スター誕生 その7
莉緒を連れて家に戻ったのが夜の10時過ぎ。家で待機して貰っていた司に莉緒を任せ、市内のパトロールへ出た俺は、明朝の4時前に家に戻った。
灯りの点いていないリビングにそっと入れば、「帰ったか」と司の声が聞こえる。部屋の灯りのスイッチを入れれば、ソファーに深く腰掛ける司が見えた。
「悪いな。起こしたか」
「なに、人が近づくと起きる性質でな。気にすることは無い」
元祖・ニンジャである司は涼しげに言う。
「リオのことだが、しばらく泣いていたが、今は落ち着いて眠っている。話を聞くのは起きてからでよかろう」
「そりゃよかった」と答えた俺は、一旦自室へ引っ込んで、スーツから部屋着に着替え、それからリビングへ戻ってきた。それから手早く二人分のインスタントコーヒーを用意して、そのうちひとつを司に渡しながら、俺はソファーに腰掛けた。
「翔太朗。リオを襲っていた者に心当たりは?」
「襲ってたのは、この前の時と一緒の奴らだ。莉緒に蹴られたのを根に持ってた……っていうだけじゃないんだろうけど、本当のとこの理由はわからん」
「そうか」と短く答えた司は、天井を仰いで小さく鼻で笑う。何やら含みのある笑い方だ。眠気に淀む頭では、その笑みの意味を考えることは難しい。
「しかし、今回の件は却ってよかったと思わないか?」と司は流し目で俺に問いかける。意味がわからず、「どういうことだ?」と返せば、司は悠々と答えた。
「リオにとって良い薬になったのではないか、ということさ。死を目前にしたことで、少しは自分自身の今後について考え直したかもしれんぞ」
なるほど。確かに、それはあるかもしれない。莉緒には気の毒だが、あれだけのことがあれば、あのどこか人生を舐め腐ったような態度もマシになるだろう。
俺は「かもな」と呟いて、熱いコーヒーを一口飲んだ。明日の莉緒が「わたしが間違ってました」としおらしく言う姿が、早くもまぶたの裏に浮かんだ。
〇
「いやーっ、ほんと助かりましたっ! 翔太朗さんって、やっぱりヒーローなんですね!」
翌朝。座布団を枕に床で仮眠を取り、身体が痛くて目覚めた俺を待っていたのは、元気のよすぎる莉緒の声と、これまた元気のよすぎる莉緒の笑顔だった。一見すればしおらしさなど微塵も見えない態度であるが、どこか反省の念が感じられなくもない。照れ隠しのつもりなのだろうと好意的に解釈した俺は、「まあな」と適当に答えたが、ソファーから起きた司はといえば、「変わらないのだな、リオは」と半ば諦めた声色で眠そうに呟いていた。
「変わりませんよ。人間、そう簡単に変わったら困っちゃいますから」
そう言って茶目っ気たっぷりにウインクした莉緒だったが、それではやはり不味かろうと思い直したのか、ふと真面目な顔つきになって、それから俺達に頭を下げた。
「……でも、おふたりに感謝しているのは本当に本当です。ありがとうございました」
時刻はまだ朝の8時過ぎ。司は学校へ行くとのことで家を出た。残った俺は莉緒と共にコーヒーを飲みながら、昨夜の件について詳しい話を聞いた。
「どうして襲われたのかわかるのか?」と莉緒に問うと、「ああ、わかりますよ」とあっさりした答えが返ってきた。曰く、「事務所の社長が連れ戻そうとしているんだと思います」とのことである。
しかしそれでは、莉緒が殺されそうになっていたことへの理由がつかない。この点について莉緒は、「今になって考えてみれば、ただの脅し文句じゃないですかね」と好意的な解釈を与えていたが、どうにもそうは思えなかった。つまり俺には、奴らが本気で莉緒を殺しても構わないと思っていたようにしか見えなかったのである。無論、その考えを口に出せば莉緒が怯えそうだったから、何も言わなかったのだが。
「……あらためまして、今回の件ではご迷惑おかけしてすいませんでした。わたし、そろそろ出ていきますね。これ以上、翔太朗さんの御世話になるわけにもいかないですし」
「待て。そりゃ危険だろ。一回殺されかけてるんだぞ、お前」
「心配しすぎですよ。だいたい、どうしてあの人達がわたしを殺す必要なんてあるんですか。誘拐してお金を要求しようとしてたならまだしも」
それはもちろんそうなのだが、どうしても俺は莉緒の意見に頷くことが出来なかった。ただの直感を根拠にした行動だから、根拠や理由などは無いのだが、とにかく莉緒を不用意にひとりにしては駄目だということは確かだった。
「……だったら、迷惑かけた礼としてここに残れ。それで、飯作れ。三食。栄養のいいやつだ。手、抜くなよ」
自分でも少々強引だったかと思う俺の物言いに、何故か嬉しそうに「うーん」と唸った莉緒は、「じゃあそうしましょう」といかにも仕方なさげに言った。
「わたしの方は腕によりをかけてご飯作っちゃいますから、翔太朗さんは御気の済むまで調べてください」
〇
莉緒の作った白菜の味噌汁と目玉焼きで朝食を済ませた後、家を出た俺は百白の家まで向かった。
そんなところへわざわざ向かったのは、今回の件について百白にも話を聞くためである。〝人気俳優〟であるあの男ならば、芸能界の事情にも詳しいことは間違いなく、莉緒が知らず知らずのうちに誰かから恨みを買っていたのであれば、それを知っているだろうと考えてのことだった。
しかし話を聞くだけならば、電話で済ませればいいわけで、つまり「話を聞く」というのは半ば建前で、本題は百白の頭に拳骨を落としてやるというところにあった。平然と人を騙した奴に折檻を与えるというのは、きわめて当たり前の話であろう。
俺から百白へ連絡をしたら警戒されるかと思い、莉緒に話を通して貰った上で、伝えられた住所へ行けば、そこは都内で1、2を争う高さのタワーマンションであった。〝天を衝く〟という表現がまさに当てはまる、雲まで届くのではないかという高さを誇るマンションで、これに比べれば俺の住む建物はウサギ小屋であった。あるいは、富士山に対する天保山であった。
敷地に入るまでにまず、警備員が常駐する門を通る必要があり、そこを通過しても建物の入り口の前にまた警備員がいる。インターホンを押して百白を呼び出し、入り口の自動扉を開けて貰っても、エントランスホールのエレベーター前にはさらに警備員。「国宝でも護ってんのかよ」という声をなんとか胃の奥で押し留め、最上階のフロアに行くと、廊下に並ぶ扉の表札は全て『百白』である。どうやら最上階フロアは百白が占有しているらしいが、それならばわざわざ表札を掲げる必要もない。目立ちたがりというか、ここまでくるとただのまぬけである。まあ、元々わかっていたことではあるが。
一番奥の部屋で待っていると事前に聞いていたため、長い廊下をわざわざ歩いていけば、廊下の突き当りに半分開いた扉が見える。恐らくはアレだろう。
「邪魔するぞ」と言いながら扉を開ければ、玄関にあたる空間はなく、これは恐らく靴は履いたままで入れということなのだろう。無駄に洒落やがって。ここは日本だぞ。
西洋かぶれというだけでも鼻につくというのに、さらに鼻についたのは、その部屋全体が丸ごと談話室のような造りになっていたという点である。邪魔な壁が全て取っ払われており、床は全面絨毯。ソファーがいくつか並べられ、大きな窓からは陽の光が十分に差し込む。部屋の隅には黒い冷蔵庫と、きらきらと輝くグラスばかりが並べられた食器棚。
生活感の欠片も無い部屋だというのに、俺の家よりも数倍以上広いのが腹立つ。寝室やリビング、さらにいえば風呂やトイレなんかも、廊下に戻ってまた別の扉を開けた先にあるのだと考えれば、怒りはなおさら燃え上がった。
窓際のソファーに深く背を預け悠々と足を組んでいた百白は、「待っていたよ本郷クン!」とにこやかに手を挙げる。そんな百白へ大股で歩み寄った俺は、挨拶代わりに拳骨を頭へ落としてやった。
「痛いよ!」と喚く百白へ、「拳骨一発で済ませてやるだけまだマシだと思え」と俺は答え、それからさらに続けた。
「よくわからない奴に莉緒が狙われてる。なんか心当たりはないか?」
「あるならとっくに対処してるよ。ボクだって、彼女が傷つくのを黙って見過ごしてはおけないからね」
一転して表情を引き締めた百白は、ソファーのひじ掛けへ肘を置く。
「カノジョ、ああいう性格だし、天才肌だからさ。嫉妬なんてのは多いと思うし、敵ももちろん多いと思う。でも、だからってカノジョを殺そうとする人なんていないと思うんだ」
「でも実際、殺されそうになってる。理由は間違いなくあるはずだろ」
「……そうなんだよね。正直、本当に見当がつかないんだけどさ」と百白は前髪をつまんで難しい顔をする。
「なにか知ってそうな奴に心当たりは?」
「とりあえず何人かにはもう連絡したさ。でも、たいした答えは返ってきてないよ。一番期待できそうな『ダイスS』の岡本社長とは連絡がつかなくってね。看板アイドルがいなくなってイロイロ大変なんだと思うけど」
確かに、今回の件に関しては事務所の社長も被害者といえる。莉緒がいなくなった件の事後処理については、他人事なのに頭が痛くなるので考えたくもない。顔も知らない相手に俺は同情的な気持ちになり、堪らずため息を吐いた。
「……とにかく、話、聞けて助かった。そっちはそっちで情報入ったら連絡頼む」
「任せて。なにかわかったらすぐに」
余裕ある笑みを浮かべた百白は、調子よくウインクしてみせた。
「それと本郷クン、今回の件ではウソついてごめんね。でもホラ、莉緒クンみたいな子の手綱を握れそうな友人って、キミくらいしかいなかったからさ」
「……だったら、はじめからそう言えばいいだろ。それと、アレだ」
「なんだい、アレって」
「勝手に友人にするな」
「相変わらず冗談キツいなぁ、キミって!」と百白は平気な顔で笑い飛ばす。コイツの打たれ強さに限っては、もしかしたら見習うべきところがあるのかもしれない。




