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第3話 エクスペンダブルズ その2

 秋野家邸宅を出たのは深夜3時を回ったころのことだった。先ほどまでは風の声だけが支配していた比衣呂市のあちこちからは、いびきのような原付のエンジン音が聞こえてくる。もう新聞配達が走っている時間だ。まだ9月と言えど夜の空気はやや肌寒く、半袖で家を出たことを後悔するほどだが、眠気覚ましにはちょうどいい。


 さて、何とかするとは言ったもののどうすればいいのか。一文字のことを見つけて話を聞くのが一番手っ取り早いのだが、そんなに上手くいけば誰も苦労しないだろう。


 どうして俺は何の策も無しにカッコつけたことを言ってしまったのだろうか、何て、今さら考えながら歩いていると、電柱の陰から「やあ」と声を掛けられた。


 振り向けばそこに居たのは、野球帽を目深に被った黒の革ジャンを着込むパンクな少女だった。帽子が陰になっていて顔はよく見えないが、そのちんちくりんな見た目に似合わないほどの堂々たるオーラを纏う立ち姿だけで、その少女が一文字だとすぐにわかった。


 ……早速、誰も苦労しないほど上手くいってしまった。ふつふつと湧いてきた複雑な気持ちを処理しきれなかった俺は、とりあえず前髪を逆なでた。


「元気そうだな、一文字司。丁度いい、用があったんだ」

「奇遇だな、本郷翔太朗。私もさ」


 名乗った覚えもないのに、一文字は俺のフルネームを正確に言い当てた。しかし大して驚くこともない。俺と同じように、来華から散々俺について聞かされただけだろう。


「私も貴様に用事があった。少し、顔を貸してくれ」


 吐き捨てるように呟いた一文字は、早足で俺との距離を詰めたかと思うと、そのまま胸倉を絞り上げてきた。僅かだが敵意が込められた、強い力だった。訳が分からないながらも俺は、戦う意思が無いことを示すために小さくバンザイをする。


「止めろって。何だってんだ、急に」

「聞きたい事がある。貴様、こんな時間にコハナの家で何をしていた?」

「……どこで見てたんだよ」


「質問に答えろ」と一文字はより強く胸倉を締め上げる。俺は堪らずタップしたが、そんなことは意に介さない様子である。


「何をしていた? 返答次第ではただじゃおかん」

「言っとくけど、やましいことは何もない。俺は来華からの相談に乗ってただけだ」

「相談だと? 下手な嘘を吐きおって」と一文字はさらに語勢を強める。自分のことについて話されていたとは、夢にも思っていないのだろう。


「本当のことを言うんだ。痛い目に遭いたくなければな」

「だから、本当だっての。来華の〝大事なお友達〟が、急に不登校になったらしくてな」

「な――」


 流石の一文字もこの程度の皮肉がわからないほど人間味が足りないわけでないらしく、うつむき加減になって硬く握っていた拳を解いた。


「……すまなかったな。このことは忘れてくれ」

「突然胸倉掴まれて、忘れろってのも無理な話だろ」


 俺はひとつ咳き込みながら、襟元のしわを正す。


「で、急に学校来なくなったなんて何があったんだ?」


「貴様には関係の無い話だ」と、一文字は相変わらず目線を下に向けたまま答えた。


「それがあるんだよな、関係。来華のヤツ、落ち込んだせいで学校にも行ってないんだ。おかげで家庭教師のバイトも当然休み。バイトが無くちゃ俺なんて、世間から見りゃただのニートなんだぞ。俺が大家からどんな目で見られてるのかわかるか?」

「貴様のしょうもない事情など知ったことか」

「しょうもないとは何だよ。こっちは本気なんだぞ」

「何が本気だ」

「全部だよ、全部本気だ」と、俺は一文字に歩み寄る。


「ニート呼ばわりされたくないってのは本気だし、来華が悲しそうな顔するのを見たくないってのも本気だし、お前の力になってやりたいってのも、ついでだけどもちろん本気だ。話してみろ、一文字。俺が力になってやる」

「……貴様、何故そこまで?」

「普通の人なら見て見ぬふりする面倒事に首突っ込むのが、俺の仕事なんだ。なんたってヒーローだからな」

「仕事か……」

「なんだよ。何か文句でもあるか?」

「ああ。父曰く、〝正義に対価を求めるべからず〟。正義を仕事だと考えるのは実に不純だ」


 一文字は俺に背を向け帽子を脱ぐと、颯爽と髪を払った。


「しかし、その気概には応えてやらねばなるまい。好きに首を突っ込むといい。どうなっても知らんがな」

「別に構わねえよ。そもそも、そんな些細なこと気にしてたら、お前に関わろうともしないっての」

「それもそうか」と鼻で笑う一文字は再び帽子を目深に被り直し、俺の方に向きなおした。


「詳しい話をしてもいい……が、問題は場所だ。人気のない、他の誰かに聞かれる心配のないところが望ましい。どこかいい場所は無いか?」

「それなら俺の家だ。ここからなら、歩いて15分もかからない」

「いいだろう。茶くらいは出るのだろうな?」

「いきなりぶん殴ってくるような客以外にはきちんと出してる」


「それはいいことを聞いたな」と、一文字は悪びれる様子なく言った。



 案内されるべきはずの一文字は、俺の前方2mの距離を保ち、無言を貫くままふんぞり返って歩いている。距離を測りかねているというよりも、これがアイツの性分なのだろう。衝撃的なファーストコンタクトからさほど経っていないにも関わらず、俺は一文字司という女をなんとなく理解してきているようだ。


 空はまだ暗いが、気の早いキジバトは既に鳴きはじめている。この時間は大抵夢の中にいるせいか、大事な時だというのに一歩歩くごとに眠気が増幅されていく。


 半分眠った状態で自宅マンションに辿りつき、霞む視界で鍵を開けると、一文字は先行して部屋に入っていき、そのままリビングのソファーに腰かけた。なんてヤツだと思う他ない。


「まずは熱々のコーヒーだ。ミルクも砂糖も無し、脳細胞が冴えわたるやつを頼むぞ」


 開口一番、場末の喫茶店に常駐する不躾な客のような注文だった。家に上がって帽子も取らず、ましてや「おじゃまします」すら言わずにコレとは。本当、どんな教育されてきたんだ。俺は思わず眉をひそめた。


「……了解しました、お嬢様」

「おいおい、いくら皮肉と言えどお嬢様はよしてくれ。恥ずかしいではないか」


 心底楽しそうにくつくつと笑う一文字は、無い色気を振りまくように脚を組んだ。何を言っても無駄であることを悟った俺は、黙ってやかんを火にかける。


 やがてふたがカタカタと音を立てはじめ、湯が沸いたことを教えてくれる。火を止めた俺があらかじめ用意しておいたドリップ型のインスタントコーヒーに湯を注いでいると、それを一瞥した一文字が不満げに鼻を鳴らした。


「なんだ、インスタントか」

「わがまま言うなっての」

「わがままを言っているつもりはない。ただ、一般的な独り暮らしは一流の嗜好品を嗜んでいるものだと思っていたのでな」

「どこの世界の常識だ、そりゃ」


 呆れながらも、俺はコーヒーの注がれた客用カップを一文字に手渡す。


「とにかく、郷に入っては郷に従えってんだ。黙って飲め」

「わかっている、わかっているとも」


 まったく納得していない様子でコーヒーを受け取った一文字は、カップのふちを爪で弾くばかりで口をつけようともしない。口を開けばその途端に溢れ出そうになる不満を飲み込むため、俺は自分用に淹れたコーヒーを一口すすった。


 やがて一文字は口を開いた。コーヒーには未だ手をつけていない。


「話の前に見てもらいたいものがある」

「なんだよ、見てもらいたいものって」


「これだ」と短く答えた一文字は、被り続けていた帽子を宙に放った。見れば、つばで隠れていた目元には、うっすらとであるが切り傷の跡が残っている。


 ずいぶんと穏やかじゃない事件に巻き込まれていたらしい。俺はカップを机に置き、帽子を拾って一文字に軽くかぶせてやった。


「……包丁の扱いに失敗したってわけでもなさそうだな」

「この傷は、2週間前に付けられたものだ。といっても、ナイフで薄皮を斬られただけだ。大事ない」

「嫁入り前の女が顔に傷作って大事ないか。貰い手つかんぞ」


「黙れ」と吐き捨てた一文字は、恨めしそうに頬の傷を撫でる。


「いつものように、比衣呂市をパトロールしていた時のことだった。団地が立ち並ぶ通りの外れを歩いていると、5人の男に突然襲われた。遊びのつもりなのか、ひとりはカメラを持っていた」


「カメラ?」と尋ねると、一文字は唸るように「そうだ」と答えて太ももに拳を何度もぶつけた。


「今度会ったらあのふざけた男共、どうしてくれるか。一度や二度殴ってやるだけでは、私の怒りは鎮まらんぞ」

「やり過ぎで捕まんなよ」


 言いながら、俺はあごを指で軽く摘まむ。


「にしても、カメラか。あの白スーツの男といい、映画製作集団か何かから、恨み買うようなことでもしたのか?」

「殴った相手のことのひとりひとりを覚えているわけもなく、結果として心当たりが多すぎてわからない」


 猪武者ここに極まれりだ。いや、俺も人のことを言える立場でもないのだが。自身の普段の行いを鑑写しで見せつけられている気分になり、俺はバツが悪くなってついそっぽを向いた。


「……で、襲われたことが原因で学校を休んだってか?」

「ただ襲われただけで日常生活にひびを入れることは無いつもりだったのだがな。しかし、襲ってきた者共がカメラを持っていたとなると話は別だ。ナイフや拳銃を持って来てくれた方が、目的がわかりやすくてまだマシだと思わんか?」


 帽子のつばを指先で弾いた一文字は、ふと天井を見上げる。


「貴様と初めて出会ったあの日。あの日も私は謎のカメラ集団に追われていたのだ。いくら逃げても倒しても、何かに憑りつかれたように執念深く追ってくる男共。からがら逃げ切り、心身ともに疲労困憊状態だった私が不覚にも気を失い……気づけば知らぬ家のベッドの上だ。あの時は、趣味の悪い好事家に連れ去られたのかと思ったぞ」

「悪かったな。でも、俺だって鼻を殴られたんだ。お互い様ってことで勘弁してくれよ」

「父曰く、〝時に寛容な心を持て〟。いいだろう。その謝罪、受け入れよう」


 一文字の会話には、「父曰く」という言葉が頻発する。どうやらコイツにはファザコンの気があるようだ。結婚相手はきっと一回りほど離れたヤツになる。


 すっかり温くなったコーヒーの香りが2人の間にたゆたう。釣られて俺は、大きなあくびをひとつした。


「ずいぶんと眠そうだな」

「ああ、眠い。だから、あともうひとつ大事な話をしたら、さっさと帰って貰えると助かる」

「それは構わんが……。大事な話とは、何かあったか?」

「来華のことに決まってんだろ。お前、なんでアイツに、『もう私に関わるな』なんて言ったんだ。仮にもアイツの友人なら、友人からそんなことを言われたらどうなるかくらいわかってんだろ」


 俺の言葉に「む」とわかりやく顔色を変えた一文字は、ふて腐れたように体育座りの姿勢を取った。コイツにとって来華の話が弁慶の泣き所らしいということがすぐにわかった。


「……私とて、好きであのようなことを言ったわけではないさ。ただ、そうするしかなかっただけのことだ。そうでもしなくては、いつ彼女に魔の手が迫るかわからないからな」

「それにしたって言い方ってもんがあるだろ。もっと上手い具合に言い訳をするとか」

「……悪かったなっ! そういうことが苦手なんだ、私は!」


 声を荒げた一文字は、頬を染めて髪をくしゃくしゃにかき上げると、恥ずかしそうに膝に顔を埋めた。この不器用女。2度と戻らない青春まっただ中を生きているのなら、ヒーローの前にもっと他にやることがあるだろうに。まあ、後悔なんてものは後になって追いかけてくる。今はこの瞬間がいかに貴重かわからないのだろう。


 俺は人生の先輩として、一文字にアドバイスした。


「今度、来華に会いに行ってやれよ。高校の時の友達は一生モンだぞ」

「……考えておく」

「わかった。お前、友達いないだろ」

「……デリカシーというものがないのか、貴様には」


 そう呟いたきり、一文字はとんと黙りきってしまった。


 それから無暗に10数分が経った。何も喋らない一文字を前にしてもあくびが止まることはないが、放っておいてベッドに飛び込むわけにもいかず、仕方がないので絶えずコーヒーを胃に流し込んで眠気を抑え込んでいると、ふいに「それで」というぶっきらぼうな声が飛んできた。


「貴様の名は? あの日はぐらかされて以来、まだ聞いていないぞ」

「本郷だ、本郷翔太朗。ていうか、もう知ってるだろ、一文字」

「一文字では長かろう。今後は司で構わん」


 一文字改め司は、ひと口も飲んでいないコーヒーを流し場まで持っていく。「それと、私が知りたいのはそちらではなく、もうひとつの名前だ。貴様、よもや朝も夜も〝本郷翔太朗〟というわけではなかろう」


 聞かれたくなかった質問で不意打ちを食らわされた。俺は「ええと」と口ごもり、口笛を吹くなどとつい下手な誤魔化し方をする。


「どうした? 眠気で自分の名前すら忘れたか?」

「な、なんだっていいだろ、ヒーローネームくらい。俺のことは翔太朗でいい」


「何を言っている」と、一文字は腰に手を当てる。


「本当の名を世に晒せばどうなるか、想像がつかないのか? 自分だけではなく、自分にとって大切な人も傷つくことになるのだ。マスクと名前は外連味だけのためのものではないのだぞ」


 まったくのド正論に、俺はうつむく他なかった。しかし、言われるがまま口に出すのも憚られるあの名前を、〝年頃のオンナノコ〟の前で出せばどうなるかなんて、この寝ぼけた頭でも理解出来る。


 口を開けば地獄。しかし、知らん顔したままでいることも不可能だ。いつもみたいに脊髄反射では解決できない問題を考え抜くこと10秒余り。俺は「なるようになるさ!」などと半ば自暴自棄的な結論に辿りつき、ついに重い口を開けた。


「タ……」


「タ……なんだ?」


「タ……タマフクローっていうんだ。よろしくな、司」


 ぎこちない微笑みと共に右手を差し出してみたが、その両方は平手の左右乱れ打ちの強襲によりあえなく叩き落とされた。予想通りだと、俺は痛む両頬を擦りながら思った。


「馬鹿か貴様は! 馬鹿か貴様は! もう一度言うぞ! 馬鹿か貴様はっ?! 乙女に向かってなんて冗談を言うんだっ!」


「乙女って自分で言うか」と思わず呟くと、もう一度平手打ちを食らった。


 赤くなった俺の頬を見てやや冷静になったのか、司は両手を後ろに回して手が出ないように自制の構えを取るが、怒りの矛を収める様子はない。


「なら、何故そんな名にしたっ!言えっ!」

「こんな名前、自分でつけると思うか?」


 俺はこれ以上殴られてはたまらんと、後ろ手に回された司の拳を警戒しながら言った。


「親父がつけたんだよ。お前が得意な〝父曰く〟ってヤツだ。恨むんなら、あのバカのネーミングセンスの悪さを恨め」

「ならば貴様の父に言っておけ! 馬鹿か貴様は、とな!」

「今度会えたらな。一生会わないつもりだけど」


 ムスっとした司は玄関に向かって歩いていく。その背中は、「もう話すことはない」とでも言いたげである。


「帰るのか? これからどうするかとか、まだ決めてないぞ?」

「構わん! 帰るったら帰るっ!」


 司は、靴を履きながらこちらにちらりと振り返る。その頬は先ほどよりも一層強い赤に染まっている。


「……それと、ひとつ言っておく! 私はあの卑猥な名前で貴様を呼ぶつもりはないぞ!断固として、だ!」


 その申し出は、俺にとってはむしろ大歓迎であった。

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