか?」


 とうとう目の前まで近づいてきた俺を見上げる岡本は、辛うじて唇を小刻みに震わせるばかりで何も言葉を発しない。「ちょっと貸してくれよ」と言って岡本の手からスマホを奪った俺は、通話口の向こうへ「調子はどうだ」と問いかけてみた。


『翔太朗か。こちらは無事だ。ヨシノ、リオ、無論私も、誰一人としてかすり傷ひとつ負っていない。しかし、タチバナ店主の発明は悪魔的だな。催笑スプレーとは恐れ入った』


 聞こえてきたのは司――もとい、ファントムハートの声である。しゃがれた低い機械音声の背後からは、男達のうめき声や、悲鳴のような笑い声が聞こえ、地獄絵図が広がっているのが容易に想像できる。


 俺達だって馬鹿の集まりではない。岡本が何らかの方法で莉緒の居場所を突き止められることと、刺客を送り込んでくることくらい予想していた。だから愛宕の家には十分な備えを用意した。


 八兵衛の発明品の数々と――何より、〝ファントムハート〟という最強の切り札を。


「お疲れさん。じゃ、そっちは任せても大丈夫そうだな」


『当たり前だ――と、警察がやって来たらしい。一足先に、私は退散することにしよう』


 司との通話はそこで切れる。スマホを床に放り投げた俺は、未だ足元で尻もちを突く怯えた表情の岡本を見下ろした。


「……さて、岡本。お前が選べる道はふたつにひとつだ。そのうちやって来る警察をおとなしく待つか、俺を倒して逃げるか。どっちにする?」


 岡本は即座に両腕を上げ、首を何度も横に振った。声こそ出ないが、降参ということらしい。


「そうか。そりゃよかった。こっちも無駄に人殴りたいわけじゃないからな」


 俺は岡本の横を通り抜け、そのまま倉庫の出口へと歩み出す。すると背後から僅かに聞こえる、カチリという金属音。わざわざ振り返らずとも、岡本がナイフを拾ったのだとわかった。往生際が悪すぎてうんざりする。俺ひとりどうにかしたところで、今さらどうなるというのだろうか。


 洋服が擦れる音。急速に近づく足音。


「死ねぇぇぇ!! このクソヒーローがよぉぉ!!」


 振り返ると共に、俺の背中へ向かってナイフを突き出した岡本の右腕を蹴り上げる。あっけなく宙へと飛んだナイフは、やがて床に落ちて乾いた音を立てた。



「……殴って治るような性根じゃないだろうけど――とりあえず殴られとけ」



「待っ――」


 固めた拳で岡本の右頬を全力で打ち抜く。飛び散る唾液に汚い奥歯。


 大の字で床に倒れ伏す岡本を眺めながら、俺は110番へ電話を掛けた。





 愛宕の家に押し入った奴らの証言と、俺のマスクが録画していた映像が決め手となり、岡本は即日で逮捕された。ニュースによれば、奴の家からは大量の違法薬物が発見され、また反社会的勢力との繋がりも確認されているという。まったく呆れた社長サマである。岡本が社長を務めていた『ダイスS』は、現在の専務が跡を継ぐことにより一応は存続。しかし、騒動の余韻がしばらく残るであろうことは想像に容易く、これからの事後処理その他諸々を考えれば、当事者でないのに気が重くなった。


 岡本の逮捕後、愛宕の家を去った莉緒は実家へと帰っていった。曰く、「お父さんとお母さんの顔が見たくなった」らしい。どんな再会になるのかはわからないが、互いが互いを嫌いになって別れたわけではない関係だ。向かい合ってきちんと話をすれば、事態が悪い方向へと傾くことにはならないだろう。


 さて、事件解決から一週間経ったその日の朝。ハムエッグに加えて、昨日の夕飯の残りであるコンソメスープを朝食に代えて過ごしていると、チャイムの音が部屋に響いた。玄関へ出てみれば、そこにいたのは莉緒である。


「どもです、翔太朗さん。もしかして、朝食中でした?」


「いや、大丈夫だ。上がれよ」と言ったが、莉緒は「いえいえここで構いません」と遠慮あるところをみせ、それからさらに続けた。


「今日はご報告に参りましてですね」


「報告?」と問うと、莉緒は「そうなんですよ」と嬉しそうに語る。


「両親と話し合って、許して貰えたんです。もう一度、〝オリタマヤ〟として活動することを」


「なるほど。つまり、見習いヒーローは卒業ってわけだ」


「いえいえ。まず、日本で一番のアイドルになろうかと。それからヒーローに転向しようと思いましてね。その際は大々的に記者会見を開いて、パートナーに翔太朗さんを指名します。逃げられると思わないでくださいね?」


 自信満々で胸を張る莉緒を見て、俺は思わず噴き出した。日本一のアイドルとはまったく恐れ入る。挙句に俺をパートナーとは。いったい、どこでくだらない冗談を覚えてきたのか。


「やれるもんならやってみろ」と俺は半笑いで返す。


「あ、言いましたね? その言葉、忘れないでくださいね?」と不敵に微笑んだ莉緒は、ふと腕時計に目をやって時間を確認し、「そろそろですね」と名残惜しそうに呟いた。


「では、わたしはこれで。これから復帰一発目のお仕事なので」


「ああ。じゃあな、オリタマヤ」


「駄目ですよ。翔太朗さんだけは、〝莉緒〟って呼んでくれないと」


 莉緒はそう言いながらこちらへ一歩近づくと――その両腕を俺の背中へと回し、まるでクマのぬいぐるみか何かを抱くように力強く抱きしめてきた。


 辻斬り的なハグに理解が及ばず、俺は思わず動きを止める。莉緒はといえば既に両腕をほどき、一歩後ろに下がった後である。


「これはふたりのヒミツですからね。それでは」


 未だ唖然とする俺へにこやかに言い放った莉緒は、スキップでその場を去って行く。その背中を見送ったところで、慌てて俺が辺りを見回したのは、先ほどのシーンを誰かに見られていないか危惧したためである。


 周囲に誰もいないことを確認して安堵した俺は、部屋へと戻り、食いかけの朝食に手を伸ばすより先にスマホを手に取り、動画サイトを漁り始める。


 莉緒の所属アイドルグループはたしか、『Carbuncle`s』といったか。そのうち〝日本一のアイドル〟になるヤツの曲を、今のうちに聞いておくのも悪くはない。


これにて田山莉緒編終了です。

今後はこんな風にシティーハンター的に短編を細かく重ねていくことが多くなるかと思われます。

次回投稿については不明ですが、またしばらく間が空くと思われます。

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