スター誕生 その6
――オリタマヤ。今を時めくアイドルグループ、『Carbuncle`s』の一員。中学生の時に体操の全国大会に出場した経験もあり、運動神経はグループ随一。自身がセンターの曲ではバク転を披露することが恒例となっている。人をからかうのが好きと語っており、メンバーにはよくいたずらを仕掛けている。現在、20歳。一週間前に忽然と姿を消し、現在、所属事務所である『ダイスS』も連絡が取れていない。
『オリタマヤ』とスマホで調べると、以上のような情報が得られた。また、オリタマヤの画像検索で出てきた写真を数枚見ても、莉緒の顔と間違いなく一致しており、これは田山莉緒=オリタマヤであると考えざるを得ない。
この女の正体を百白が知らないわけがなく、また、芸能界という界隈の性質を考えれば、この女が本当に百白の姪であるのならばそれをわざわざ隠しているわけがなく、つまり百白はオリタだか田山だかよくわからない女を自身の姪と偽って、俺に預けたわけである。
百白の野郎、ふざけやがって。なんの目的があってこんなことしやがったんだ。どんな理由があるにせよ、ぶん殴ってやらないことには気が済まない。
百白の所属事務所に乗り込んでやることも検討しながらとりあえず家に戻ると、莉緒が玄関扉に寄りかかりながらしゃがんでいた。俺の帰りを待っていたとみえる。よく家に上げて貰えると思えるもんだ。よほど面の皮が厚いらしい。
「どっか行け。帰る場所が無いなんて知るかよ」
顔を上げた莉緒は、気落ちしたような表情で俺を見る。
「隠しごとをしてたのは悪かったって思ってます。でも、理由も聞いてくれないんですか?」
「きちんとした理由があるなら最初から言えばよかったんじゃねぇのか。言えないような理由だから、隠してたんじゃねぇのかよ」
莉緒は不貞腐れたように表情をしかめる。どうせたいした理由があるわけでもないのだろうが、聞いてやらないことには帰りそうにもない。俺は鍵を開けながら、「とりあえず部屋でその理由とやらを説明してみろ」と言ってやった。一転、表情を明るくした莉緒は、「ありがとうございます」と答え、促されるまま立ち上がり、俺に続けて玄関へと上がった。
それから俺達はテーブルを挟み、正面から向かい合って座った。テーブルの上に会話を弾ませるコーヒーは無い。
そんな状況に関わらず、莉緒は笑顔で話し始めた。
「既にご存知の通り、わたしはオリタマヤっていう名前でアイドルやってます。でも本名は、翔太朗さんに名乗った通り田山莉緒。オリタマヤとタヤマリオ。ほら、アナグラムになってるんですよ。気づきました?」
「そうかよ」と俺が短く答えたのを受け、無駄口は不要だと気づいたらしく、莉緒は慌てて本題へと移った。
「わたし、ちっちゃい時からずっと体操をやってたんです。才能があったみたいで、色々な大会で勝ち抜いたし、みんなから褒められるしで嬉しかったんですけど……高校生になってなんとなくイヤになって、『辞めたい』って言ったら親や先生に止められて。それで、家を出てきました。それから、今の事務所にスカウトされて、アイドル始めて。これも、楽しいことには楽しかったんですけど、なんか違うなーって思って。そんな頃に百白さんと出会って。わたし、『これだ!』って思って、ヒーローやってみようかなって思ったんです。それで百白さんに、『わたしもヒーローになりたいんです!』って頼み込んだらあなたを紹介されて、善は急げで事務所飛び出して……あとは翔太朗さんが知ってる通りです」
あっけらかんとした態度で並べられた説明に、俺は思わず言葉を失った。才能があるにも関わらず、いや、才能があるからこそ生き方が軽いというべきか。とにかくコイツには芯が無い。
「帰れ。お前には無理だ」
「理由がなくちゃヒーローやっちゃダメなんですか? 翔太朗さんだって、お金や生活のためにヒーローやってるんですよね? それって、理由が無いのと同じじゃないですか」
「勘違いすんな。別にヒーローやる理由なんて必要ねぇよ。ただ、どうせお前がヒーローって立場からも逃げることがわかってるから、無駄な時間使いたくねぇだけだ」
莉緒の表情に苛立ちの色が浮かぶ。
「やってみなくちゃわからないと思いますけど」
「やんなくたってわかる。体操からも、アイドルからも、逃げてきたじゃねぇか、お前」
「……逃げてません。嫌になっただけです」
「言い訳すんな。才能の限界を感じたのか、大きくなる期待に耐えられなくなったのか知らねぇけど、逃げてきたのは事実だろ。言っとくけどな、ヒーローは嫌になったからって逃げられる仕事じゃねぇんだ。何度でも言ってやる。お前には無理だ、莉緒」
「なら、証明してみせます」
瞬間、椅子から立ち上がった莉緒は、テーブルを乗り越えながら蹴りを繰り出してきた。訓練されていない、鈍い蹴りだ。楽に受け止めた俺は、そのまま莉緒の身体をソファーへと投げ飛ばす。
背中からソファーに落下した莉緒は、悔しそうに奥歯を噛みしめ俺を見た。沈黙の時間が数秒続き、やがて勢いよくソファーから跳ね起きた莉緒は、何も言わずにリビングから出て行く。
玄関扉の開く音がして、この家から人の気配がひとつ減った。
〇
――まさか、あんなこと言われるなんて想像もしてなかった。女の子には甘い人だって思ってたから、もしかしたら少し調子に乗り過ぎたのかもしれないな。
――でも、わたしの態度に悪かったところがあるのは認めるけど、あの人だって悪いことには間違いない。逃げてる、逃げてるって、わたしの何がわかるっていうんだろう。わたしはただ、認めただけだ。『この世界で自分は、これより上にはいけない』って認めて、それで、歩く道を変えただけだ。そんなこと、誰だってやることなのに、それを『逃げてる』だなんて……デリカシーが無いにも程がある。
反省と自己弁護を行ったり来たりしながらふらふらと歩いているうちに、わたしは人気のない小さな公園まで来ていた。気づけば、太陽もすっかり沈んでいる。所持品は2万円ちょっとしか入っていない財布とスマートフォンだけ。これじゃ、一週間もしないうちに干上がっちゃう。
ハッキリ言って、行く当てはない。百白さんの家は知らないし、電話もつながらない。翔太朗さんの家に頭を下げて戻るのは嫌だ。事務所に戻るのも論外。……実家には帰りたくない。
どうすればいいんだろう、わたし。どうなるんだろう、これから。
……迷ったところで仕方ない。とりあえず、あの人と一緒にいった喫茶店まで行ってみよう。見た目とは違ってお人好しっぽい愛宕さんなら、一日くらい泊めてくれるかも。そのままあの喫茶店でバイトなんて出来たら理想かな。
そんな風に考えを纏めて、さあ行こうと歩き出したその時、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。なんだろうと思って画面を見れば、見たくもない番号――事務所からの電話だった。
まったく、しつこいんだから。無駄だってわからないのかな。
ため息しながら通話を切ると、「おい」とどこか聞き覚えのある声がした。見れば、昨日の夜、わたしに絡んできた赤い髪の男の人だ。蹴り飛ばしてやったせいだろう、顔にはぐるぐると包帯が巻かれている。仲間と思われる4人の男の人も一緒だ。恐らく、事務所に頼まれて、わたしを連れ戻そうとしているんだろう。
「昨日はよくもやってくれたな。今日こそ俺達と一緒に来て貰うぞ」
「嫌に決まってるじゃないですか。早くどっかに行ってください。じゃないと、また蹴っちゃいますよ?」
「調子乗ってんなよ。これ見て同じこと言えんのか?」
そう言って赤髪の男の人は、懐からナイフを出した。逃げるしかないなと思ったけど、公園の入り口は塞がれている。それなら、荒っぽい手に頼るしかない。大きく息を吸ったわたしは、真っ直ぐに走り出した。狙うのはあの赤髪の人だ。ナイフなんて持っていたって、まさか刺すわけがないから、却って安全だろう。
跳躍。周囲の景色が急速に回転していく。世界の天地が逆さになる。それでも視線だけは真っ直ぐ、〝着地〟するべき人の身体を見据えている。
大丈夫だ。やれる。喰らえっ。
――と、伸ばした足は空を切り、わたしは普通に着地していた。何がなんだかわからないままぼぅっとするうち、首に冷たいものが押し当てられる。ナイフの刃だった。
「曲芸やってるんじゃねぇんだぞ。そう簡単に何回も殴られるわけねぇだろうが」
……正直、この人を舐めてたことは認める。まさか躱されるだなんて、思ってもみなかった。すぐに調子に乗るのがわたしの悪い癖だ。
わたしは軽く両手を挙げ、あっさり負けを認めた。事務所に連れ戻されたところで逃げればいいだけなのだ。
「わかりました。おとなしくついて行くので、乱暴なことだけは――」
みぞおちの辺りに強く拳がぶつけられ、わたしは堪らず言葉を遮り両膝を突いた。咳が止まらない。痛い。苦しい。
「ふざけやがって。こっちは鼻折られてんだぞ。ただで済むと思ってんのか」
――こんなことして事務所に怒られないと思ってるんですか? と言ってやりたかったけど、あまりに苦しくて声も出ない。
なすすべのないわたしの前にしゃがんだ赤髪の人は、悪辣に口元を歪めて笑った。
「いっそのこと、ここで殺しちまうか」
殺す? なにを言ってるんだろう、この人は。
「ここで殺すのはまずいだろ」「でも、どうせ殺すんだろ?」「山まで連れてく時に警察に見つかったらどうするつもりだよ」「オメーが事故ったりしなけりゃ見つからねぇだろうよ」「どっちでもいいから早くしろよ」
殺すって、つまりわたしは死ぬっていうこと? ここで? なんで?
脚が動かない。もう身体が〝生〟を諦めてる。まだやってないこともたくさんあるのに。死ぬんだ、わたし、ここで。
ふいに、目の前にいた赤髪の人がわたしの横に倒れ込んできた。何が起きたのかわからないうちにもうひとり、さらにひとりと男の人が倒れていく。
「な、何モンだテメェ!」と残った人が叫ぶ。「そいつの保護者だ」という声が聞こえて、わたしは思わず耳を塞いで目をつぶった。
それから短い間を置いて、ふいに肩をとんとんと叩かれる。前を向きたくない。
「早く立て。帰るぞ」
「……なんで、なんで助けてくれたんですか」
翔太朗さんは「馬鹿野郎が」と呟いて、優しい拳骨をわたしの頭に落とした。
「泣いてる奴がいたら、それが誰だろうと助けるのが俺の仕事だ。当たり前のこと聞くんじゃねぇよ」




